スミスがなかったら、もう少しまともな人生を送っていた——。
いったい何度、世界中のスミス信者はこんなつぶやきを漏らしただろう。
思春期にスミスと出会ってしまったことで、人生を歪められた人は多い。少なくともスミスを知ってからロックの聴き方やその基準は変わった。
ポップミュージックには常に最新型の思想、価値観が詰まっていると信じている僕は、最近はTRAPばかり聴いている(去年から今年にかけて愛聴しているのは3枚。『EAST ATLANTA LOVE LETTER』6LACK、『BALLADS 1』Joji、『ヘブン』曽我部恵一)。
しかし、そんな僕でも、たまにスミスを引っ張り出して聴くと、「ああ、自分は一生、これだけ聴いていればいいのかもしれない」と思うことがある。
スミスにはすべてがある。イギリス、自殺、セックス、ペシミズム、そして水仙とグラジオラス。父親になった今も、「there is a light that never goes out」は自分の中から消えることはない。
今回、『ENGLAND IS MINE モリッシー 、はじまりの物語』を監督したマーク・ギルにインタビューした。
本作は、スミス結成前のストーリーのため、スミスの名曲はひとつも本編に流れてこない。モリッシーはもちろん、スミスのメンバーから許可が取れていないという事情もある。
しかしニューヨーク・ドールズ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、ロキシー・ミュージック、セックス・ピストルズ、マガジン、ダイアナ・ドース、マリアンヌ・フェイスフルといった、モリッシーを形成した音楽がふんだんに使われている。何よりひとりの名もなき若者の野心が伝わってくる映画として、手が痛くなるまで拍手を送りたくなる快作と保証する。
『ENGLAND IS MINE モリッシー 、はじまりの物語』
以下に、ほぼ全文インタビューを掲載。長いです。マーク監督は筋金入りのイギリス人でした。通訳、今井美穂子さん。
日本とはずっと遠距離恋愛をしてきたようなもの
——アイアム・ノベリスト、タケヒロ・ヒグチ。きょうはよろしくお願いします。マーク・ギル監督は1970年生まれですよね。
「VERY OLD」
——僕は71年生まれなので、だいたい同じような音楽を聴き、映画を観て育ったんじゃないかなと。あなたは子どもの頃、イギリスはマンチェスターにいながら、日本の相撲、当時の横綱千代の富士をテレビで観ていたと聞いて驚きました。
「今でも相撲はよく観ています。今度の木曜日に両国国技館に観に行きます。大関の貴景勝が欠場してカド番になるんです」
——そうなんだ。日本人より詳しい。
「日馬富士が居酒屋で喧嘩をして、ボトルで頭を殴った事件も知っています」
——他にも、日本滞在中はどちらへ?
「初来日なもので……。日本とはずっと遠距離恋愛をしてきたようなものだから、ブランドショップに行ったり、渋谷、下北沢、恵比寿、代々木……」
——小洒落たところばっかり。
「まあオレなんで(笑)。ユナイテッドアローズとかトゥモローランドとか、イギリスで買うと高いものを」
——表参道にはプリティー・グリーン(リアム・ギャラガーが展開するブランドショップ)がありますよ。いま経営難だけど。
「まあそうだろうなあ。音楽と同じでterribleなことに……」
(あとで調べたところ海外初の直営店だった青山店は去年の10月に閉店していた)
ここからが本番です。
映画のタイトルを『ENGLAND IS MINE』にした理由
——ガチなスミス信者として、この映画を観るまでは期待と不安でいっぱいでした。〝スミスの名を使っているのに泥を塗るような内容だったら?〟〝スミスを汚されたらどうしよう!?〟と考えていました。でも観ながらどんどん不安な気持ちは無くなっていって、終わった後は胸を撫で下ろしました。
「それよく言われます」
——ジャック・ロウデンが演じるモリッシーの声がそっくりなところでまずホッとしました。
「モリッシーは喋るときの音域が低く、下腹部で話す感じなので、ボイスコーチがアイディアを考えたりしたけど、ジャックは才能豊かな若手俳優だから、彼が試行錯誤してほとんど役作りをしました。ほとほと感心しました。彼はスティーブンという人物像を見事につかんでいた。それにジャックはスコットランド人だから、この役はチャレンジングだったと思う」
——タイトルの『ENGLAND IS MINE』は「Still Ill」からの引用ですがどうしてまた?
スミスは名曲が多いし、他の歌詞にしようかなと迷いませんでした?
「もともとタイトルは『Steven』にするつもりでした」
(ここでマーク監督がスマホにある一枚の写真を見せる)
——これは誰ですか。
「当時15歳のモリッシーとアンジーです」
——え——っ。
(本編に出てくるモリッシーの彼女、アンジーの家族にも取材したというので、彼女のアルバムからの1枚だろう)
「いかにも〝Steven〟って顔をしてません?これは僕自身が所有している写真で、誰も見たことがないです。
なんで『ENGLAND IS MINE』にしたかというと、この映画をひとつのメッセージに凝縮するとそうなるだろうと。モリッシーとザ・スミスは、〝若者たちよ、この現状を打破する方法があるぞ〟と訴えてきたわけですよね。〝いい大学に入っていい会社に就職して、家を買って家族を作ってお墓を買って死ぬ〟といったテーゼにプロテクトしてもいいんだぞって。イギリスでは年寄りが若者にdictateしたがるから」
——日本も同じです。
「ザ・スミスの音楽は、僕やあなたにこう訴えた。〝人生の選択権はきみにある。チャンスが降ってきたらつかめ〟と。だから『ENGLAND IS MINE』なんです。〝taking and not giving(人生は単に奪うものであり、与えるものではない)〟〝it owes me a living(僕の人生の面倒を見ろ)〟って歌詞にあるように。モリッシーはこの歌詞を体現しているし、彼ほど若者の人生にインパクトを与えた人はいない。
政治色の強い映画にするつもりじゃなかった。当時のイギリスの時代背景を説明すると、イギリスがEUに加盟したことで(1973年)、それまでのビクトリア調時代の価値が覆されて、シックスティーズとその後のパンクシーンがあって、若者たちは自分の道を切り拓いていこうとする勢いが出てきた。最近はBREXITがあってEUに背を向けてしまったけど。いまの若者も20年先はどうなるかわからないから自分の道しるべになるものを、と考えたんだ」
——なるほど。肯定的な意味だったんですね。
「あともうひとつ、スティーブン・パトリック・モリッシーを描くことでこだわったのは、僕はジオ・サイコロジー(地理心理学)に興味があって、生まれ育った土地が人格形成にどのような影響を与えるのかと思って。だからマンチェスターのあれこれをフューチャーすることを意識しながらこの映画を撮った。
〝イギリスはオレのものだ〟ってAVANTな発言なわけですよね。これほど強く訴えかける歌のタイトルや歌詞はなかった。他の歌詞も考えたけど、ちょっと頑張りすぎてるというか」
この映画は大好きか大嫌いか、真っ二つに分かれる
——この映画はスミスマニアとして、観ながらニヤニヤが止まらなかったです。墓地が出てくれば〝「Cemetry Gates 〟!」、モリッシーが初めて組んだバンドのリズムに〝「Rusholme Ruffians」と同じ!〟、モリッシーが家に長くいることを注意されれば、「〝Heaven Knows I'm Miserable Now〟!」、一緒にバンドをやっていたギターが自分を出し抜いて成功すれば、これはモリッシーのソロですけど〝We Hate It When Our Friends Become Successful〟、『monsters of the moors』という本が出てくれば〝「Suffer Little Children」!〟、職安で「食肉加工は?」と訊かれるシーンに「Meat i Is Murder」!と心の中で答えて、いちいち疲れました。
「こういうディテールが出てくるのは、〝ザ・スミスが作られるまで〟という映画にとって必然ですよね。モリッシーが思春期に経験したことがそのまま音楽に注入されているわけですから。でもこれに対していちいち批評するメディアもいるわけで。
この映画は大好きか大嫌いか、真っ二つに分かれる。いちいち批評されても気にしない」
——全部わかったわけではないけど、織り交ぜ方というか塩梅というか、スミスのちりばめ方が絶妙でした。日本の小説にもスミスの歌詞を引用している人がいるけど、成功しているとは言い難いので。
「ありがとう。「The Queen Is Dead」のシャレが入っているんだけど気付きました?
——〝life is very long,when you're lonely〟の歌詞?
「(歌詞にある)スポンジと錆びたスパナが出てくるでしょ」
——あーそうかー。映像にしてたかあ。
「美術担当はわけがわからなかったみたい。他にもいっぱいいっぱい盛り込んでいるよ」
——きりがないんですよね。「二階建てバスはまだかー」とか。
「撮ったけどカットしちゃった」
——残念!
「他にもスティーヴンとお母さんが浜辺にいるシーンとか、10分ちょっとカットしました。日本でDVDが入ったら特典映像に入れたいな。ドビッシーのピアノに合わせて未公開映像のショートフィルムを作ったけど」
撮影期間は27日間
——なるほど。先ほどから話を聞いていると、長年のスミスへの思いを形にできて、撮影中は楽しかったんじゃないですか?
「一秒一秒が楽しかった。スタッフもキャストも素晴らしかったし、一日に16時間撮影の日もあったけど、イヤだとか疲れたとかそんな感覚はなかった。できあがった作品を誇りに思っているし、こうやって日本に来られてみなさんにサポートしてもらえて嬉しいよ」
——撮影期間はどれぐらいだったんですか?
「27日間。だからすごく忙しかった」
——今となっては杞憂に終わったけど、観る前までどうしてこんな不安だったかというと、ジェームス・メイカーが否定的な意見を出していたからなんです。
(rockin'on.com『モリッシー伝記映画、旧友のミュージシャンが「実に不可解な企画」「悪意に満ちている」』)
「ジェームスはこの映画に参加したかったんだよね。コンサルタントとして起用してほしかったんだ。注目を浴びたい人なんだ。モリッシー絡みで彼は有名なわけで……。あれ、僕もそうか!(笑)。自分を卑下しちゃいけないね」
——ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、スミス、ストーン・ローゼス、オゥエイシィス、アークティック・モンキーズといった錚々たるメンツを輩出してきたマンチェスターで生まれ育つというのは、どんな気持ちなのでしょう?
しかもあなたは元ミュージシャンで、ピーター・フックのバンド、モナコにも参加してますよね。
(左のギターがマーク監督)
「マンチェスターのことはたまに聞かれるんだけど、当事者としては反芻できなくて、上手く言えない……。
マンチェスターと音楽について語らしてもらうと、才能が発掘された宝庫として見られがちだけど、実際はポスト工業社会として、多くが職にありつけない廃れた街になっていた。そんな状況からただひとつ脱出する方法がロックミュージックをやることで。
79年から89年あたりまで、ハッピーマンデーズとかシャーラタンズとか「マッドチェスター」と言われる時代を含めて、世界の音楽シーンの中でも比類なき重要性を持つ時代が確かにあった。
でもマンチェスターは変わってしまった。結局その後は重要なバンドを生んでいない。みんなは〝オゥエイシスだ〟とか言うけど、あれはストーン・ローゼスの真似事で、ストーン・ローゼスはローリング・ストーンズの真似事だよ」
——え、スミス以降はダメなの? 厳しいな。
「オゥエイシスが出てきたときは、〝なんだ聴いたことがある音楽だな〟ぐらいにしか僕は思わなかったな。ここ20年は決定的なバンドは現れていない」
——はあ、そうですか。
「マンチェスターはいい街だけど、エッジは失われてしまった。いまマンチェスターに暮らしている若者はロックじゃなくて、ゲームデザイナーとかXファクターに出るとかインスタで有名になるって感じで、時代はもう変わっちゃったね」
スミスが初恋で、レディオヘッドは最高峰
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