方形の戦場|3ー9

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 公判は折り返し点に差し掛かっていた。命令の出所がはっきりしないまま公判の前半は終わり、この日からもう一つの論点、すなわち「指揮下を離れた後の処分」の問題に移っていった。

 まず鮫島が口頭弁論を行う。

「口供書にある通り、二月二十七日に発動されたインド洋作戦は、作戦報告研究会のあった三月十六日をもって終わりました。これにより作戦部隊は解散され、乾被告は五十嵐被告の指揮下から離れました。しかしながら処刑は三月十九日未明に行われました。つまり乾被告は、五十嵐被告の指揮下から離れた後に処刑を行ったわけです。これで五十嵐被告の罪を問うことはできますか。そもそも当事案は、乾被告が五十嵐被告の命令に従ったと陳述したことによって始まりました。しかし乾被告は、五十嵐被告の命令に従う必要はなかったわけです」

 こうした発言が乾を追い込んでしまうと分かっていながら、鮫島は追及せざるを得ない。

「裁判長」とバレットが発言を求める。

「この件に関しては、証人がいます。元『久慈』副長の柳川孝太郎中佐です」

「いいでしょう。エスコートは柳川氏を連れてきて下さい」

 エスコートに背を押されるようにして、柳川が証言台に上がる。

「柳川さん、あなたは『久慈』の副長をしておられた。つまり乾被告と一緒にいることが多かったわけですね」

「はい」と答えた柳川は、何かに怯えるような目つきで法廷内を見回した。

 ──この雰囲気に怯えているのか。

 柳川は、以前に証言台に立った時の様子とは明らかに違っていた。彼ら証人は鮫島ら弁護人ほどではないものの、ある程度の自由を許されている。そのため互いに会話することも多く、そうした中で「場合によっては証人も訴追される」という話が出ているのかもしれない。

「柳川さん、作戦報告研究会の冒頭で、インド洋作戦の終了が発表されましたね」

「はい。その通りです」

「それで、あなたはどう思いましたか」

「『久慈』への帰途、乾艦長、いや乾被告と『これで捕虜の件は、われわれに託された』といった会話を交わしました。それでほっとしました」

「つまり、捕虜を生かすも殺すも乾被告に任されたと解釈したのですね」

「そうです」

「結果的に乾被告は処分するという決断をしました。つまり全責任は、乾被告にあるということですね」

 バレットがなじるような口調で言う。

「それが違うんです。その夜、十六戦隊先任参謀の加藤伸三郎氏が『久慈』にやってきたことで、状況は変わりました」

 傍聴席がざわつく。記者たちは、新たな証言が得られると色めき立っている。

「加藤氏は何と言ってきたのですか」

「夕食も終わり、『久慈』内の艦長休憩室で乾被告と歓談していると、従兵から加藤氏の来訪が告げられました。たんていに乗って、わざわざいらしたのです。もちろん乾被告は招き入れました」

「あなたはどうしたのです」

「失礼しようかと思いましたが、とくに何も言われなかったので、その場に残りました。すると加藤氏は持参した一升瓶を示して『一杯やろう』とおっしゃいました」

「それで三人で飲み始めたのですね」

「そうです。私は主に聞き役に徹していましたが、話の流れで何となく何をしに来たのか分かりました」

 バレットがもどかしげに問う。

「何をしに来たというのです」

「加藤氏は五十嵐被告から懐柔を託されていると分かりました」

「Negotiationですか」

 バレットが首をかしげる。

「そうです。五十嵐被告は作戦報告研究会の席上で、乾被告と険悪な雰囲気になったことを気に掛けていたらしく、一言で言えば『これからも仲よくやっていこう』という意味で、加藤氏を差し向けたのだと思いました」

「上官だった五十嵐被告の方から持ち掛けてきたのですね」

「はい。日本では事を荒立てた場合、喧嘩両成敗とされて双方に失点が付きます。五十嵐被告としては、それを避けたかったのではないかと思います」

 鮫島は五十嵐の方を一瞥したが、従前と変わらず、五十嵐は軽く瞑目していた。

「なるほど。それが懐柔なのですね」

「そうです」

「しかし、それだけなら何の問題もありませんが──」

 柳川が視線を落とす。

 ──何かある。

 それが五十嵐に不利になることだと、鮫島は直感した。

「加藤さんは捕虜の件にも言及しました。そこで──」

 柳川が口ごもる。

「何と言ったのですか。できるだけ正確に再現して下さい」

「はい。捕虜を処分せずに『久慈』がシンガポールの七戦隊へ復帰するのは、『どちらにとってもよくないこと』だと言いました」

 傍聴席がどよめく。

「どちらというのは」

「インド洋作戦で行動を共にした第十六戦隊と、元々『久慈』が所属していた第二艦隊第七戦隊という意味です」

「つまり加藤氏は捕虜の処分を促したわけですね」

「Objection!」

 鮫島が声を上げる。

「明らかな誘導尋問です」

「認めます。検事は先を急がないように」

「失礼しました」

 バレットが鮫島をにらみつける。

「それでは、その言葉を、あなたたちはどう解釈したのですか」

「処分を示唆されたと受け取りました」

 ──それは受け取り方次第ではないか。

 鮫島は再び「Objection!」と声を上げようとしたが、すんでのところで思いとどまった。抗議ばかりしていると、肝心のところで却下されるからだ。

「では、あなた方は、ただそれを聞いていたのですか」

「いいえ。乾被告が、それは『捕虜を処分せよという五十嵐司令官の命令ですか』と聞きました」

「それに対して、加藤氏は何と答えましたか」

 法廷が静まり返る。次の言葉次第で、五十嵐の命運が決せられるからだ。

「何も言いませんでした。『まあ、飲め』と言って、茶碗に酒を注ぎました。しかし乾被告は『捕虜をどうすべきか』と食い下がりました。すると加藤氏は──」

 柳川が言いよどむ。

「何と言ったのです」

「加藤氏は『七戦隊に土産を持っていくことは、篠田中将や五十嵐被告の本意ではない』と言いました」

「それは、加藤氏の個人的な見解ではないのですか」

 一瞬、息をのむような仕草をした後、柳川は思い切るように言った。

「いいえ。明らかに命令ないしは要請と感じました」

 傍聴席がざわめく。

 すでにこの時、乾は五十嵐の指揮下を離れているため、正確には要請ということになる。

「Objection!」

 鮫島が声を上げる。

「それは、あくまで柳川氏が感じたことです。検事は証人を誘導し、印象操作をしようとしています」

「そんなことはない!」

 バレットが顔を真っ赤にする。

「二人とも、こちらに来なさい」

 裁判長は二人を呼び寄せると小声で言った。

「検事は公正を期すように。弁護人は必要以上に検事の尋問を妨げないように。では席に戻って」

 注意は一般的なことだったが、釘を刺されたことには違いない。

「では、加藤氏が帰った後、あなたは乾被告と、どのような会話を交わしましたか」

「乾被告は沈痛な面持ちで、『最終的な責任は私にある。一人にしてくれないか』と言っていました。もちろん交わした会話から、乾被告も私同様、加藤氏の言を命令ないしは要請と受け取ったと察しました」

 柳川が頭を垂れる。

「分かりました。これで尋問を終了します」

 バレットが鮫島を見ながら言う。

「証人は退廷するように」という裁判長の言葉に対し、柳川が言った。

「裁判長、お許しいただけるなら、ぜひ申し上げたいことがあります」

「発言を許可します」

「ありがとうございます」と答えつつ、柳川は威儀を正すと言った。

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伊東潤
コルク
2019-03-05

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一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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