お客様から「もともと登山が好きだったの?」とよく聞かれる。
私の場合は違う。山小屋で働くまで登山をしたことはなかった。
今はというと、登山は「そこそこ好き」。
登山をやらない人にはよく「登山って何が楽しいの?」と聞かれるけど、登山が好きな人って、必ずしも登山を「楽しい」と感じているわけではないと思う。
楽しくないけど、好き。
そういうこともあるのだ。
山小屋スタッフはみんなもとから登山が好き?
人生初の登山は、山小屋で働くための「出勤」。
そこは初心者向きの山で、滑落や道迷いが起こりそうな箇所がない。体力さえあれば、登山スキルが低くても登れる。小学生のときにスポーツをしていたからか、意外と体力はあったようで、そこまで疲れずに登ることができた。
初めての登山はとても新鮮だった。
ネットや本で見るのと、リアルの体験はまったく違う。景色も、静けさも、樹林帯の緑と土のにおいも、つめたい空気も、ものすごいリアリティに圧倒される。五感がフルに刺激されるのに、なぜか精神が落ち着いた。
見晴らしのいいところに出ると、あまりにも山と空としかなく、自然のスケールが大きすぎてなんだか笑ってしまう。
「自然に触れると自分のちっぽけさを感じる」とよく聞くけど、まさしくその通りだった。
ちなみに、私のような「登山をしたことがないのにいきなり来ちゃう人」は少数派。
だいたいのスタッフは登山が趣味で、「趣味が高じて山小屋スタッフになった」というタイプ。お客さんとして山小屋に来たことがある人も多い。
登山との出会いは人それぞれだ。大人になってから登山を始めた人、学生時代から山岳部という人、「親が山好きで小さい頃から山に連れていかれた」という人。
そういえば以前、「子どもの頃、親に連れられてこの山小屋にきたんです」と話す一回り年下のスタッフがいた。
彼が、「これってサキさんですよね?」と見せてくれた動画がある。小学生くらいの少年が山小屋で買い物をしていて、接客をしているのは、たしかに23歳の私だった。
「これ、俺のお母さんが撮影した動画です。この子どもが俺です」
この少年が二十歳になるんだから、そりゃあ、私も年をとるよなぁ……。なんだか複雑な気分だった。
初めてのプライベート登山! 山に目覚めたかというと……
初めてプライベートで登山をしたのは、一年目の秋。
契約期間を満了して下山するとき、付き合いはじめたばかりの彼氏(今の夫)と縦走することになった。彼はまだ契約期間中だけど、私の下山に合わせて休暇をとってくれたのだ。
縦走とは、山からとなりの山へと歩くこと。私たちは二泊三日で山小屋を泊まり歩いて縦走した。
そのルートは、はしごや鎖場がある中級者向き。当然、落ちたら怪我をする。そのスリルがなおさら、冒険をしているようで楽しかった。脳内BGMはインディージョーンズのテーマだ。
今思うと、山小屋の勤務が終了した解放感と、初めての縦走デートで浮かれていたのだろう。
まだ自分のペースというものが掴めていないから、ハイペースでガンガン歩いてしまい、「私、歩ける……!」と万能感に浸っていた。事故に遭わなくて本当によかった。
それがきっかけで登山に目覚めた。
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