第1話 「ジュノとコンマリ」

現在、文学の世界では何が起こっているのか。そして世界の中で文学はいまどのような位置にあるのか。国境、人種、ジェンダーなどさまざまな枠組みが大きく変わりつつある21世紀にあって、文学はどのように変わろうとしているのか。翻訳家として、研究者として、教育者として、世界文学の最先端と日々向き合っている都甲幸治さんが「21世紀の世界文学」をさまざまなトピックから紹介してゆきます。
第一回は、ジュノ・ディアスさんも夢中なあの日本人!

ピュリッツァー賞受賞作家との韓流ドラマ談義

 こないだジュノ・ディアスさんと夕食会をした。どこか、というと全然アメリカではなく、東京の普通のレストランである。『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を読んだ人すべてがわかるように、ジュノさん自身が日本オタクで友達も多いので、けっこう日本に来ているらしい。

 パートナーのマージョリー・リュウさんも一緒だった。すでに多くの著作がある彼女は2017年、グラフィック・ノベル『モンストレス』でSF界を代表するヒューゴー賞を受賞し、続いて2018年には女性として史上初めてアイズナー賞も獲得した。つまりは、現代アメリカ文学の真の代表者みたいなものだ。ここにピュリツァー賞受賞者のジュノさんが並ぶと、まさにキラキラカップルである。

 という感じでもなく、ジュノさんもマージョリーさんも昔からの知り合いなので、話は至って普通に進んだ。なんでも直前まで北海道旅行に行っていたそうで、ロイズのチョコレートと、焼きトウモロコシの真空パックを貰った。家に帰って食べたら美味しかったけど、あんまり国際交流という感じもしない。

 で、最近何をしている? という話になったのだが、ジュノさんはNetflixで韓流ドラマを見るのにハマっているらしい。『シグナル』がヤバいぞ、二つの時代の刑事が、互いに知らぬまま電話で話すんだ、韓国人の考えることはすごい、なんて言って興奮している。

僕が『トッケビ』にハマっている話をしたら、その英語題は何かと訊かれた。Devilかな、将軍が永遠に生きる精霊みたいになるやつなんだけどと言ったら、ああ、Goblinのことだろ、と言われてしまった。あの、王朝時代の朝鮮から始まるやつ。うーん、ジュノさん詳しすぎる。

アメリカを席巻する「片付けの魔法」

で、もう一つハマっているものがある、とジュノさんに言われた。コンマリって知ってる? ああ、近藤麻理恵ね、彼女の本は何冊か読んだよ。あのコンマリがさ、Netflixのドキュメンタリーに出てて、アメリカでものすごい流行ってるんだよ。そうなの、全然知らなかった。

アメリカ人って変だよな、とジュノさんは続ける。要らないものを捨てて家を片づければすっきりと暮らせます、と言われて、そうなの? そんなこと知らなかった、みたいな顔をして呆然としてるんだから。そんなの、人類誰でも知ってるだろ。まあ、全話見てる時点でジュノさんも同じだ、と僕は思ったけどもちろん黙っていた。

こんなことを言うぐらいだから、ジュノさんはもちろん自分のことをアメリカ人とは思っていない。5歳でドミニカ共和国からやってきて、たまたま50歳までアメリカにいただけのドミニカ人だと思っているのである。だから会うたびに、アメリカ人ってほんと変だよな、なんて話をしている。

こないだも、日本のビジネスホテルに泊まったら、日本人に、アメリカから来たなら本当に狭いって思ったでしょ、なんて言われた話をしていた。狭いわけないだろう。おれがドミニカでどんなに小さい家に住んでたか知ってるか? 第三世界出身者ってのは強いもんなんだよ。

出会うはずのないものが出会っている

さて、家に帰るとどうしてもコンマリの番組が気になって、Netflixに入会してしまった。探してみると、あったあった。Tidying Up with Marie Kondoだ。で見始めたら、あまりに面白くてすぐ8話全部見きってしまった。

最初の著書『人生がときめく片付けの魔法』が出たのが2010年だから、もう10年ほど前のことだ。僕も読み切ったあと、もう着ない服を発作的に40リットルのゴミ袋にいくつも捨てたんだった。で今も服はほとんど持っていないけど、代わりに本が部屋を埋め尽くしている。これをリバウンドと言うのだろうか。

だからコンマリメソッドのことはなんとなく憶えていた。要は、持ち物を集めてみて、手に持ってときめくものは残し、ときめかないものは捨てる、というやつだ。ものは有用だから買ったのだろうに、それをときめき、というあやふやな感覚で判断するのが面白い、と当時は思った。なんというか、必要でものを買っていた時代から、精神的な満足のために買う時代への変化にぴったり沿っているというか。とはいえ、突然コンマリがロサンゼルスに登場し、しかも地元のお宅に突入して、最も見られたくない部分を暴いていく、という映像は、見ていてとても不思議だった。何というか、出会うはずのないものが出会っているのだ。

どうして出会うはずもない感じがするのか。コンマリはアメリカでも、あまりにも変わらないのである。服装は日本の品の良いお嬢様風なままで、化粧の感じも変わらない。すなわち、見た目がまったくアメリカナイズされていない。もちろん少々英語はしゃべる。特に決め台詞の “I love mess!!!” は毎回出てくる。けれども複雑な説明などは、極端に優秀な通訳さんが、キレイすぎる発音で完璧にしゃべってくれる。

しかも、段取りも完璧に日本と同じである。コンマリがまず家に入ると、「家にごあいさつ」のコーナーがある。ちょうど良い場所を探して床に座り込み、目を閉じてちょっと体を前屈みにし、そのまま1分ほど祈りを捧げる。アメリカの家は土足だったりするが、そんなことコンマリは気にしない。

もともと巫女をやっていた彼女が神社を参拝するときの作法から考えたこの祈りだが、アメリカの人達はまったく引かない。むしろ、何だか分からないけどすごい、神秘的、みたいな感じで受け入れ、それだけではなく、一緒に祈ったりする。これは日本でやるときよりも受け入れられてるんじゃないか、とまで思う。

それから本番の整理に入るのだが、これも見ていて衝撃がある。何というか、コンマリは外国の事情や歴史を考慮しないのだ。日本にいたときと同じく、服、本、書類、小物、思い出品という順番で、自分にとって現在必要なものか、そうでないものか、未来を一緒過ごしたいか、だけを頼りに選別できるよう、住人をコーチングしていく。そのとき、個人の事情によってやり方を変えることはほとんどない。

「コンマリメソッド」が浮かび上がらせるアメリカの多様性

というと彼女を批判しているようだが、そうではない。メソッドが日米で完全に同じだからこそ、ドキュメンタリーを見ていると、個別の事情が手に取るように見えてくる。コンマリが物差しになることで、アメリカの多様さが浮き彫りになってくるのだ。

たとえば、第7話「赤ちゃん誕生に向けて」では、中南米系の男性がおそらくアングロ系の女性と暮らしている。赤ちゃんが生まれてくるので、ものでいっぱいの家を片づけたい。でもその先にはなかなかの困難が待ち受けている。彼はスニーカーのコレクターで200足近く集めている。もちろん一度も履いたことがないものさえある。どうしてこんなに集めてしまったのか。

理由は彼の幼少期にあった。ベネズエラから親と移民してきた彼は、とても貧しい少年時代を送った。だから、父親が失業していた時代に買ってくれた上着は、大切すぎてどうしても捨てられない。スニーカーだってそうだ。他の家の子はかっこいいスニーカーを履いていたのに、自分はどうしても買ってもらえなかった。そして就職してお金が自由になった瞬間から、彼は延々とスニーカーを集めていたのだ。言い換えれば、あの頃の自分のために買っていたのである。

だがもちろんコンマリは容赦しない。この中から、今のあなたがときめくものだけを残してください、と彼に言い放つ。そしてとうとう彼は、100足を手放すことを決意するのだ。コンマリの更なる容赦のなさが際立ったのが、古い郵便受けのシーンだ。中南米系移民にとって、ちゃんとした家を自分で買うというのはとても大きなことなんだよ。買ったときに付いていた郵便受けは、だから絶対に捨てられないんだ、と男性は言う。

するとコンマリは言うのだ。今この郵便受けを持って、あなたはときめきますか。未来でも一緒にいたいですか。しばらく黙り込んだ彼は、ついに郵便受けを処分する、と言ってしまう。今使っているきれいな郵便受けのほうがよっぽどときめくからね、と。このシーンを見ていて、なぜだか僕は泣きそうになった。ねえ、一回ぐらいはコンマリに抵抗してみようよ。たとえときめかなくても、人生には大事なものがあるんじゃないのかい。

同様のことは第6話「ガラクタとの決別」で、パキスタン系女性とアングロ系白人男性のカップルの家でも起こる。全てを捨てたいと思っている男性に対して、女性は子どもが成長する間に使ったほぼ全てを取っておきたいと言い張る。なぜか。おそらく、彼女も移民二世として貧しい幼少期を送り、まだ使えるものは捨てるな、という東洋風のモッタイナイ精神を叩き込まれて育ったのではないか。

それがうかがえるのが、彼女がふと漏らした一言、「このおもちゃはとっておいて、私が遊ぶから」である。彼女はちょっとしたユーモアのつもりで言っていたのだろうが、僕の心にはグッと刺さってしまった。大人になった今も、おもちゃを前にすると彼女は子供時代に戻って、本当に遊んでいるのではないか。

けれどもそんな彼女の過去を、合理主義的な夫は理解しない。彼女の異様なまでに上手い英語も、移民が同化するための必死の努力から来ているとは思わず、単に当たり前に受け止めている。だから妻を単に片づけられない人と責め立てるばかりなのだ。

コンマリのドキュメンタリーを見ていると、本当に国際化するものとは何か、という点で僕らは誤解ばかりしていることがよくわかる。コンマリは特にアメリカに合わせないし、大して英語も喋らない。現地の歴史や文化もほとんど考慮しない。けれども、彼女が考え抜いたメソッドは、不要品に囲まれた先進国の人々にはあまりにドンピシャなので、凄まじい勢いで受け入れられる。

もちろん、コンマリと彼女にコーチされる家族は、良い具合に誤解し合っている。というか、夫婦ですら文化の違いを乗り越えられていない。それでも、ものを通して自分と向き合う、というコンマリメソッドは、奇妙なほど効果的だ。

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

ジュノ ディアス,Junot Diaz,都甲 幸治,久保 尚美
新潮社
2011-02-01

この連載について

世界文学の21世紀

都甲幸治

現在、文学の世界では何が起こっているのか。そして世界の中で文学はいまどのような位置にあるのか。国境、人種、ジェンダーなどさまざまな枠組みが大きく変わりつつある21世紀にあって、文学はどのように変わろうとしているのか。翻訳家として、研究...もっと読む

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コメント

kous37 うーむ、面白い。ネトフリの番組の中で一番面白そうだ、こんまりさん。 https://t.co/oimwsXkX4a 3ヶ月前 replyretweetfavorite

AyumiBooks_W ジュノ・ディアスがコンマリにハマっている? 3ヶ月前 replyretweetfavorite

kawaguchiai ジュノ・ディアスさんも、spark joy!!!! 3ヶ月前 replyretweetfavorite

miharu_osanai このコンマリ評はおもしろい…初めてちゃんと観てみようかなと思った 3ヶ月前 replyretweetfavorite