6月に残り2、3万缶と思われた泥の中の缶詰だったが、枯渇することなく週に1万個以上のペースで掘り出され、8月末には、ついに掘り尽くされた。その後、10月末に洗い尽くされ、12月末に売り尽くされる。最終的に合計22万缶が、1缶300円で義援金と交換され、社員の生活費や石巻市への義援金となった。
この一連の流れを通じて、木の屋にもたらされたのは、次の2つだった。1つは、震災前に製造した商品を元に利益を上げられたこと。次に、作業のために社員が戻って来て、現場のチームワークを復活できたこと。あたり前のようだが、会社というものは「儲けてなんぼ」であり、「人と組織」があるから機能する。木の屋は、震災後数ヶ月にして、会社の土台を取り戻したことになる。
2011年も終わりに近づき冬になると、他社の工場の協力を得て、震災前の商品が復活しはじめた。「岩手缶詰」の岩手町工場では「鯨大和煮」を皮切りに「長須鯨大和煮」「鯨須の子大和煮」が、下関の「東冷」では「鯨ベーコン切り落とし」の製造が開始された。2012年秋には、「三洋食品」石巻工場にて、サバ缶の製造がはじまり、製造ラインには、木の屋の社員も入った。
商品開発担当の松友さんは、「木の屋カフェ」の運営のかたわら、協力工場に出張をくり返し、レシピの復活に尽力していた。
「取引先に提出していた商品仕様書や、タレ作りの担当者、経験者の記憶をたどって、手探りで、一つ一つレシピを復旧しています」そんな地道な作業の甲斐もあって、工場はないながらも、新しい缶詰の製造がスタートしたのだった。
グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが
ロゴを制作!
ガレキと泥の中から掘り返して洗った金色の缶詰は、不思議な魅力が宿る物体だった。津波という修羅場をくぐり抜けたせいなのか、掘り返した人、洗った人の思いが込もっているからか、一つ一つに比類のない力強さと美しさがあった。
木の屋の支援には、そんな缶詰そのものに魅せられて参加する人も少なからずいた。2011年6月、後藤さんから聞いた話は、とても印象深かった。
「昨日、仕事の打ち合わせで佐藤卓さんに会ったんですよ」と後藤さんは、いつもながらの人懐っこい笑顔で切り出した。佐藤卓さんは、日本のデザイン界の第一人者で、当時、Eテレの「にほんごであそぼ」も話題で、NHKテレビ総合の「プロフェッショナル」にも取り上げられている。
「打ち合わせが終わって雑談していた時に、カバンに入れていた洗った缶詰を見てもらったんですよ。そしたら卓さんが、大きく凹んだ缶詰を握って、『はじめて津波をリアルに感じた』と言ってくださって。その言葉がとても印象的で」聞いている私にも何かが伝わってきた。後藤さんは、その後、金色でラベルのない缶詰にまつわるストーリーを佐藤卓さんに話したという。
「震災前からの経堂とのつながりのことから、津波のこと、掘り返して経堂に持ってきて洗ってきたこと、ひととおり話したら、深いところで感じてくださったみたいで」当時、松尾貴史さんのレトルトの鯨カレーのパッケージを考えはじめる時期に差しかかっていた。
「佐藤卓さんにデザインをお願いするのは難しいでしょうか?」と、無理難題を承知で言うと、後藤さんは、しばらくの沈黙のあと、「そうなると素敵だね」とだけ答えた。しかし、佐藤卓さんといえば、「明治おいしい牛乳」のパッケージなど、その仕事は広く知られているものばかりで、今回のデザインを引き受けてくれるのは難しいだろうと思えた。それでも後藤さんは、こう言ってくれた。
「卓さんのところのデザイナー、日下部昌子さんが友だちだから、相談してみるよ」
そして数日後、後藤さんから連絡があった。
「卓さんが木の屋さんのことに興味を持ってくれてるそうなんだよ。一度、松友さんと一緒に銀座の事務所に行ってみようか?」そのことを松友さんに告げると、信じられないという目をして頷いた。
翌週、銀座の佐藤卓デザイン事務所に、後藤さんと私、松友さんの3人で伺うと、佐藤さんは、日下部さんを伴って、アットホームな雰囲気で出迎えてくれた。
「経堂で活動されてるんですね。学生時代、ロックバンドをしていた時、スタジオに行ったことがありますよ」と、経堂の話も切り出し、緊張している私と松友さんをリラックスさせてくれた。松友さんが鯨のレトルトカレーの話をはじめると、佐藤さんは真剣に聞き入り、両手を組みテーブルの上を見つめていた。そこには、金色に輝く缶詰があった。
松友さんのプレゼンが終わったあと、10秒ほどの沈黙があり、佐藤さんの口がゆっくりと動いた。
「これは、やります」重みのある言葉だった。
「ありがとうございます!」松友さんの声が部屋に響き渡った。後藤さんと私も、興奮気味に続いた。佐藤卓さんが協力してくれることになったのだ。
それから暑い夏を挟んで、デザイン仕事が進行した。レトルトの鯨カレーは、後藤さんがコピー一式を担当して、「石巻鯨カレー」というネーミングの商品となった。仕上がったパッケージデザインは、力強いイメージの鯨の黒に、迫力のある白い筆文字の商品名が浮かび上がり、盛りつけ例の写真が食欲をそそる。
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