方形の戦場|3ー5

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 連日、公判は続いた。休廷は土曜の午後だけで日曜も公判があった。

 バレットは幾度となく小山を証言台に立たせ、捕虜処分命令の出所を追及したが、結局は判然としなかった。

 バレットが様々な角度から質問しても、小山は「記憶にありません」と繰り返し、処分命令が軍令部から出ていることは、最後まで突き止められなかった。バレットとしては、軍令部のしつを摑むことで大金星を挙げたかったのだろう。だが小山は鉄壁だった。

 一方、鮫島が「では、軍令部ではなく南西方面艦隊司令部が出した命令では」という質問をすると、小山はそれを真っ向から否定し、「自分と南西方面艦隊司令長官の篠田中将との間で、捕虜の処分に関する議論は一切なされていない。インド洋作戦は拿捕を前提としており、捕虜は連れ帰るのが当然だと思っていた」と返してきた。

 すべての責任を五十嵐に押し付けようという小山の魂胆は明らかだった。

 鮫島が尋問を続ける。

「あなたは処分命令を考案し、第十六戦隊に下達したのは五十嵐被告だったとお考えですか」

 バレットが「Objection!」と言って立ち上がる。

「その質問は小山氏に推定をさせることで、意味がありません」

「Sustain(支持します)」と裁判長が認める。

「では質問を変えます。あなたは処分命令を下したのが、軍令部でも南西方面艦隊司令部でもないと言うのですね」

 小山は困った顔をして何も答えない。

「証人は答えるように」と裁判長がたしなめる。

「南西方面艦隊司令部でないのは間違いありません」

「では、軍令部から出ていた可能性を否定しないのですね」

「私には分かりません」

「分からないというのは、どういうことですか」

「篠田中将とその部下の五十嵐君の間で、私を介在しない話し合いが持たれていたとしたら、私が関知しないこともあり得るという意味です」

 小山は明らかに動揺していた。

「それはおかしい。それだけ重要な命令に参謀長が関与しないというのは、日本海軍の職制からしてあり得ません。いかがでしょうか」

「Objection!」

 バレットが立ち上がる。

「鮫島弁護人の発言は、軍令部から命令が出たという前提の話です。誘導尋問にあたります」

「Sustain」と裁判長が即座に言う。

「分かりました。では言い直します」

 鮫島は「仮に軍令部から命令が出ていたら」という言葉を付けて、同じ質問をした。

 それについて裁判長が何も言わないので、小山が渋々答える。

「すべての軍令部からの命令が、篠田中将と私に平等に伝えられたわけではありません。篠田中将経由で私に下達されるものもありました。つまり情報の取捨選択は篠田中将に任されていました」

「要するに、あなたが関与していない命令や伝達事項があったというのですか」

「はい。その通りです」

「軍令部から艦隊司令部への命令に、参謀長が関与しないなどということはあり得るのですか」

「あり得ます」

「どのような場合ですか」

「どのような場合というか、司令長官の資質によります」

 小山の歯切れが悪くなる。

「では、篠田中将は一人で決める傾向が強かったのですか」

「ええ、そうですね」

「つまり篠田中将は、独断専行の人だったのですか」

「それは否定できません」

「噓だ」

 鮫島が決めつけると、「Objection!」と叫びつつ立ち上がったバレットが、「証人を噓つき呼ばわりするのは間違っています」と指摘した。

「弁護人には、証人をぼう中傷する権利はありません」

 裁判長が鮫島をたしなめる。

「申し訳ありません。篠田中将は軍人として高潔かつ模範的な人物として、高く評価されていました。それは故人の履歴を見れば明らかです」

 関係者の履歴は、すでに判事たちに配布されている。

 篠田が五・一五事件の判士長として、政治家筋からの圧力をねつけて公正な裁判を行い、また日米開戦に断固反対したことは欧米にも知れわたっていた。

「その篠田中将が、参謀長に何の相談もしない独断専行の人のわけがありません。小山氏は、自分が処分命令にかかわっていないことを主張せんがために、都合の悪いところで『記憶にない』という証言を繰り返し、さらに篠田中将の人格まで貶めているのです」

 小山が唇を震わせて言う。

「言いがかりだ! 私は私の意見を述べたにすぎない」

 裁判長が穏やかな口調で諭す。

「証人も弁護人も、感情的にならないようにして下さい」

 その後、議論は堂々めぐりに入った。結局、鮫島は攻めあぐね、いつまで経っても命令の出所をはっきりさせられない。

 法廷内には沈滞した空気が漂い始めていた。確かに「知らない」と言われれば、どうにもならないことなのだ。

 鮫島は、「五十嵐被告が捕虜処分命令を出す理由はなく、命令は軍令部か南西方面艦隊司令部から出たとしか思えない」と結論づけて反対尋問を終わらせた。

 だがそれだけでは、何の説得力も持たないことは明らかだった。

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伊東潤
コルク
2019-03-05

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伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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