☆昭和の終わり、バブルの終わり
ここからの「平成パート」は、今回の書き下ろしだ。
この章は、実感としてわかる読者も多いだろう。
昭和最後の日は、昭和64年(1989年)1月7日。土曜日だった。
なぜ曜日まで憶えているかというと、当時ぼくは土曜日の生放送のラジオ番組の放送作家だったからだ。それは奇しくも、この『超日本史』の元々のキッカケを作ってくれた古舘伊知郎さんの番組だった。
繰り返しになるが、
カセットブックの『古舘伊知郎のとんわか日本史』が1987年。
それを元にした『古舘伊知郎トーキングブルース 日本史IKKI進化論』が1988年。そしてこの時は、1989年になってまだ一週間だ。
当然、通常の番組は放送休止になる。朝、ニッポン放送から自宅にその旨の電話連絡があった。だから行かなくてもいい。けれどぼくは、
「あのう、そっちに行ってもいいでしょうか?」
と聞いた。
改元の時、放送局はどうなっているのか?……を見たかったのだ。60年以上前の大正から昭和への改元時、放送メディアはNHKラジオしかない。テレビはもちろんラジオも、民間放送が改元を迎えるのは初めての経験なのだ。せっかく放送業界で仕事をしているのだから、それを自分の目で見ておきたかった。
*
行ってみると、スタジオでは報道部の担当者たちを中心に、事前に準備しておいた放送素材や取材先などを駆使して、厳粛に、そしてテキパキと番組を進行していた。とはいえ、手探りで放送を行っている感じはあった。なにしろ前例がないのだから、当然だ。現場スタッフだけでなく、上層部の偉い方たちもやって来ていた。みんな黒い服装だった。
ぼくは隣のスタンバイ用スタジオにお邪魔して、興味津々見学した。ぼくのようなエンターテインメント系の作家は、こういう時に手伝えることがない。ただの役立たずだ。
知り合いのディレクターに聞いてみた。
「それで、新元号はいつ頃発表されるんでしょう?」
「さあ……」
なにせ初めての経験だから、番組スタッフだって「今日の段取り」がわからないのだ。なかなか発表されないので、ぼくは昼食に外に出た。
ニッポン放送は有楽町にある。少し歩けば、銀座だ。
「昭和が終わる日の銀座はどうなっているんだろう?」
と足を延ばした。寒かったので、うどん屋さんに入った。お客さんは少なかった。食べ終わって料金を払う時、レジ係に「領収書お入り用ですか?」と聞かれた。自分一人で食事をし、しかもたいして高くもないうどんだ。普段は領収書などもらわない。しかし、
(あ、今日が昭和最後の日になるんだよな)
と思い、
「ください」
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