震災の年の新入社員が初めて制服をもらう日~さちとかなの物語 2

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

 5月になって木の屋に入社したさちとかなは、缶詰掘りの仕事が少なくなった8月から、内陸にある自社ビルの水産ビルでの出荷業務に配属された。

「出荷業務と言っても、ひたすら缶詰を段ボール箱に詰めて宅配便で送る、力仕事の連続でした。みんなバタバタで、研修も受けないまま、事務の仕事はしないまま。缶詰を売り尽くす2011年末まではそんな感じでした。テレビに木の屋の話題が出ると、次の日に注文が殺到して大変でした」と、さち。思っていた環境ではなかったが、そんな2人を支えたのが、工場勤務のオバちゃんたちだった。

「オバちゃんたちがすごく好きで、缶詰を掘ったり洗ったりして、しばらくすると仲良くなって、休みの日に家に遊びに行ったりしました。そんなつながりが木の屋ならではだと思います。あるオバちゃんに『あんたたちが一番大変だ』と言われたのには励まされました。そのオバちゃんのモツ煮がヤバイんです。缶詰を使った炊き込みご飯も美味しくて。半ば強引に「今日は泊まっていけ!」と言われて、よく夜遅くまで話しました」

 2012年、新年の営業がはじまると、2人に制服が支給された。その制服は、2011年の2月に木の屋に届いていた物。奇跡的に津波被害に遭わずに残っていたのだ。

「2011年は、事務の仕事を一つも覚えることができなかったので、2012年から必死でした。現場の作業員だったのが、急にOLになった感じで。会社も震災前の製品が復活してきたので、事務作業が増えました。慣れなくて、仕事が終わらず、帰宅が深夜近くになったこともあります。でも、制服をもらえたのは嬉しかった」と、かな。

「私たちは、津波で流された商品しか見てなかったので、工場ができてから、社員が缶詰を作っているのをはじめて見たんです。その時にやっと、これが会社なのか? という気分がしてきましたね」と、さちは語る。

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過酷な震災にも希望を忘れなかった人々と、手と心を差し出した人情商店街の感動の物語

この連載について

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蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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