バイス』 なぜアメリカはこのように変わってしまったのか

政治家ディック・チェイニーを主人公に据えた話題作。チェイニーを演じるのは、クリスチャン・ベール。シニカルかつコミカルにアメリカ現代史を描き出す本作について、ブロガーの伊藤聡さんが論じます。

映画『バイス』は、ジョージ・W・ブッシュの政権下の副大統領ディック・チェイニーを題材とした政治ドラマである。監督をつとめるアダム・マッケイは、『俺たちニュースキャスター』('04)『俺たちステップ・ブラザーズ─義兄弟─』('08)『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』('09)などのコメディ作品(通称「俺たちシリーズ」)を手がけたほか、サブプライムローン危機を題材にした『マネー・ショート 華麗なる大逆転』('15)など社会性の強いテーマにも挑戦する意欲的な映画作家だ。

コメディ畑出身ならではの鋭い笑いのセンス、手ぎわのいい語り口や視点の斬新さが彼の持ち味である。ユーモラスな展開のなかに、社会の矛盾や不正を浮かび上がらせるエンターテインメントは『バイス』でも健在。主演にクリスチャン・ベール、ほかにもスティーヴ・カレルやエイミー・アダムスといった実力派俳優が並ぶ。

せっかく入ったイェール大学も酒びたりで中退し、肉体労働で食いつなぐその日暮らしの粗野な青年、ディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)。気が短く、喧嘩やトラブルの絶えない彼は、ある日飲酒運転中の事故で警察につかまってしまう。恋人リン(エイミー・アダムス)は怒り心頭。心を入れ替えてまともな人間になってほしい、と説得されたチェイニーは心機一転、大学へ復学すると共に政治家の道へと進んでいく。ようやく自分に向いた天職を見つけた彼は、これまでのだらしない生活が嘘のように成功を収め、政治の世界で出世していく。2001年1月より大統領に就任したジョージ・W・ブッシュ(サム・ロックウェル)から副大統領のポジションを打診された彼は、密かなたくらみを抱きつつ了承。やがてアメリカ史の大きな転換点となる、2001年9月11日がやってくる。

トランプ大統領就任後、現代アメリカのすぐれた映画作家が揃って「なぜアメリカはこのように変わってしまったのか」という検証作業に入っているのは実に興味ぶかい。アメリカは、歴史のどのポイントでどのように変ったのか。変化の分岐点は何なのか。ピーター・ファレリー『グリーン・ブック』('18)やスパイク・リー『ブラック・クランズマン』('18)は、いまのアメリカでもっとも切迫したテーマのひとつである人種問題を、過去の実在人物を振り返りながら提示する。スティーヴン・スピルバーグ『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』('17)、あるいはロブ・ライナー『記者たち〜衝撃と畏怖の真実〜』('17)は、報道の自由やジャーナリズムの独立性が題材だ。ジェイソン・ライトマン『フロントランナー』('18)は、1988年の大統領選挙に立候補したゲイリー・ハートのスキャンダルを描きつつ、政治が空虚なショーと化した現代を考える。

ベテラン監督から若手まで、彼らの作品が過去のできごとを題材としつつ、結果的にいまのアメリカに対する痛烈な批判を意図しているのはあきらかだ。たとえば『ブラック・クランズマン』のエンディングで引用されるニュース映像の数々が示す現代アメリカの社会問題は、観客に対するきわめてストレートな問いかけである。そして『バイス』もまた、アメリカの分岐点を検証する作業で、政治家ディック・チェイニーの存在に注目している。

妻リンとの二人三脚で、みずからの野心を次々に達成してきたチェイニーの目論見は、ホワイトハウスの乗っ取りであった。副大統領という目立たないポジションにあって、密かに権力を自分自身に集約すること。本作には、権力に取り憑かれた男が、いったい自分はどれほど権力を増大できるのかをどこまでも試したがる危険な様子が描写されている。ひとりの政治家がどこまで巨大な権力を占有できるか、その野心がチェイニーを突き動かしているのだ。政府のシステムを知り尽くし、専門家に憲法の拡大解釈を抜け目なく相談していた副大統領は、外交・安全保障で大統領を凌ぐ権限を手に入れてしまった*1。テロリストを拷問する手段を確保したいチェイニーが「キューバのグアンタナモであれば、アメリカの土地ではないため、憲法の効力が及ばなくなり拷問が可能だ」と知って嬉しそうにする場面など忘れがたい。

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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コメント

tsrmjp 日本の場合だと、曲がり角で先導(もとい扇動)していたのは誰になるのかな。パソナ会長とか?| 5ヶ月前 replyretweetfavorite

LarryNak この映画も観たけど… 簡単さ!ジョージ・W・ブッシュが… アフォ〜だからさwww 5ヶ月前 replyretweetfavorite

campintheair 『バイス』。相続税を廃止したい富裕層の希望を叶えるため、相続税を「死亡税」と言い換えて「政府は人が死んでも税金を取るぞ!」と喧伝して大衆を煽り、まんまと相続税減税法案を通してしまう場面など実に怖ろしい。言葉のトリック https://t.co/1PrfvX6gbj 5ヶ月前 replyretweetfavorite

newssharejp 映画『バイス』 なぜアメリカは このように変わってしまったのか!? *伊藤聡さん|CAKES https://t.co/tDwUtpbmyl 5ヶ月前 replyretweetfavorite