昔のディズニーもピクサーと同じように資金に苦しんだ
そして1928年、ディズニーは、アニメーションの将来を大きく変える白黒アニメを公開する。
『蒸気船ウィリー』というふたつの面で画期的な映画である。ひとつは、ミッキーマウスの登場だ。
もうひとつは、映像と音声が同期していて話に入りやすい点だ。
ミッキーがヒットした後、ディズニーは、アニメーション映画を指向する。
そして、いろいろと苦労した結果、1937年に公開されたのが『白雪姫』だ。ストーリー、キャラクター、色、音、そして、深みとさまざまな面で画期的な映画である。
この映画に登場した7人のこびとは、アメリカ文化の象徴的な存在になった。
いい面以外にも、ディズニーとピクサーには似たところがたくさんある。
ピクサーと同じようにディズニーも、長年、資金的に苦しい状況にあった。
『白雪姫』の製作費用は、ウォルト・ディズニーが自宅を抵当に借りたり、危ない銀行融資に頼ったりして捻出している。映画は大成功でかなりの儲けも得られたが、それは一時のことで、また苦しい状況になってしまう。
アニメーションは当てにならない事業だとして、ディズニーは多角化を進めた。
ディズニーと同じようにピクサーも多角化すべきか
1953年には映画配給のブエナビスタ・ディストリビューションを立ち上げ、翌1954年には『ディズニーランド』という番組をABCに提供してテレビ事業に乗りだし、好評を博した。
1955年にはテーマパークのディズニーランドを開園。実写映画にも乗りだし、1964年の『メリー・ポピンズ』が大ヒットする。
ディズニーが多方面に事業を展開したことを見ると、純粋なアニメーション会社でいくという考えには不安ばかりが浮かんでしまう。
アニメーション世界で押しも押されもせぬ王者ができなかったことなのだ。ほかの会社にできるはずがないだろう。
ピクサーもディズニーと同じように多角化すべきなのではないだろうか。
ただ、ディズニーの事業のうちふたつは、少なくとも当面、選択肢にさえならない。テーマパークの開業には何十億ドルものお金が必要だし、キャラクターはディズニーに使用権があるため、ピクサーがテーマパークを立ちあげても使えない。
映画配給も論外だ。何十年も大手スタジオが独占している世界であり、ピクサーにとっては自社の映画を配給することさえできない状態なのだから。
では、実写映画は? それなら可能性があるかもしれない。
そう考えたスティーブと私は、ある日、ジョー・ロスのオフィスを訪ねることにした。
ピクサーが実写映画をつくる!?
ジョー・ロスはハリウッド有数の映画プロデューサーで、1年ほど前、20世紀フォックスの会長からウォルト・ディズニー・スタジオの会長になっていた。
ディズニーでは実写映画を統括している。スティーブも私も、彼に会えるのは幸運だと喜んだ。彼から実写映画について学べば、参入すべきかどうか判断できるはずだ。
ジョー・ロスのオフィスは、まるで、ハリウッドという聖堂の最奥にある聖廟のように思えた。
場所はカリフォルニア州バーバンク。数年前、ハリウッドに建てられたばかりの本社ビル、チームディズニーだ。
我々は、ディズニーランドに来た子どものようにビルの前で立ち止まり、7人のこびとの巨大な彫像を見上げてから建物に入った。
なかは静かだ。警備員以外、人の姿はほとんどない。
通されたジョーの執務室は役員用の堂々とした豪華なもので、窓のそばに木製の大きな机があり、反対側の端に長いすが置かれていた。我々は、ジョーに勧められ、長いすに腰を下ろした。
ジョーは、最初から親しげに接してくれた。年は我々よりちょっと上で髪はグレー、物腰は柔らかく、笑顔を絶やさない。服装はカジュアルだが、上物である。まずは、我々からピクサーの現状を語る。数分後、机の向こうに置かれた電話が鳴った。
スターの世界を垣間見てスティーブとともに興奮した
「すみません。申し訳ないのですが、電話に出る必要があります。すぐ終わりますから、ちょっとだけお待ちください」
ジョーはそう言うと、電話に出た。切ったのは数分後だ。
「お話を中断してすみません。ロバート・レッドフォードからでした。なかなかつかまらない人なんです。じゃまはもう入らないと思いますよ」
ビルを後にしたとき、スティーブは興奮を抑えきれずにいた。
「ロバート・レッドフォードだって? 『明日に向って撃て!』に『スティング』、どれもすごかったよな。彼を待たせるなんて、ぼくも絶対にしないな」
「同感です。あのあとは、そればっかりが私の頭のなかを駆け回っていました」
「ぼくもさ」
ふたりとも、スターの世界に触れて興奮していた。
数年後、スティーブはどのセレブとも会える立場になるわけだが、このころの我々は、赤い絨毯の上を歩くスターを一目見たいと目を輝かせるティーンエイジャーに近かった。
ヒット作と失敗作でバランスをとるという戦略
それはともかく、この面談で、実写映画の製作についていろいろと教えてもらうことができた。
「ポートフォリオ事業のようなものだと考えるのがいいでしょう。毎年、たくさんの映画を低予算、中予算、高予算に分けて制作予算を用意します。マーケティングについても同じで、映画ごとに予算を用意します。そして、ヒット作で失敗作の穴埋めができることを祈りながら映画を公開するのです」
「予算枠ごとに何本作るのですか」
スティーブが尋ねた。
「いろいろですね。何本がいいということは特にありません。6本と少ないこともありますし、15本から20本と多いこともあります。年によっても違いますし、スタジオによっても違います。資金などの要因によっても違います」
「ヒット作を見分ける方法はありますか?」
「ありません。見分けられればいいのですが、実際には無理です。ヒットは予想が難しくて。大スターを起用すれば滑り出しはよくなりますが、それが最終的な成績につながるとはかぎりません」
「つまり、クリエイティブな戦略であると同時に財務戦略でもあると考えるべきなのでしょうか」
こちらは私の質問だ。
「おっしゃるとおりです。もちろん、できるかぎりいい映画を作ろうとはしていますが、大事なのはいい組み合わせにすることです」
そんな話だとは思っていなかった。映画スタジオは、ヒット作が生まれて失敗作の穴を埋めてくれることを期待しつつ、いろいろな映画に予算をばらまいていたとは。