崇神(すじん)天皇の即位
ミマキイリビコイニエ(御間城入彦五十瓊殖)は、開化(かいか)天皇の第二子です。
母は物部氏(もののべし)※1の祖先オオヘソキ(大綜麻杵)の娘で、イカガシコメ(伊香色謎命)といいました。
ミマキイリビコイニエは十九歳で皇太子となりました。物事の善悪を見極める素質を備え、若いときは雄大な計略を好み、壮年には心が広く慎み深く、天地の神を崇(あが)め、常に天下を治め整えようとしていました。
開化六十年四月、父の帝・開化天皇が崩御しました。
元年正月十三日、皇太子は崇神(すじん)天皇として即位し、先の皇后を尊んで皇太后としました。
二月十六日、ミマキヒメ(御間城姫)を立てて皇后としました。皇后は、イクメイリビコイサチ(活目入彦五十狭茅天皇=第十一代垂仁※すいにん天皇)・ヒコイサチ(彦五十狭茅命)・クニカタヒメ(国方姫命)・チチツクヤマトヒメ(千千衝倭姫命)・ヤマトヒコ(倭彦命)・イカツルヒコ(五十日鶴彦命)を生みました。また別の妃・トオツアユメマグワシヒメ(遠津年魚眼眼妙媛)は紀伊国(きのくに)のアラカワトベ(荒河戸畔)の娘ですが、トヨキイリビコ(豊城入彦命)・トヨスキイリビメ(豊鍬入姫命)を生みました。