つらいきもちを誰にも見つけられたくない
わたしにはつらいことがありません。
会社は5時定時で仕事内容も難しいものではありませんし人間関係に困っているわけではありません。
家に帰れば実家暮らしで私の全てのことをやってくれます。友達も5人くらいしかいませんが特に困っていません。
恋人は今はいませんがそれは問題でないように思います。私にはつらいことがないんです。
なのに
毎日つらくてくるしくてしんでしまいたいんです。
なぜですか?
わからないんです。明るく元気なわたし
つらくてしにそうなわたし
どちらもわたしなのに他人のように感じます。ああわたしのつらいきもちを誰も見つけないでくれ
笑顔で電車に飛び込んでしんでしまえば
みつからないですみますよね
(まお・26歳・女・ガチメンヘラ)
つらそう。
ちょっと今回、言いたいこと山盛りにしたので、ゆっくり咀嚼してほしい。
あなたの視野が少しでも晴れるよう、わたしの経験も盛り込みつつ進めます。
「つらい」に資格はない
まず。今回のような「つらい」の解決ステップをシンプルに考えると、
・自分は「つらい」のだと認める
・その「つらい」に対し具体的な原因を探り、解決策や、自分を癒す方法を考え実行する
という感じがスムーズだと思う。
……のだけど、ものすごく事態を複雑化させているのは〈毎日つらくてくるしくてしんでしまいたいんです〉に相反する〈私にはつらいことがないんです〉という考え。
これが「つらい」と認めることを阻止してる。
この場合の〈私にはつらいことがないんです〉という言葉を翻訳すると「私には一般的に『つらい』と認められるようなつらいことがない」ということだよね。
これは重要なので音量上げて聞いて欲しいのだけど、本来「つらい」には基準も資格もない。
つらいは相対的なものではなく、各々が”つらい”と思った瞬間に「ハイつらい!」と認めていいもの。
だけど最近、メディアやsnsを覗けば世の中の本格的な「つらい」エピソードが並び、生半可な状況じゃ「つらい」って自分でも認めにくい感じ、ないだろうか(恥ずかしながら私は、ある)。
実際この連載に届く相談文に「私の悩みなんて大したことないのですが」という補足がついてるものも少なくない。そんなこと本来、気にする必要ないのに。
つまり自戒を込めて改めて言いたいのだけど、虐待されたことがなくても、親の人格が崩壊してなくても、ブラック企業で働いたことがなくても、リストカットしたことがなくても、実家暮らしでも、友達がいても、どれだけ”恵まれた状況”にあてはまっていようとも、本人が「つらい」と感じるならそれはもう「つらい」なんだよ。
あなたの状況が一般的に”つらい”かどうかなんて、クソどうでもよく。
〈毎日つらくてくるしくてしんでしまいたいんです〉って感情が実在してるなら、それはもう絶対的に「つらい」。
あなたはとてもつらい。すごいつらい。死ぬほどつらい。飛び降りることを考えるくらいつらい。
つまり間違っても「つらいことがない」なんて状況ではなく「今は原因がわからないだけで自分なりにつらいことが必ずある」が正しいと思う。
その前提で、いっしょに、改善策を考えよう。
あなたの叫び
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