方形の戦場|3ー7

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 赤石の証言は、いよいよ核心に近づいていった。

「では、実際の処刑状況についてお話し下さい」

 バレットの言葉に一瞬、身を固くした赤石だったが、意を決したように語り始めた。

「午前零時、捕虜が引き出されてくるのを待つべく、私は処刑台の近くに立っていました。すると突然、探照灯が点灯しました。続いて人影が動き、『What the hell’s going on?(いったい、何が始まるんだ?)』という声が聞こえました。次の瞬間、捕虜が倒れるのが見えました。段取り通り当て身をくらわせたのだと思いました。続いて兵曹二人が倒れた捕虜の両腕を摑み、引きずるようにして処刑台の上に鎮座させました」

 通訳が鎮座を「Enshrined」と翻訳する。

「鎮座とは──」

胡坐あぐらのことです。続いて捕虜を背後から抱え、活を入れて蘇生させます」

「待って下さい。つまり柔道テクニックで蘇生させるのですね。なぜそんなことをするのですか」

「武士道では、気を失った者の首を打てないからです」

 傍聴席から悲鳴とどよめきが巻き起こる。その意味が分からないらしく、赤石は意外な顔をしている。

「Silence!」

 裁判長が苛立ったようにガベルを叩く一方、バレットは怒りをあらわにして問うた。

「蘇生させるということは、死の恐怖に直面させるということですね」

「は、はい」

 ようやくどよめきの意味が分かったのか、赤石は顔を真っ赤にしてうつむいた。

「彼らは何か言いましたか」

「最初の捕虜は、ただ茫然と左右を見回していました。何が起こっているかも分からなかったと思います。それで私が合図すると──」

 赤石が言葉に詰まる。

「証人は、はっきりと言って下さい!」

「はい。私の合図によって日本刀が振り下ろされ、捕虜の首が──、首が落とされました」

 法廷に怒号が渦巻いたので、裁判長が再びガベルを叩いた。

「証人は続けて下さい」

 バレットの口調が厳しいものに変わる。

「その後、一人ずつ捕虜を引き出したのですが、中には、ハッチから引き出されただけで異様な雰囲気を察して激しく抵抗し、大声を出す者もいて、そうした者は当て身をうまく当てられず──」

「気を失わないまま処刑台に連れていかれた人もいたのですね」

「はい。中には、そこにいる者たちが総掛かりで押さえ付けても暴れるので、銃剣で刺し殺したことも──」

 赤石の歯切れが悪くなる。

「つまり、めった突きにして殺したのですね」

「そうです」

 傍聴席から再び悲鳴とどよめきが上がる。

「ああ、神よ──」

 バレットの嘆きが鮫島の席まで聞こえてきた。

「それからはたいへんでした。皆、何をされるのか分かり始めており、大人しいインド人でさえ、泣き喚いて命乞いをしました」

「当たり前じゃないですか!」

 バレットの声が険しくなる。

「私だって、そんなことはしたくなかった。だが始めてしまったら、途中でやめることはできません。とにかく一刻も早く終わらせることだけを考えていました」

 泣き声になった赤石に、バレットの冷酷な言葉が浴びせられる。

「どのような言い訳をしようと、あなたは人殺しだ。この事実は変えられません!」

「私は一介の学生です。無理に召集されて、こんなことをさせられたんだ!」

「何を言っているんですか。あなたは六十九人もの命を残虐な手段で奪ったんですよ」

「私は検分しただけです」

「つまり首打ちを下士官や兵にやらせたんですね。それでは、もっと卑劣ではありませんか!」

「私はただ軍務を終えて内地に戻り、学業に専念したかったのです。だから命令に忠実に従っただけです」

 赤石がその場に泣き崩れる。

 ──誰も捕虜など殺したくなかったんだ。

 赤石も乾同様、捕虜を殺したくはなかった。だがその場では、そうするしかなかったのだ。そこに戦争というものの矛盾が内包されていた。

 裁判長の冷徹な声が響く。

「証人は証人としての役割を果たして下さい」

「は、はい」と答えつつ、赤石が証言台の手すりに摑まって体勢を立て直す。

「では、続けます。それで六十九体の遺骸をどうしましたか」

「甲板は血の海でした。その時、すでに三時を回っていましたが、夜明けまでに処理を終わらせねばなりません。それで──、まず一カ所に集められていた首を海に投げ捨てました」

 法廷内で悲鳴が発せられる。女性記者が倒れたのか、何人かの男性が、女性の体を支えながら外に連れ出していくのが見えた。

「胴体はどうしたのです」

「そのまま捨てると海水を吸って浮かび上がってくるので、ガス抜きの処理をしました」

「ガス抜きの処理とは何ですか」

「いや、それは──」

 裁判長が鋭い眼光を赤石に向けながら言う。

「証人は検事の質問に正直に答えねばなりません。さもないと収監されます。私には、その権限が付与されています」

 その言葉に、赤石の顔から血の気が引く。

 バレットが畳み掛ける。

「ガス抜きとは何ですか」

げんそくの手すりがない部分にガス抜き台を設置し、首のない遺骸をその上に載せます。そこで──、そこで遺骸の腹を切り裂き、二人が遺骸の両脇と足を持ち、遺骸を傾けて内臓を海に捨てることです」

 吐き気が込み上げてくる。本来であれば、誰かが死者の内臓を搔き出さねばならない。だが赤石らは死者の内臓に触れたくなかったのか、ガス抜き台なるものを考案したのだ。

「内臓を──、内臓を抜いた後、遺骸をどうしましたか」

 バレットの声も震えている。

「そのまま遺骸を回転させるようにして、海に遺棄しました」

 傍聴席をちらりと見ると、満席だった傍聴人が半数ほどに減っている。いくら記者でも、こんな残虐な話を聞きたくはないし、記事にもできないので退席したに違いない。

「それを六十九人分やったのですね」

「はい。数人やるだけで兵が吐いてしまうので、頻繁に交代させました」

「ああ、神よ。なぜ神は、わが同胞にこれほどの苦しみと屈辱を与えたのか」

 バレットが天に向かって十字を切る。だが裁判長は顔色を変えずにたしなめた。

「今は祈りを捧げるべき時ではありません。検事は己の職務に忠実であって下さい」

「はい。申し訳ありません」

「結構です。続けて下さい」

 バレットは威儀を正すと赤石に問うた。

「それで、すべての処分が終わったのですね」

「はい。最後に艦長を呼びに行かせ、検分をお願いしました」

「艦長、つまり乾被告は何と言っていましたか」

「艦長は『諸君は極めて困難な仕事をやり遂げた。諸君の働きに感謝したい。こうした仕事は嫌なものだが、諸君の将来にきっと役立つものになる。これからも戦いは続く。いっそう奮励努力してほしい』といった趣旨のことをおっしゃいました」

「それで、乾被告の言う通り、その仕事は後の人生で役に立ちましたか」

「全く役に立ちませんでした」

 傍聴席から「当たり前だ!」という怒声が飛ぶ。

 乾を見ると、憤然として赤石を見つめていた。きっと何か言いたいことがあるのだろう。だが発言を許されないので黙っているしかない。

「その後のことをお話し下さい」

「はい。われわれは夜明け前までに甲板上の血を洗い流し、夜が明けてからは、皆で甲板に磨きを掛けました。そして三月十九日にリンガ湾に仮泊した後、翌二十日にシンガポールのセレター軍港に入りました」

 それは乾の口供書の通りだった。

「この残虐な処刑を終えて、あなたは何を思いましたか」

「────」

 赤石は俯いて答えない。

「これも大切な質問です。答えて下さい」

 証言台の両脇の手すりに摑まり、何とか立っていた赤石は顔を上げると言った。

「こんなものは戦争ではないと思いました」

「裁判長、以上です」と言いつつ、バレットの長い尋問が終わった。

「赤石証人は、鮫島弁護人からも証人申請が出されています。続いて弁護人、お願いします」

「はい」と言って鮫島が立ち上がる。

 赤石は最初に証言台に立った時と違い、怯えた子犬のような目をしていた。

「証人は艦長休憩室に行って命令を受けた時、何を思いましたか」

「Objection!」と河合が声を上げる。

「それは、すでにバレット検事が聞いたと思います」

 裁判長は「Wait」と言うや、鮫島に向かって問うた。

「弁護人は質問の前に、尋問の目的を述べて下さい」

 ──来たな。

 裁判長も馬鹿ではない。鮫島の狙いぐらいは推測しているはずだ。そのため河合の異議をきっかけとして、鮫島の真意を確かめようというのだ。

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真実の航跡

伊東潤
コルク
2019-03-05

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真実の航跡

伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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