未の刻が休憩時間霜月の羊羹工場に働く羊
「刃物研ぎます」と印刷されたチラシがポスティングされ始めたのは十一月の半ばだった。
あれを研いでもらおうかなと思い付いた。一人暮らしを始めるにあたり、母が持たせてくれた包丁。母の家系で代々「伝家の宝刀」と呼ばれ受け継がれてきたのだという。
「包丁として使わなくていいのよ。お守りとして隠しておきなさい」
言われてその通りにしていたけれど、お守りとしての包丁なんて、いつか自害するフラグみたいで怖い。この際研いでもらって使ってみようとチラシにある番号に電話をかけた。
老人とおぼしき声に一瞬不安を感じたが、好奇心もあり指定された日時に仕事場に行った。
指定時間は夜十一時。銀色のトタンで建てられた仕事場の戸を横に引いて開けると、作務衣に下駄、絞り染めの手拭いを頭に被った老人が、銅像のように真っ直ぐ立っていた。照明が上から垂らされた白熱電球一つだけなのだが、その明かりで修行僧めいた鋭い目が光って気圧された。
砥石に水をかけながら、老人は包丁の刃先を砥石に低い角度で滑らせる。
集中すると人は何も洩らさなくなる。身に心が一致して、動きに全く無駄がない。こういう時、何かが叶うのだろうと、奇跡を目撃する気分になる。石と刃の、水を含んでやわらかくなった削り合いが、厳かな儀式のようだ。
さりさりという音の反復は、儀式のための禁欲的な音楽だった。
「仕上がったよ」
老人の声に顔を上げるとそこに微笑があった。
「この包丁を研げて光栄です。ありがとう」
老人は仕事場の立て付けの悪い戸を開ける。
研ぎたての包丁を夜空にかざし、星座を確認するように刃先で四角形を描いた。そして、夜空の一部をくりぬく。
「召し上がれ」
作業机の上の皿に、ちょうど手の平に乗る大きさの、真夜中色の直方体が置かれる。
「さあ」
竹串を渡される。それを直方体に押し当てると手応えがありつつ下まで切れる。
恐る恐る口に入れると、夜の祈りの味がした。
ゆっくりと冷やされマグマは御影石に小豆スープは羊羹になる