方形の戦場|3ー11

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 翌日から五十嵐と乾の抗弁が始まった。だが新たに何かが見つかったということもなく、ただ口供書をトレースするだけとなった。むろんそうでなければ、口供書に噓を書いていたことになるので当然でもある。

 公判結果を左右する第一の論点である命令の出所は結局、はっきりせず、第二の論点である「指揮下を離れた後の処分」という点も、加藤の忖度のせいで、五十嵐に有利な状況とはならなかった。

 公判は自然、第三の論点である「捕虜を救おうとする努力をしたかどうか」に移っていったが、これについては圧倒的に乾が有利だった。

 捕虜だった多くの証人たちから、乾の助命嘆願についての証言が得られたが、五十嵐には捕虜たちを救おうとした形跡はなく、ひたすら命令を遵守しようとしたイメージが植え付けられただけだった。

 作戦責任者である五十嵐が命令を守らせようとするのは当然のことなのだが、人道主義的観点からすれば言語道断なように感じられる。

 ここには戦犯裁判の微妙な問題が内包されていた。例えば、現場の兵たちが裁かれる場合でも、連合国軍側は事後的法解釈として、「違法な命令に対する不服従の義務」なるものを作り上げた。

 すなわち不法行為を命じた上官に対して、抗命しない場合は命令を受けた者も罪になるというのだ。これが適用されれば、軍隊の根幹を成す「上官の命令は絶対」という掟を破ることになり、軍隊そのものの存在基盤がなくなる。

 だが連合国軍側は自国民や現地住民の報復感情に応えるべく、実行者をどうしても裁きたかった。それゆえこうした無理のある解釈を作り上げ、末端の兵士にまで罪を負わせようとしたのだ。

 つまり「違法な命令に対する不服従の義務」の観点からすれば、作戦責任者として、軍令部の命令にだくだくと従った五十嵐は、罪を負わねばならないことになる。

 一方、抗命の事実がある乾は、たとえ実行したとはいえ、情状酌量の余地が十分にあるのだ。

 ──この法廷にいる英国人将校は、胸に手を当てて考えてみるがいい。命令が守られなかったら軍隊は崩壊する。

 軍隊を成り立たせている基本は上意下達の命令であり、それを上回る基本原理はない。それは万国の軍隊に共通していることで、本来なら命令遵守を訴える五十嵐の姿勢は、褒められこそすれ非難などされないはずだ。

 ──少なくとも命令の出所さえはっきりすれば、活路が見いだせる。

 鮫島は白木という男に望みをかけていた。


 拘置所での面会時間は、スタンレー・ジェイルと変わらず一時間以内とされている。

 この日の公判が終わった後、鮫島は白木の存在を初めて五十嵐に告げた。

「白木省三大尉。軍令部第一部第一課所属か」

 鮫島の渡したメモを見ながら五十嵐が言う。

「ご存じの方ですか」

「いや、知らないな」

 少し記憶を探った後、五十嵐が首を左右に振った。

「今、白木氏はこちらに向かっている最中です」

 鮫島は、白木が証言台に立つ気になった理由を述べた。

「そういうことか。何もなければ海軍の中枢を歩んでいたはずだが、今は僧籍に身を置いているんだな」

「はい。戦争は大半の日本人の運命を変えました」

「そうだな」と言って、五十嵐は遠い目をした。

「ご長男のことをお考えですね」

「ああ、そうだよ。それ以外、何を考える」

 五十嵐の長男は、駆逐艦の砲術長を務めていたが、昭和十九年(一九四四)十一月、乗艦がレイテ島オルモック沖で撃沈された際、艦と運命を共にしていた。

「ご長男は成績優秀だったと聞きました」

「ああ、その通りだ。私にはもったいないほどの息子だった。ハンモックナンバーも一桁で、海軍でも将来を嘱望されていた。あの男が死ぬとはな」

 五十嵐には、長男がこの世にいないということが、いまだ信じられないらしい。

 ──きっと二人の間には、語り尽くせない思い出があるのだろう。

 他人の鮫島には慰めの言葉もない。

「日本は負け、多くの有望な青年たちが死んだ。それは紛れもない事実であり、時計の針を戻すことはできない。だが──」

 五十嵐は一拍置くと、力強く言った。

「その死を無駄にしないためにも、君ら若者には、国際社会に仲間入りできる新しい日本を作っていってほしいんだ」

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真実の航跡

伊東潤
コルク
2019-03-05

コルク

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伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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