自分の死をプロデュースするということ

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、自分の死について。仕事で入棺体験と海洋散骨を体験した森さんは、死を明確に意識するようになったのだそうです。その中で、自分のお墓をどうするかという問題について考えるうち、楽しい想像が広がりました。

最近、将来を度々考える。アラフィフにとっての将来とは、すなわち死だ。

ちびちびと終活などにも手を出しているのだが、周囲からは「まだ早いんじゃないの?」と訝られる。別に死に急いでるわけではないのだが、43歳を過ぎた頃から私は死を意識するようになった。なぜなら、実母が43歳で病死したからである。

ひとは、いきなりいなくなる

実母は丈夫な女性で、医者嫌いでもあった。もとより医者にかかる機会がなく、いつも元気だったと記憶している。その実母がある日の昼食後に、トマトの皮を吐いた。胃薬を飲んで数日間ごまかしていたのだが、微熱もあり、いかんせん容態がすっきりしない。ようやっと重い腰を上げ町医者に診察してもらった結果が、胃痙攣だった。が、これがどうやら誤診だったようで、2~3日後にあっけなく母は亡くなった。私が10歳、姉が13歳の時である。

人は、いきなりいなくなるのだ。

後にも先にも、当時ほどの強烈な空虚感を味わったことがない。私はひそかに43歳を迎えるのがこわかった。43歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくないと、心に深く切り刻まれていたのだ。実際、43歳というか40歳半ばで何らかの病を発症した知人もいたし、同級生が亡くなったと風の便りで聞きもした。私も健診にはまめに通うようにしたし、少しでも体調が悪ければ医者に駆け込む。実母とは正反対の性格になった。

もともとがM体質なのかどうかわからないが、胃カメラや大腸内視鏡検査など、若干痛みを伴う検査もわりと早いサイクルで受けている。ちなみに、肛門からお湯を流し入れて大腸を洗浄するコロンクレンジングもかなり前に体験しているし、水素点滴にもチャレンジした。血液クレンジングだけはちょっと敷居が高く……、まあ、なんていうか、健康維持の目的もあるけれど、エステ半分というか、プレイ的なものが好きなのかもしれない。

自分の死をプロデュースするということ

プレイ的なものといえば、かれこれ1年半以上前に入棺体験をした。仕事の一環だったのだが、仕事を抜きにしてとても興味深かった。だって通常は死んでからじゃないと棺桶って入れないでしょう。生きている間に死を味わうって、なかなかできない。しかも自分にあてたお経や弔辞(自分で自分に書く)など聞けないではないか。詳細は省くが、死に対する意識がより身近に感じられ、さらにカジュアルに向き合えるようになった。

この入棺体験に次ぎ、やはり仕事で海洋散骨にも参加したのだが、よりいっそう死が近しいものと感じ、死をプロデュースすることに燃えてきた。誤解されては困るのだが、死にたくなってきた、というのではなく、また死を薦めているのでもない。死を明確に意識すると、生というか生き様もまた明確になってくるのだ。明確にしなければならない、といおうか。1日1日が尊く思えてくる。つまり、死のプロデュース=生のプロデュースなのだ。

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アラフィフ作家の迷走性活

森美樹

小説家の森美樹さんは、取材や趣味の場で、性のプロフェッショナルや性への探究心が強い方からさまざまな話を聞くのだそう。森さん自身も20代の頃から性的な縁に事欠かない人生でした。47歳の今、自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する...もっと読む

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コメント

delilah_nya 「死のプロデュース=生のプロデュース」、いいですな! 6ヶ月前 replyretweetfavorite