◆圏外へのスイングバイ
帰宅した枝折(しおり)は、弥生(やよい)を信州に誘い、今日の出来事を話した。
「へー、面白そうじゃないか。本気で売り込みたいんだったら、プレスリリースを送るんじゃなく、アポを取って訪問した方がいいな。大手出版社からの打診なら、きちんと話を聞いてくれるだろうし。
ネットのメディアで販促に使えそうなリストは、私が就職活動をした時のものをやるよ。少し増減しているけど、基本的にはそのまま利用できるはずだ。
それとせっかくのネタだ。枝折には、漣野(れんの)さんと南雲(なぐも)さんへの橋渡しをお願いしたい。二人にインタビューして記事を書きたいからな」
「ありがとう、弥生。すぐに段取りをつけるわ」
信州の座敷席で、枝折はメールを書き、二人の予定を押さえた。
翌日出社した枝折は、岩田(いわた)に南雲の件を報告した。
「なるほど。そういうカラクリだったのか」
「それで、クラウド文庫との共同キャンペーンの件ですが」
「おう、好きにやれ。責任は俺が取る。あと、ベンチマークとして有馬(ありま)さんに話を聞いておけ」
「げっ」
思わず拒絶の声が出る。
「有馬さんは、とことんまで打ち合わせをする人だろう。あの人が乗り気になるまで話を詰めれば、大抵どこでもOKしてくれる」
「あの人、空気を読まずに議論してくるじゃないですか。毎回、納豆とオクラとめかぶを混ぜたような、ねちっこい嫌みを散々言われますし」
「ごちゃごちゃ言わずにアポを取って行ってこい」
岩田は追い立てるように言う。
なぜ天敵の有馬のもとに行かなければならないのだ。枝折は納得のいかないままメールを送り、夕方から会う約束を取り付けた。
渋谷にあるバーンネットのオフィスの会議室に入った。
「面白いですね」
開口一番、珍しく有馬が好意的な台詞を言った。雹でも降るのではないか。片眉を上げて、警戒の姿勢を取る。
「作家連合のミニ出版社と、大手出版社のコラボレーションですか。漣野久遠(くおん)なら、炎上だけでなく、そのうちなにかやってくれると思っていましたよ。彼はネットの事情に明るい人間のようですからね」
有馬は、にこやかに言う。
「どうせ販促をするなら、投票ページを作りましょう。読んだ人が、Bスタイル文庫とクラウド文庫の本に投票できるページです。
仕組みはこうです。投票者は、一から十点を選ぶことができる。集計ページでは投票人数を伏せて、Bスタイル文庫とクラウド文庫それぞれの合計点だけを表示する。
こうすれば、低い点をつけても高い点をつけても点数が増えるだけです。ポジティブな結果だけがユーザーに示されます。
また、本が購入された時点で、購入ボーナスの十点が入るようにします。その上で、二つの文庫で人気のある本をランキング形式で発表します。
システムは、既存のプログラムに追加のコードを書けば一日で作れます。二つのレーベルの本を立ち読みできる専用ページも作りましょう。ついでに、岩田さんと春日さん、漣野さんと南雲さんのインタビューページも用意します。ラインナップの各本にも、著者のコメントをもらいたいのですができますか」
有馬は次々とアイデアを挙げていく。
なるほど、岩田が最初に有馬のもとに行けと言った理由が分かった。定例会のたびに大量のクレームを持ってくるということは、それだけアイデアマンということなのだ。そして、有馬が出した案で、他の書店でも使えるものを持って行けば、話がスムーズに進むことになる。
「漣野さんと南雲さんには、こちらから連絡を入れます」
「よろしくお願いします。それと漣野さんに、BNB向けの専売企画でお願いがあるんですが」
「なんですか」
「彼、原稿は書いていますか」
「いえ、まだですね」
「執筆するという約束はしていますが、原稿は影も形もないですよね。ですから、今から提案する原稿を書いてもらおうと思うんですよ」
「どんな原稿ですか」
「炎上からの復活。ノンフィクションです。短編で構わないですよ。あれだけネットを騒がせたんです。彼はどこかで禊ぎをしなければなりません。どうせなら、うちのサイト上でしてもらいます。
原稿料はうちで払いますよ。そしてサイト上で無料で公開します。バーンネットブックスのアカウントを持っていれば、誰でも読めるようにします」
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