◆南雲と蓮野が立ち上げた新会社とは!?
川崎駅に着き、バスに乗った。辺りは既に暗くなっている。
調べてきたバス停で下車して、地図アプリを頼りに店を探す。しばらく歩くと、灯りの点った看板が見えた。腕時計を見る。もう開店している時刻だ。枝折(しおり)は引き戸を開け、店に入った。
客はまだぽつぽつとしか来ていなかった。外観は古かったが、内装はきれいで掃除が行き届いている。おそらく何年か前にリフォームしたのだろう。
カウンター席はまだ人がおらず、テーブル席がいくつか埋まっている。一番奥の席に南雲(なぐも)がいた。その横に漣野(れんの)がいることに気づいて驚いた。なぜ彼がここにいるのか分からなかった。
近くまで行くと漣野が声をかけてきた。
「ついでだったんで同席させてもらいます」
なにがどうついでなのか、さっぱり分からない。
「春日さん。漣野さんも今日の話し合いに加わります」
さも当然といった様子で南雲は言う。いったいどういうことなのか。
枝折は席に着き、なぜあれほどまでに他の作品と初動に差がついたのか、南雲に質問した。
「事前の広報をしたからですよ」
「どうやったんですか。教えてください」
「私と漣野さんの読者相手に、直接訴えたんです。買ってくれるようにと」
「南雲さんと漣野さんの読者にですか?」
意味が分からず説明を求める。
「私は漣野さんに勧められて、この半年ほどネット小説を各所で連載していました。そこで多くの読者を獲得することができました。その読者と、漣野さんの読者に頼んだんです。本を買ってくれるようにと。また情報の拡散もお願いしました。その結果、多くの人が今回の件で動いてくれました」
南雲はスマートフォンを出して、いくつかのウェブページを見せる。小説家になろう、カクヨム。そうしたところで毎日連載しているのが分かった。出版社とは無関係なところで読者を獲得して、販売を成立させていたのだ。
「読者の作り方は、漣野さんに指導してもらいました。そして販売のための仕掛けも、漣野さんに考えていただきました」
枝折は漣野を見る。今日ここに漣野がいる理由。それと関係があるのだろう。
「どういう仕掛けですか」
知りたい。そして、Bスタイル文庫の部数を伸ばすのに使いたい。
「実はですね。私と漣野さんは出版社を立ち上げたんです。電子書籍専門の会社です。社長は漣野さんです。私は副社長です」
枝折は驚いて、漣野と南雲を見比べる。
「この会社に賛同して参加してくれる作家を、既に十人確保しています。Bスタイル文庫で書いている人、これから書く人が半数以上を占めています。私たちの会社では、出版社に入ってくるお金の九十パーセントを、作者に還元する予定です」
南雲の言葉に、枝折は卒倒しそうになる。今回の南雲の数字を見れば、多くの作家がそちらに流れるだろう。印税率だってそうだ。大手出版社を通さなくても売れるのならば、電子専売で大手と組む理由はどこにもない。
「小説が売れた仕掛けは、いったいどういうものなんですか」
企業秘密と言われるかもしれない。しかし知りたかった。なんとしても持ち帰り、売り上げアップに繫げたかった。
「単純な仕掛けですよ」
漣野が声を出す。
「南雲さんがBスタイル文庫で出した本は、書き下しじゃないんです」
「えっ」
どういうことだ。昔の本や雑誌からの転載だというのか。
漣野は説明を続ける。
「ネットの世界でコンテンツを売るには、商品を知ってもらうだけでなく、自分のものと思ってもらうことが大切です。春日さん。クラウドファンディングはご存じですか」
「ええ。ネットでユーザーから資金を募って、商品を作る手法ですよね」
漣野はうなずく。
「クラウドファンディングは、資金を得るだけが目的ではありません。商品の完成にユーザーを参加させる。そうすることでユーザーを味方につけ、商品の販促に協力してもらうんです。
これは現代的なマーケティングの手法です。南雲さんの小説も、クラウドファンディングとは違いますが、ユーザーを参加させる手法で作成しました」
「どんな手法なんですか。読者をどのように参加させたのですか」
「実は南雲さんの小説は、ネットで連載した小説の傑作選に、裏パートを加えたものなんです。ツイッターや感想欄で、入れて欲しい話を投票してもらい、その話とともに、脇役による別視点のエピソードを加える。それだけでなく、どんな話になるか、予想をネットに書いてもらうように読者に頼んだんです。
自分が選んだ話の、違う視点からの物語が読める。こうなるんじゃないかという想像と答え合わせをおこなう。そうしてユーザーに参加してもらい、コミュニティを盛り上げたんです。これは昔からある古い手法の応用です。
傑作選については、ミュージシャンがファン投票でベストアルバムを作るようなものです。別視点については、アルバムに別テイクを入れるようなものです。これらに、ネット時代の手法として答え合わせを組み合わせました」
そんな仕掛けを用意していたのか。そういえば南雲の小説を読んだ時、まるで傑作選のようだと思った。本当に、そういう作り方でまとめられた作品だったのか。
しかし、これは容易には真似できない。既に上がってきた原稿の販促には使えない。
「Bスタイル文庫をもっと売る、これからでも使える方法はないですか」
駆け引きなど無視して率直に漣野に尋ねる。
「春日(かすが)さんに、先ほど僕の原稿を送りました。Bスタイル文庫用のものです。まずは、そのデータを見てください。その上で提案があります。春日さんにお願いしたいことがあります」
「分かりました。まずは原稿を確かめればいいんですね」
「ノートパソコンは持ってきていますか。ePub形式で送りましたから、ePubビューワーで見てください」
テキストではないのか。普通、原稿はテキストで送る。そして、出版社でePubのデータを作る。
枝折は鞄からノートパソコンを出して漣野の小説を確認する。
「あっ」
最初のページを見て、それが紙の本に囚われていない、電子の発想で作られた本なのだと分かった。
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