纏足(てんそく)の姫は沓(くつ)から足を出す二本の足は豚足である
全身の、どこもかしこも大嫌いだったけれど、手の爪だけが、好きだった。爪だけが、形も色も艶も美しい。しかも、自分で常に見られる。これだけが、わたしの自尊心の素だ。学生時代は磨くだけにとどめていたが、会社員になってたがが外れた。
お給料のほとんどを、ネイルとネイルサロンにつぎ込んだ。
そこだけが大事だと思うと、猛烈に不安になった。
手タレだけで生活している人のブログに、「毎日三食豚足を食べている」とあった。「豚足には美しい爪を作って保つ全てが含まれている」というのだ。
次の休日わたしは中華街に行った。子どもの頃、中国の市場に豚足が何百と吊るされているのを見たからだ。
それから昼食以外、食事は豚足になった。
恋人が出来た。
「爪が凄く綺麗だね」と手を握ってくれた。
彼を失望させたくなかった。だから昼の外食をやめて、豚足を挟んだサンドイッチを持ってくるようにした。
付き合いが半年になった頃、手が変化し出した。手首から先が、蹄(ひづめ)になり始めたのだ。豚の蹄だ。
それは美しい蹄だった。
ミトンで両手を隠して生活することにした。恋人とはこちらから一方的に別れた。パソコンを使う業務が出来なくなり、会社を自主退職した。
手のことも退職のことも恋人とのことも親には言えずに、実家に帰る回数を極力減らし、元日はミトンをつけたまま「皮膚炎で塗り薬をつけているから」と言い訳して、箸も使えないので「急に気分が悪くなったから」と二時間の滞在で難を逃れた。そそくさと帰り支度をするわたしを、母は怪訝そうに見つめ続けていた。
肉親を裏切っても人間関係を失っても、わたしは怖くなかった。内心は愉悦に満ちていた。
もう、この蹄を隠さなくていい。一人の部屋で、わたしはミトンの先を噛み、引き剝がすようにするりと外す。
うっとり、蹄の艶を見つめる。人間の爪には決してたどり着くことのできない、硬質で強度があり、こくのある角質。磨けば磨くほど、大理石のような光沢を増してゆく。
手応えや信頼とはこういうことだと実感する。
わたしの一日は、蹄磨きと豚足摂取のみに捧げられている。
豚足がみな手になって整列し千手観音無音の浄土
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。