※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。
「男とか、女とか、気にしないから、私。」
……っていう自分でいるために、無理していたりはしませんか?
今回ご紹介するのは、レズビアン/パンセクシャルを自認する方からの、「恋人が男性ホルモン投与や胸の手術の予定で男性化していく。好きでいられなくなったらと不安だ」というご投稿です。
性別問わず、セックスや性的関係を断られたことを、そのまま「存在まるごと否定された」と受け止めてしまう人がいます。
これは、セックスや性的関係に「存在まるごとの肯定」を求めてしまう、いわば肯定をアウトソーシングしてしまうことの裏返し。
「誰に肯定されなくても誰かに否定されても別に自分、存在しててよくね? って言うか良くも悪くもないし。ただ存在してるんだし」感は、自力で持ちたいものです。そこに至るまでに、誰かに嘘でも「好きだよ」って言ってもらうこと、性欲だけでも丸裸の全身を抱きしめてもらうことは、ステップとしてあることかもしれないですけれど……最終的に、「我思うゆえに我あり」っていうかむしろ「我あり。だって我、あるんだもん。」の境地に自分を至らしめるのは、他者の愛撫ではない。自分自身です。
全然疑わないデカルト。
我、あり〜〜〜。
ってことで、
性的なことを断るにあたり「相手を否定しちゃった」みたいな罪悪感を持たなくていいんだよ
性的なことを断られても「存在を否定された」と思わないことだよ、誰も肉体だけの存在じゃないよ
みたいな話を、今日は、したいと思います。ご投稿をご紹介します。
こんにちは。いつも連載等拝見しています。私はレズビアン/パンセクシャルで今FTM/FTXのパートナーがいます。
(※牧村注……パンセクシャルは、「汎性愛者」と訳され、「性別は男女二つじゃない。自分の恋愛に性別は関係ない」というあり方のこと。FTMは「女性とされて生まれ男性として生きる」というあり方で、「トランス男性」とも言います。FTXは「女性とされて生まれたが、男女どちらかに自分を当てはめないXジェンダーを生きる」というあり方のことです。)
最近ホルモン投与を開始し、いずれは胸オペ(※牧村注……乳房切除手術の俗称)をするつもりとのことです。
段々と自信をつけていく恋人はとても素敵な一方、どんどん所謂男性の見た目に近づいていくのがしんどいですがまさか本人には言えません。アイデンティティーとしては2人とも男とか女とかどうでもよくない?くらいの感じで心地良くやっているのですが、周囲のもっと長くテストステロン(※牧村注……男性ホルモン)投与を続けている友達の変化を見ると恋人のことを好きでいられなくなったらととても不安です。
しかもお互いジェンダークイア(※牧村注……男女二元論や男らしさ・女らしさの押し付け、異性愛中心主義といった、性の“ふつう”を疑うあり方のこと)だといいつつ、もし相手の見た目が変わったことによって好きでいられなくなったら結局私は他人を男女で見ている気がして人間辞めたくなります。性別等気にしていないつもりでも、恋人となると私が風俗で働いているのもあってどうしても男性っぽい見た目、が好きになれる気がしません。(恋人以外の友達などであれば当たり前ですが気になりません) 私は心が狭いんでしょうか?恋人とは結婚も考えていますがその点だけが不安です。
ご投稿ありがとうございます。
それこそ、クィア(普通を疑う態度)で行きましょう。
あなたは、自分に強いてはいませんか。
「男とか女とかどうでもよくない?」って態度こそが正しい、と。
新しい“普通”を探して自分に強いてませんか?
LGBTであるとか、ジェンダークィアであるとか、「男とか女とか気にしないから私」っていう顔をするために、気持ちを押さえる。っていうのは、「新しい“普通”の押し付け」を自分に対してすることではないかと、私は思うんです。