方形の戦場|3ー4

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 裁判所内にある拘置所の狭い接見室で、鮫島と五十嵐は対面していた。

「今日は懐かしい顔に会えたな」

 五十嵐が皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「これから、もっと出てきますよ」

「そのようだね」

 すでに五十嵐には、証人として召喚した関係者の名前を伝えてある。

「それにしても、小山さんの態度は許せません」

 五十嵐が穏やかな口調で言う。

「人とは、その立場によって言うことが変わるものだ。日本が負けていなければ、小山さんも軍人としての矜持を貫いただろう。だが、もう帝国海軍はない。これから彼は、敗戦国日本の一員として生きていかねばならんのだ」

 その言葉には、あきらめとも達観ともつかない感情がにじんでいた。

 ──日本に国家主権がなくなろうと、日本人は生きていかねばならない。皆、その方策を模索しているのだ。過去など振り返っている暇はない。

 しかし戦犯だけは、過去を清算しなければならない。つまり前を向くことを許されず、過去の自分の行為と向き合っていかねばならないのだ。それでも鮫島は、五十嵐を過去の人として葬り去ろうとする小山に対する怒りが抑えられない。

「あの方は、あんな偽りを言って良心が痛まないのでしょうか」

「彼には彼の立場がある。死んでいく者に義理立てしても無駄なことだ。それよりも、生きている者たちが助け合っていかねばならんということさ」

 ──生き残った元帝国海軍の軍人たちが互いに助け合い、仕事のあつせんなどを通じて新たな人間関係を築いていくということか。その輪の中に、五十嵐さんは入れてもらえないのだ。

 あまりの理不尽さに、鮫島は怒りを通り越して呆れていた。

「それが帝国海軍の軍人なのですか。それが日本人なのですか!」

「鮫島君──」

 五十嵐が慈愛の籠もった眼差しで言う。

「私が逆の立場だったら、そうしていたかもしれないんだぞ」

 鮫島はその一言に衝撃を受けた。

「人間など、それだけ弱いもんだ。彼らは『天皇陛下に累が及ばないように』ということを旗印にして、自分が正しいことをしていると思い込みたいのだ。そして私に対して、『黙って死んでくれ。それが天皇陛下への忠義ではないか』と心の中で思っているのさ。つまり私の方こそ、陛下を危険に晒す不忠の徒なのだ」

「そ、そんな──」

「それが、この裁判の難しいところだ。法の正義の下で正しい裁きを求めれば求めるほど、生き残った者たちは私のことを、不忠の徒だと思うだろう」

「そんなことはありません。五十嵐さんには、正しい裁きを受ける権利があります!」

「だがその権利は、彼らの認めるところではない。彼らは黙って私に死んでほしいのだ」

 鮫島はしようぜんこうべを垂れた。

「これからも、こんなことが繰り返されるんだろうね」

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伊東潤
コルク
2019-03-05

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一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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