「所詮ベンチャー」という屈辱から上場を目指す
藤野 強制捜査の直後は、ライブドアや堀江さんと関わりがあったというだけで、ネガティブな見方をされてしまう雰囲気がありました。そんな空気のなか、まだ実績のないベンチャー企業が資金調達をしたり、研究協力をあおいだりするのは、とても大変だったと思います。どうやって、その時期を乗り越えたのでしょうか。
出雲 そうですね……2008年の5月に伊藤忠商事さんからの出資が決まるまでは、本当に経済的に苦しかったです。何度も資金がショートしそうになりましたし、役員にもアルバイト以下の報酬しか出せなかった。でも、苦しいと感じるヒマもなく、どうしたらミドリムシをいろんな人に知ってもらい、食べてもらい、研究応援してもらえるのか、ということをずっと集中して考えていました。それ以外は考えていなかった。そうしたら、心底ミドリムシと一体になれたというか、ミドリムシのことが一層好きになりました。
藤野 ミドリムシへの思いが、出雲さんを支えていたんですね。
出雲 その時期に、ミドリムシのことがもっとよくわかるようになりました。そうすると、やっぱりミドリムシっておもしろいし、すばらしいんですよ。こんな生物、ほかにいません。これはもう、必要としている人に絶対届けなくてはいけない。その一心で、がんばっていました。
藤野 伊藤忠からの援助というのは具体的にどういうものだったのでしょうか。
出雲 研究開発費として出資をしてくれて、販売パートナーにもなってくれたんです。そこからは、伊藤忠が援助しているのなら大丈夫だ、とさまざまな企業が支援してくれました。資金調達も、共同研究もぐいぐい進むようになったんです。
藤野 上場を意識し始めたのはいつ頃なのでしょうか。
出雲 2009年に、JX日鉱日石エネルギーと日立プラントテクノロジー、ユーグレナの三社で、ミドリムシからバイオジェット燃料を製造する共同研究が始まったんです。目標は2018年に技術として完成させ、2020年からビジネスとしてミドリムシ燃料を出荷すること。その打ち合わせをしていたときに、自分としてはかなり屈辱的なことがありました。
藤野 何があったんですか?