一故人

金子勇、吉田昌郎—2013年7月の物故者

福島第一原子力発電所所長として、東日本大震災直後に発生した原発事故の陣頭指揮をとった吉田昌郎。ソフトウェア開発者で、ファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」の作者として知られた金子勇。今回の「一故人」は、2013年7月に亡くなったこの二人について綴ります。

Winny開発中止と引き換えに彼が守ろうとしたもの—金子勇(2013年7月6日没、42歳)

情報工学者で、ファイル交換ソフト「Winny」をはじめソフトウェア開発者としても活躍した金子勇は、「プログラミングは仕事というよりは趣味であり、自己表現」と言ってはばからなかった。《自分の思いついたことをプログラミングという形で表に出して、周囲の評価を仰ぐのです。その意味で、自分はプログラマーというよりクリエーターに近いと思っています》とも語っている(『日経ビジネス』2007年1月15日号)。起きたらすぐに作業ができるよう、寝るときもキーボードを抱え、ベッドも電動で起き上がるものを愛用していた。

その金子がプログラミングを始めたのは、小学生の頃にさかのぼる。生年の1970年から計算すると、ちょうどパソコンが商品化された頃にあたる。家にはパソコンはまだなく、電器店に通っては、店頭にあるパソコンで、友達から頼まれてゲームをつくっていたという。店頭ではもちろん保存ができないので、日々違うゲームをつくるということを繰り返した。

茨城大学の大学院時代には情報システム科学を専攻、シミュレーション環境、OS、可視化などを専門とした。ネットワークは専門外であったが、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に勤務していた頃に、複数のスーパーコンピュータをネットワークで接続し、その計算結果を可視化する研究にかかわる。

2002年(当時、東京大学大学院の助手を務めていた)にファイル交換ソフトの開発に着手したときも、この分野にそれほどくわしいわけではなかったが、情報伝達の技術として将来重要になるだろうとの思いがあった。すでにこの時点で、中央サーバーを経由せずに、不特定多数のコンピュータ間で直接ファイルを交換することができる、「純粋型P2P(ピアツーピア)方式」を採用したソフトはいくつか存在した。だが、これらは、ファイルを交換するのにユーザー同士が1対1で“交渉”を行なう必要があった。

それに対し、金子は匿名性と効率性を両立したソフトの開発をめざした。1カ月ほどでできた試験版のソフトは、アメリカで開発されたファイル交換ソフト「WinMX」の進化版という意味で、最後の“MX”の2文字をアルファベットで一文字ずつ進めた「Winny」と名づけ、彼のホームページで公開された。もちろん無償である。その後もユーザーの意見などを参考に、何度かバージョンアップを重ねた。

Winnyでは、ファイルの交換で相手と交渉する必要はなく、ユーザーは欲しいファイル名を検索し、目当てのファイルが見つかれば、それをクリックして待つだけでよかった。その際、ファイルがどこからダウンロードされたのかわからないしくみになっており、きわめて匿名性が高い。それだけに、著作権法に抵触するようなファイルがWinnyのネットワーク上に上げられることも多かった。

2003年11月、Winnyを利用して映画やゲームソフトを無許可でネットに流したとして、著作権法違反の容疑で2人の逮捕者が出たのに続き、翌2004年5月には、開発者である金子も著作権法違反の幇助罪に問われ、京都府警に逮捕、起訴された。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

donkou いまから約1時間、拙連載の最新回を無料でお読みいただけます。よろしくお願いします。 5年弱前 replyretweetfavorite

donkou ケイクス連載、更新されております。よろしくお願いします。 5年弱前 replyretweetfavorite