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じょうずに言葉が出ないとき、ものを差し出す人がいる。
隣のクラスの好きな子に、漫画を貸してあげる、みたいな。
もので好意を示すのは、人間を含む多くの動物がやることだ。カラスは餌をくれる人にいい感じの小石をプレゼントするし、蜘蛛は獲物を糸でギフトラッピングする。たまに、「自分の好きな人はこんな自分になんか興味がないだろうからものをあげよう」って発想から、ものやお金を貢ぎまくって、お財布も心もすっからかんになっちゃう人もいるけど……そういう、お財布と心をすり減らすような一方的貢ぎまくり行為の必死さも含めて、ものをあげるって、すごく原始的で、根源的な、生き物のコミュニケーションだなあ、って、思う。
はじめてシフォンさんがやってきたのは五月のことだった。
ピンポン。呼び鈴が鳴る。
気持ちよく晴れた日の、日が落ちる頃のこと。
はあい。
インターフォンで応答する。
ビクッとした。
いつもいる、あの人がカメラ越しにこちらを見ていた。
その時わたしが住んでいたうちは都心の、大通りをちょっと入ったとこの二階。部屋の窓からは見渡す限り、建物、建物、建物だらけだった。わたしはいつも窓辺に座り、食事をしてた。仕事もしてた。お隣さんちの外階段が、目と鼻の先に見えていた。
そこを毎日上り下りする、小柄な女の人がいた。50代かな。シャキシャキしてる。たまに目が合う。ガラス窓越しに。そうしているうち、顔を覚えた。だけど挨拶しなかった。ここは都心だ。東京砂漠。「隣は何をする人ぞ」。
そんな、「いつもガラス窓越しに目が合うけどしゃべったことない隣の人」が、インターフォンに大写しになっている。マジでビビった。ゴミ出しの文句かな?それとも、こないだ十代の女の子たちが家に集まった日、盛り上がってみんながきゃっきゃしながらリトルグリーモンスターを歌って踊ってたことについての苦情かな? わ、わたしはリトグリの世代じゃないぞ。
「あの、こんにちは」
その人は言った。ビビりながらドアを開けたわたしに、その人もビビりながら言った。
「あの、突然、ごめんなさいね、隣に住んでる長田といいますけど、あの、いつも、引っ越していらしてから、ね、皆さん、楽しそうで……」
ヒィッ! 苦情だ。“お嬢さんピアノじょうずにならはりましたなあ(丸聞こえなんだよ)”式の京都人メソッドの苦情だあ!!
「すみません、すみません!!」
「あ、いえ、あの、違うんです」
その人は手をパタパタして、
「本当に、楽しそうにしていらっしゃるから、いえ、あの、のぞいていたんじゃないんですよ。そうじゃないんですけど、ごめんなさいね、あのね、これ、わたし、畑をやっていて、すごくたくさん採れたの、だからあの、ご迷惑でなければ。どうも。ごめんください」
わたしにレジ袋を渡して、そそくさと帰っていった。いい匂いのローズマリーが入っていた。ローズマリーは多年草だから、無理に収穫する必要はないはずだ。ということは、本当にプレゼントしようと思って採ってきてくれたんじゃないかな。その人が外階段を上がっていく音が聞こえた。足音が聞こえなくなってから、わたしは、部屋に戻った。
ローズマリーで魚を焼いて、わたしはひとり、考えた。
子どもの頃の通学路にいた、赤鬼おばあちゃんのこと。
「おせんべい、好き?グミもあるのよ。あそこがおうちよ。いらっしゃい」
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