〈「いだてん」第19回「箱根駅伝」あらすじ〉
フランスのクーベルタンから治五郎(役所広司)に届いた手紙には、ストックホルムから8年ぶりにアントワープオリンピックが開催されるニュースが書かれていた。新しい「箱根駅伝」の構想に力を注ぐ四三(中村勘九郎)だったが、やはりオリンピック開催こそ待ち望んだもの。遠い熊本で離れて子育てに励むスヤ(綾瀬はるか)を訪ね、次こそ金メダルをとって引退し、家族と暮らす約束をする。しかし実は、前回、死亡者を出したマラソンは正式種目に含まれていなかった。「箱根駅伝」がオリンピック代表選手の選考を兼ねて開催され、大盛り上がりを見せるなか、治五郎はクーベルタンにマラソンの復活を訴える。(公式HPから)
第19回の「いだてん」のみどころは、なんといっても森山未來の演技だった。実際、SNSには絶賛の声が次々と上がり、新聞はその反響を「孝蔵役の森山未來が金原亭馬生と古今亭志ん朝も演じ分け、語り含め1人4役に視聴者衝撃(毎日新聞 2019.5.19)」と報じた。
いつもなら、ビートたけし演じる戦後の志ん生、もしくは森山未來演じる若き日の志ん生(美濃部孝蔵)がドラマを語るところだ。それが今回は箱根駅伝の回ということで、噺も駅伝方式をとった。志ん生だけでなく、弟子の今松、五りん、さらにはたまたま正月の挨拶にやってきた馬生と志ん朝も加わって、噺をリレーした。この馬生と志ん朝を、森山未來が演じたのだが、新聞の「1人4役」というのは、いつもの孝蔵、語りの役と合わせて4役、という意味だろう。それは間違いではない。記事の内容は「森山未來すごすぎ。1人三役に語り」「森山未來、鳥肌たったわ…!」「金原亭馬生だ! 古今亭志ん朝だ! うまい、うますぎる!」といったTwitter上のつぶやきを引用したもので、そこからは、森山未來がいかに巧みにいくつもの役を演じ分けたかがこの回の魅力であったように感じられるのだが、それもまた間違いではない。いつもの孝蔵の語りとは異なる、金原亭馬生のあまり声を張らずに愛嬌を出す独特の語り口、一方とんとんとーんと畳みかけるような志ん朝の調子のよさ、さらには高座を降りた2人の、ちょっとすました口ぶりまでなぞってみせる森山未來のあざやかな演じ分けに、わたしもまた魅了された。
では、森山未來が「語り含め1人4役」を「演じ分け」たことがすごかったのかというと、どうもその言い回しでは何かを取り逃がしたような気がする。そもそも新聞の報道は、その番組を観ていない人に何が起こったかをわかりやすく説明するためのものだ。だからこそ、「1人4役」という分かりやすい数字表現に訴えているのだろう。一方、わたしはといえば、このコラムを、「いだてん」を観た人に向けて書いている。ここでは、あの場面でわたしたちが驚いたことは何だったのか、それは数や演じ分けという問題に収まることなのかを、もう一度きちんと振り返ってみよう。
入ってきた男
そもそも、あの場面で、わたしたちは初めから馬生や志ん朝が出ることを知っていただろうか。テーマ曲に乗せて流れる役名には「語り 森山未來」としか書かれていなかった。注意深い人でも、ああ今日は「孝蔵」とは書かれてないから語りだけで孝蔵自身は登場しないのだなと思った程度で、まさか森山未來が他の役を演じるとは予想しなかっただろう。
当初、駅伝落語は、志ん生、今松の3人で語られる予定だった。しかし、噺のリレーは滞り、五りんと志ん生は、次に誰が高座に上がればよいのか、楽屋で相談している。そこに突然、1人の男が正月の挨拶にやってくる。さっとショットが切り替わり、「おめでとうございます」と挨拶して顔を上げたその男は、驚いたことに孝蔵だ。孝蔵なのだが、様子がおかしい。髪はきれいになでつけられているし、表情はやけにすましている。しかもビートたけし演じる志ん生は、若き日の自身を目の前にして、まるで驚いた様子がない。
男「おめでとうございます…何やってんの?」
志ん生「うん? 「箱根駅伝落語」。こいつが作ったんだ」
ほう、とノートを見る男をいぶかしげに見ていた五りんが「誰ですか?」と尋ねる。志ん生はこともなげに「あのな、長男の清(きよし)だ」と答え、男は「どうも」と挨拶する。ここでようやく、男は孝蔵ではなかったことを、わたしたちは知らされる。清? 志ん生はあの車夫の親友と同じ名を息子につけたのか? 男は孝蔵にして清公なのか?
落語に詳しい人なら志ん生の息子で清ときいた時点でははんと分かっただろう。けれどドラマに耽溺してきたわたしは、むしろ孝蔵の顔を持つ男が清という名を名乗るのにぎょっとした。あの清公と孝蔵は、次世代において一つの肉体となったのか? 清という名が、ビートたけしの相方の名前と同じであることも、混乱にさらに拍車をかける。2人は親子なのかコンビなのか。とにかく、その清という男は高座に上がり、孝蔵のやけくそ気味の噺とはまるで違うひどく落ち着いた口調で語り始める。その正体は桟敷で見物している美津子と知恵の会話で明かされる。
知恵「誰あれ?」
美津子「金原亭馬生、真打ちよ。あたしの弟」
父の志ん生とは少し違って、端正で、それでいて父親譲りの愛敬も感じさせる。なるほどこれが馬生か。しかし、まだ不安は抜けない。見ているわたしたちは、ただ馬生を見ているのではない。孝蔵の顔をして清公の名を持つ馬生を見ているのだ。もちろん孝蔵と清は父子だから顔が似ているのは当然だ。しかし似すぎている。森山未來が馬生を見事に演じれば演じるほど、それが孝蔵と同じ顔をしているのが怖ろしくなってくる。わたしたちは化かされているのではないか。明治大正の孝蔵が清公とくっついて、戦後の昭和に化けて出てきてるんじゃないか。お化けだからやけに落ち着いてるんじゃないか。
次に入ってきた男
そこに今度は洋装にスラックス姿の男が来る。これまた孝蔵の顔をしている。しかし孝蔵が増えても、志ん生はあいかわらず平気だ。「次男の強次」と五りんに紹介してから、「次出るか?」と気軽に持ちかける。美濃部強次、のちの古今亭志ん朝であり、いまは朝太と名乗っているらしい。朝太? それは孝蔵が円喬師匠からもらった名と同じではないか。その命名者が志ん生なのだとしたら、志ん生はどこまで自分に関わる名前をばらまいているのか。
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