嫌だなぁ……。
去年4月、僕の新年度はため息とともに始まった。新3年の世界史を受け持つことになったのだが、そのうちの1クラスに、僕が顧問をする野球部の「元」部員がいたのだ!
僕がその学年を担当するのは初めて。だから、彼が1年の冬に野球部をやめて以来の「再会」だった。部活をやめた生徒と授業で顔を合わせるのは、すさまじく気まずい。
4月、最初の授業で「再会」したときのお互いの顔のひきつりようと言ったら……思い出したくもない! あぁ、うまくやれるかなぁ。
*
彼はキャッチャーだった。入部早々に頭角をあらわし、秋の大会ではレギュラーとなり、クリーンナップを打った。彼の好守備や決勝打で勝利をもぎ取った試合も多かった。
けれど僕は知っていた。彼は、中学生の頃から守ってきたキャッチャーというポジションに、とっくに飽きていたのだ。
シートノック(各ポジションについた選手へのノック)のとき、我がチームは部員が少ないため、キャッチャーは球ひろいや球つぎに駆り出される。彼は明らかにやる気がない。かけ声も蚊の泣く程度。露骨にため息をつく。
ノックを打つ僕は、「キャッチャーがシートノックを仕切るんだ、くらいの誇りを持てよな」とハッパをかけたけど、効果は一瞬だった。本当はサードやショートを守りたがっていたのは部員の誰もが知っていたが、彼のほかにキャッチャーをできる部員がいない!
そんなこんなで、1年の春・夏・秋と、彼はキャッチャーのまま部活をつづけた。いざ試合となれば燃えるし、楽しいし、ぞんぶんに活躍した。部員ともわいわいやっていた。
問題は冬。試合のシーズンが終わり、基礎練習や筋力トレーニングが中心となる。試合を楽しみにしている彼には、つまらない冬。
ついに事件は起きた。
上級生がブチ切れた、1年部員の「乱」
彼は1年部員7名を引き連れ、放課後の練習をサボった。キャプテンにも顧問にも無断で、バンドのライブに連れ立ったのだ。道すがら、うまそうなラーメンをすする姿をもツイッターにアップ! それを見た上級生はブチ切れた。
集団レジスタンスって……。どうせやめる覚悟なんだろ。部にとどまるよう説得なんてしねーからなバカヤロ——!(本当はしたい) 僕の心中も穏やかではなかった。
上級生や僕は、せめてこの屈辱を笑いとばそうと、そのバンドにちなんで「ウーバーの乱」と名づけた。
1週間ほどして、6人は謝罪の言葉を胸に教員室に来た。もともと体を動かすことが好きな子たち。内心ほっとしながら、めらっとした怒りをチラ見させて説教し、部活の参加を認めた。
けれど、乱の首謀者は来なかった。キャッチャーの彼である。
それっきりバイバイ、というわけではなかった。数週間して、僕が野球グラウンドに向かうと、キャッチボールの列にしれーっと彼がいたのだ。
何ごとか、とあせった僕がキャプテンに問うと、「いや、オレらはもう許してるんで……」。たしかに彼が抜けると、戦力の大幅ダウンは否めない。それでも、部活はサークルじゃない。最低限のけじめはつけないとだめ。僕はそう思い、何くわぬ顔でキャッチボールする彼に声をかけた。
「おーい。部活への参加はまず顧問と話し合ってからだろ。黙って再開ってのはありえない。今日は部活やめとけ。明日の昼イチ、教員室来いよ。待ってるから。OK?」
「そうすか……。すいません。じゃ」
彼は、とぼとぼとグラウンドを去った。
それっきりだった。教員室に顔を見せることはなかったし、二度と部活に来なかった。彼の何かがぷつんと切れたのだと思う。僕の対応も、結果からすれば誤っていたのかもしれない。
7月、僕は勝負に出た
あれから1年ちょっと。3年になった彼と、世界史の教室で再会したのだった。
久しぶりの彼は相変わらず無愛想だったが、頭のキレはよかった。部活は部活、授業は授業だ。心を入れかえた僕は嘆息を封印し、精一杯歴史の楽しさを共有しようと努めた。
彼のクラスも、歴史の授業を歓迎してくれていた。そのムードの中、彼も「乗せられ」、授業を楽しんでるようだった。最初は伏しがちだった目が、みるみる大人の目になり始めた。近現代史は僕の専門分野。作業的な暗記の向こうにある歴史の解釈や評価の森に、彼も足を踏み入れたようだった。
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