「男を食べたい」と思ったのは、一体いつからだろう。
はぁ、と荒い息を吐きながら、目の前でヒトミちゃんが男を犯している。
ぎっこんばったん、ボートを漕ぐみたいに大きく上体を揺らし、ほおを紅潮させ、恍惚に体を震わせながら、ヒトミちゃんは跨った男に夢中で腰を打ち付ける。男は白目を剥き、手足をひくつかせ、意識があるのかどうかさえ分からない。
空から降り注ぐ青白い光がぐるり、と地面に弧を描き、彼女の裸体をくっきりとその中に浮かび上がらせる。月の光ではない。月は崩れたビルの影に隠れ、私たちのいる位置からは見えない。回遊するドローンのサーチライトの光だ。私たちが「狩り」をきちんと行っているか、常に監視している。
ぶるり、と体を震わせて、ヒトミちゃんが腰を持ち上げた。大きく開いた脚の間の、艶やかな朱が露わになる。ぱっくりと割れたざくろみたいに、果汁を滴らせ、赤く色づき、ペニスを深々と飲み込んでいる、ヒトミちゃんの中心。
綺麗だ、と思う。彼女の性器を、そこから続くなだらかなヒップを、みずみずしい乳房を。豊かにうねる亜麻色の髪を、潤んだペリドットの瞳を、地面を踏みしめ、指を深々とめり込ませる、筋肉に覆われた逞しいふくらはぎを。
こんな綺麗なものなら、いつまでも眺めていたいのに、そう思った途端、私の身体の下で男が「ぐぅ」と呻いて、私はヒトミちゃんの脚の間に刺さっているのと同じものが、私の中にも入っていることをようやく思い出す。男は私の気がそぞろなことに不満げだ。それでも組み敷いた両腕の間から、熱に浮かされたような表情で私を見上げてくる。それを見た途端、快楽を生むはずの私の膣はまるで鉄パイプのように硬く冷えてゆく。
個体が変わったところで男たちの反応は判で押したように変わらない。見よう見まねで腰を動かせば動かすほど、彼らの芯が私の中で膨らめば膨らむほど、私の心はしゅるしゅると萎んでゆく。
ああ、今日も早いとこ終わんないかなぁ。
ヒトミちゃんの動きがひときわ激しくなった。上体を仰け反らせ、男の腕に爪を食い込ませて下腹を打ち付ける。脚の間の充血がいっそう濃くなり、ペニスが膨らんで、突き出された丸いお尻が痙攣する。
ヒトミちゃんが歓喜の声を漏らすのとほぼ同時に、男はびくびくと体を震わせて果てた。一仕事終えた、とばかりに、ヒトミちゃんは満足げな、慈愛に満ちた表情で男を見下ろしている。
サーチライトの光がもう一度ぐるりと地表を撫で、彼女の肌を淡い虹色に輝かせる。体表をみっしりと覆う、私たちの学校で一番美しい、エメラルドグリーンの豊かな麗しい鱗を。
男がすっかり射精しきったのを確認した途端、ヒトミちゃんはその鋭い2本の牙でためらうことなく男の喉を食いちぎった。
私たちの暮らす衛星ユングは15歳から18歳までのメスのみで構成されたコクーン型の小さな学園星だ。月に1度、レッド・トーンの期間中に地上で“狩り”を行うこと、卒業後には上級士官として軍に服役することが、遺伝子検査のレベル分けで特Aクラスに分類された私たちに課せられた義務である。
「あーもう、あの先生、マジでウザすぎ!なんとかしてよ、もう」
マミちゃんの苛立ちを含んだ大声が、カフェテリアじゅうに響き渡る。
「『子供を産むこと、我が国を守ることは、みなさんに課せられた素晴らしい使命です。しっかりと全うしてください』……だって。知らんし、まじで。クニのことなんか知らねえしまじで」
マミちゃんは大きな胸をぶるん、と震わせて椅子にふんぞりかえると、液体栄養剤(リキッド)のパケをぐちゃりと握りつぶして一気に飲み干した。学校配給の不味い基礎食を手早く摂取し、あとは時間ギリギリまでくっちゃべるのが、レッド・トーンを同じくする私たちグループの昼休みの日課だ。
「仕方ないよ。今の出生率、めちゃくちゃ低いんだもん」
隣でヒトミちゃんが目線をノートに落としたまま言う。昼休みに次の授業の予習をするなんて、私たちの中では特A++に分類されているヒトミちゃんだけだ。
「私たちが戦争行って子供産まなきゃ、この国滅びちゃう」
うちらの先祖がおよそ考え付くかぎりの悪略非道な行為をやり尽くしたせいで、今や地上は全くと言っていいほど妊娠出産に適さない環境になってしまった。大気汚染に疫病の蔓延、加えて国々は残り少ない資源を巡り常にどっかしらと戦争していて、人口は西暦2000年ごろと比べてわずか4分の1ほどしかない。
焦った国家連合は遺伝子の改良によってどんな環境にも耐えうる新しい人類を作り出そうとした。遺伝子改変ウイルスを搭載した分子ナノコンピュータが私たちの先祖の体を駆け巡り、DNAを書き換えた……は良いけれど、あれよあれよと言う間に進化したのは、どういうわけだかXXの染色体を持つ女たちだけだった。鱗に覆われた体、岩をも噛み砕く強い牙、一撃で敵を撃ち殺す長い爪。身長平均2mの、地上にいるどんな生き物より生存に適した強いボディを女たちは手に入れた。急いで進化の針を早めた結果、私たちメスは一足飛びで前の前の、ずーっと前のティラノサウルスみたいな姿に変身しちゃったみたいなのだ。
対して男は昔と同じひ弱なフォルムのまま、今日も地上でうだうだ困りながら暮らしている。人口の9割を占める男たちがシティと呼ばれる狭い居住可能区域で労働に従事する間、私たち1割の(あ、そうそう、なぜだかメスの方が、ずっとずっとオスよりも出生率が低い。生き物って、都合よく進化するもんだよね)女は人工衛星の上で日々国家の「テキ」と戦いつつ、せっせと子作りに励んでいる。とはいえ現在の戦闘ってのはだいたいオートマだから、強い牙も爪も、別に必要無いっちゃなくて、もっぱら"狩り"の時に暴れる相手を押さえつけるとか、硬い首筋を噛み切るとかのためにしか使われない。
"狩り"って?……もちろん、セックスのことだ。
「えー、わたしは赤ちゃん、欲しいけどなぁ」
隣で妊娠促進剤入りポップコーンを口いっぱいに頬張りながら、シホちゃんが言う。
「だってさぁ、たくさん産んで ”名誉女性” になったら、兵役免除でしょお?それって超楽チンじゃん。一生男食べてぇ、コドモ産んでたぁい」
「あんたはそれ、戦いたくないだけでしょお」とマミちゃんがシホちゃんの頭を小突く。
セックスは普通、捕食の形で行われる。詳しいことはわかんないけど、遺伝子をいじくりまわした結果、私たち女の身体はなぜだかセックスしたら男を食べないと受精しない仕組みになっちゃったみたいなんだ。
初期の頃には男の安楽死が義務化されたらしいけど、死んだ男の肉じゃ私たちは妊娠しない。狩猟時に出るなんとかってホルモンが着床を促すんだって。人工授精で手を打とうって話にもなったらしいけど、それだってすぐに撤廃された。
……なにより、為政者の女たち自身が己の食欲を止めることを良しとしなかったのである。
「どうして強い方の性が、自らの欲望をすすんで否定することがありましょうか?」——3人の夫と72人の愛人を食べ、最終的に21人の子を産んだ初代ロシア女性大統領イリーナの言葉である。
「我々聡明な人類は、知性で持って哺乳類が侵してきた進化の過ちを正したのです。……すなわち、権力を握るべき方の性が、肉体的なパワーをも同時に併せ持つという、本来生き物があり得べき姿へと」
……ま、そういうわけで、今じゃ女が男を狩るのは当然ってことになってる。産めよ増やせよ科学の子。たくさん産んで闘えよ。建前ではクニのためって言いつつ、私はそれ、単純に女たち自身の ”喜びのため” だと思うな。だってそれすらなかったら、このちっぽけな衛星(ホシ)での生活は、やってらんないくらいに退屈なんだもの。
「ったく、それにしたってなんで女が全部やんなきゃいけないのよ。昔は男の方が戦争行ってたのにさ」 マミちゃんはまだ、文句を言っている。
「昔は女のほうが、男よりもずっとずっと体力的にも立場的にも弱かったんだよ」
ヒトミちゃんがノートから顔を上げて言った。
「ま、本当はその頃だって、男より女の方が精神的にはずっと逞しかったと思うんだけどさ。——男たちはそれを恐れて、女たちを体力と腕力で支配したんじゃないかな」
ガラス張りのカフェテリアからは、外に浮かぶ地球がよく見える。燃えるような青白い光が、窓際に座るヒトミちゃんのすべらかな体に反射し仄かなグラデーションを作る。美しい鱗を持つ子は校内でも憧れの的だ。私のグレイッシュな鱗をヒトミちゃんはクールだねって褒めてくれる。でも、私はヒトミちゃんの、全身が宝石箱みたいに輝く豊かな翡翠色の鱗の方が何百倍も価値があるってこと、私を素通りして彼女に突き刺さる級友たちの視線から、嫌という程知ってる。
「ふぅん、昔は女って大変だったんだねぇ。わたし、今の時代に生まれてよかったなぁ」
シホちゃんがノーテンキに笑う。
「昔はさ、男が女を"食う"って言ったらしいよ」
「え、どゆこと?」
「ほら、昔はさ、女が男を選べなかったから、ひたすら選ばれ待ちの人生だったらしいよ。あまりに待ちすぎて、ちんこ切り取っちゃった女もいたんだって」
「えー、すっごぉい。そんなに妊娠したかったのかなぁ」
「うーん。そういうのとは、ちょっと違う気がするけど」
私はみんなの会話について行けず、黙って液体栄養剤(リキッド)をすすっている。
私の痩せっぽっちの体に命が宿るなんて、考えたこともない。
こんだけたくさん産む女がいて、一人くらいサボったっていいじゃん、って私は思うんだけど、なぜだか女は昔っから、くまなく子供を産むことになってるらしい。地球の人類全員が抱える同じ営みから、私は逃れられない。みぃんな同じ、誰かか誰かか誰かか誰か、どうあがいても、私は他の誰かがやってることをそっくりそのまま繰り返すしかない。
クニを守って男食って、子供産んで、育てて、それで終わりは名誉の戦死、それが私たちの使命です、なんて、なんだかとってもイケてない。
“名誉女性” になんて、別になりたくない。けど、それ以外の何かになる方法を、今の私は知らない。
「私も子供、欲しいけどなぁ」
そう言いながらヒトミちゃんは窓の外に視線を向けた。涼しげなアーモンド型の目に、丸い青が2つ、宿る。
「なんか、産んでみたい。生きてる証、ってかんじじゃん。もし戦闘で死んじゃったら、何も残らないわけだしさ」
クールでボーイッシュなヒトミちゃんが妊娠したがってるなんて、何だか意外だ。
私は自分がちっちゃくなって、ヒトミちゃんの胎内に潜り込むところを想像してみる。陸上部のトレーニングによってきっちり絞られた筋肉と、ふんわりした脂肪がちょうどよいバランスでついているヒトミちゃんのお腹の中は、きっと毛布と羽毛蒲団を二枚重ねたようにほかほかして暖かく、外界から胎児の私を守ってくれるに違いない。
「ユミは、どう?男食べるの、好き?」
いきなり話を振られて、私は思わず液体栄養剤(リキッド)を喉に詰まらせた。
6本の視線が私に集まっている。
「ユミは私たちの中でも誕生日が遅かったからさ、 ”狩り” デビューしたの、最近じゃん。どう?もう慣れた?」
ヒトミちゃんがおずおずと、私の顔を覗き込みながら言う。優しいヒトミちゃん。どうしよう。どう答えよう。
みんなと一緒に、ユングの外に行けるのは嬉しい。でも、みんなが言うような気持ち、自分の体じゅうを探しても、どこにも見当たらない。
「あのさあ」
おそるおそる、私は口を開いた。
「……みんな、女に生まれてよかったな、って思う?」
言った途端に、ハズした、と思った。好奇心に彩られた6つの瞳が、途端にきょとんとした丸に変わる。やばい、フォローしなきゃ、そう思った瞬間、
「きゃはははは!」
マミちゃんのけたたましい笑い声が耳を劈いた。
「え、ユミ、何言ってんの、ちょ、信じらんないんですけどぉ」
「男の方が良かったってこと?……そんなわけ、ないじゃあん」
隣でシホちゃんがつられて苦笑する。
「ユミ、男食べるの、嫌いなの?」
「そう、じゃないけど……男食べたりさ、子供作ったり、戦争行かない人生も、アリ、なんじゃないかって」
「逃亡ってこと?……逃亡は重い罪だよ」
「……」
「あんた、まさか男食べるのに、罪悪感とか感じちゃってんの?」
マミちゃんがふんぞり返ったまま、レーザーのように鋭い視線を私に投げかけた。
「無理無理!あのね、うちらが男、食べるのは、本能だからに決まってんじゃん!そういう風にプログラムされてんの!だから当たり前!」
口を開こうとする私を遮り、彼女は続ける。
「男に生まれるなんて、絶対にアタシはやだな。こき使われて、いい歳になったら食べられるなんてマジで虚しいじゃん。食べられなかったらそれはそれで『残飯』って蔑まれてさぁ」
「そぉだよぉ。食べられるのって、痛そうだし」
「……どーかなあ」
ヒトミちゃんが、両手で頬杖を突いて言った。
「食べられる瞬間、男はつらい、って言うけどさ……私はほんとかな、って思う。射精した本当に直後の男ってさ、なんか、全てを悟りきったみたいな顔してるよ。多幸感に包まれるホルモンみたいなのが出てる気がする。そうじゃなきゃさ、女に黙って食べられないと思うんだよね。なんかさ、私、男とセックスしてる時って、祭壇の上にいるような気がするんだよね。なんていうかさ、全てをあなたに捧げますって、言われているみたいなさ」
そう語る彼女の顔は、あの時と同じ恍惚に満ちていて、私は思わずぞくり、と身震いする。
「もしかしたらさ、自分以外の誰かに命の全部を捧げるのって、この上ない快楽なのかもよ」
「ばぁっかだよねぇ、男って!死ぬ瞬間までセックスのことだけを楽しみに生きてんじゃない。狂ってるよねぇ」
マミちゃんはさも自分は違う、というようにせせら笑う。
でも。
私は思う。
もしかしたら、そっちのほうが私たち女より、ずっとずっと幸せなんじゃないだろうか?
その時、午後の授業の予鈴が鳴った。途端にみんなの視線が逸れる。
「ま、男と女のどっちがラクかなんてわかんないけどさ」
ヒトミちゃんが立ち上がり、トレイを片付けながら言った。
「今は、私たちにできることを全うしようよ……みんなで頑張ろ? “名誉女性" になれるようにさ」
「あ、けどさぁ」
カフェテリアから出る寸前、マミちゃんがくるりと振り返って言った。
「さっきの話、よくよく考えたらすっごく変だよね」
「何が?」
「だって、いくら女が男より弱かったって言ってもさ、身体の構造的には、女が男を ”食ってる” のは、ずーっとずーっと、太古の昔から変わんないじゃん、ねぇ?」
(次回に続く)
次回「"美しいクニ"を守るため、私たちは今日も男を狩って子供を作る」は4/26更新予定。発売中のSFマガジン6月号にも、全篇掲載されています。