方形の戦場|3ー3

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 公判の冒頭は事実関係の確認に費やされた。

 まず日本から召喚した元「妙義」艦長の藤堂恭一大佐や元「久慈」副長の柳川孝太郎中佐が、通信記録などを元に「ダートマス号」撃沈までの経緯を語った。これには、とくに目新しいものはなかったが、この事件を「妙義」「久慈」双方の視点から把握するには、絶好のものとなった。

 続いて「ダートマス号」に乗っていた人々の出番となった。

 バレットは生き残った人々、すなわち「ダートマス号」の船長、乗員、乗客などを証言台に立たせ、撃沈された時の状況から捕虜となってバタビアに上陸した後のことまでを語らせた。

 これらの証人たちは、そろって日本軍の待遇を口汚く罵り、ひどい虐待を受けたという証言までした。

 とくに船長は下劣な言葉で、日本軍の待遇について悪口雑言を並べたため、幾度となく裁判長にたしなめられた。

 元々、「ダートマス・ケース」は、船長がイギリス軍から受け取っていた警告を無視し、危険な航路を取ったために起こった事件であり、イギリス人たちも、内心では船長に対していい感情を抱いていない。

 そうした空気を感じ取った鮫島が、反対尋問の時に「なぜ、危険な航路を取ったのか」という質問をすると、船長は烈火のごとく怒り、汚い言葉で鮫島を罵った。

 それを見かねた裁判長が何か合図すると、エスコートがやってきて船長の両腕を被告のように背に回し、法廷の外に連れ出した。

 一方、鮫島も「『ダートマス号』の船長がイギリス軍の警告を無視した事実はあるものの、本件の審理に直接かかわりがないので以後、触れないように」と、裁判長から注意された。

 こうしたことはあったものの、事実関係が明らかになってきた。結論としては、これが完全な殺人事件であるという事実は変わらず、それが誰の意図によって行われたかに、焦点が絞られていくことになる。

 まず、「軍令部から南西方面艦隊司令部に、『捕虜を処分しろ』という命令があったのかなかったのか」という点から議論が始まった。

 処分命令についての証拠資料は一切なく、「船舶の拿捕および情報を得るために必要最低数の捕虜を除く、すべての捕虜を処分すること」と書かれていた「口達覚書」も残っていない。

 この件に関しては、まず元南西方面艦隊司令部参謀長の小山賢司中将が証言台に立たされた。この人物は、南西方面艦隊司令長官だった篠田五郎海軍中将の片腕ともいうべき存在だ。

 バレットが立ち上がる。

「あなたは、篠田司令長官と共に軍令部から来た命令すべてを見ることのできる地位にあったと思いますが、間違いありませんね」

「すべてではありません。あくまで参謀長は司令長官を補佐する立場にあり、その判断を助けるための情報収集や意見具申を行うのが役割です」

「では、インド洋作戦の命令書、いわゆる『作戦命令』を見ていなかったのですか」

「それは見ていました」

「では、その時、それに付随して軍令部から来た『口達覚書』を見ていますね」

「見ていません」

 その言葉で法廷内にざわめきが起こった。

 ──何ということだ!

 事前のヒアリングで「見た」という確認を取っていたにもかかわらず、小山は証言をひるがえした。

 鮫島は傍聴席にいるナデラを見たが、ナデラも信じられないという顔をしている。

 だが事前のヒアリングには証拠価値がないので、同じ言葉を聞いていたナデラにも、小山が証言を翻したと証言することはできない。

「では、あなたは五十嵐被告の見たという『口達覚書』について、全く覚えていないというのですね」

「はい。記憶にありません」

 法廷内が再びざわついたので、裁判長が「Silence!(静粛に!)」と言ってガベル(木槌)を叩いた。

 鮫島はちらりと五十嵐の方を見たが、五十嵐は軽く瞑目し、微動だにしない。

 ──覚悟していたのだ。

 終戦後、元海軍の上層部と軍令部の幹部たちは戦犯裁判の証人に呼ばれそうな者に接触し、「責任を自分たちに押し付けると、天皇陛下の責任が問われる」ということを盾に、「知らぬ、存ぜぬ」を押し通すよう指示していた。むろん天皇陛下うんぬんというのは建前で、自らの保身に走っているにすぎない。

 そのことを弁護士仲間から聞かされた鮫島は、元軍人たちの卑怯な行為に啞然とした。

「では質問を変えますが、インド洋作戦に関して軍令部から来たものは、正式な命令書だけでしょうか」

「この作戦に関して、私は命令書以外、目にしていません」

 小山が淡々と語る。その様子や眼差しからは、噓偽りを言っているようには見えない。

 ──「天皇陛下を守る」という大義を掲げているからだ。

 バレットは最後に、「捕虜処分命令の出所がはっきりしない限り、五十嵐被告は自らの復讐感情から『口達覚書』なるものをねつぞうし、それを下達したとしか考えられません」と結論づけて尋問を終わらせた。

 ──おそらくバレットも、小山の言っていることが偽りだと分かっているはずだ。しかし彼は、偽りを正当化しなければならない立場にある。

 バレットの苦しみが、自分のことのように感じられる。

「弁護人、反対尋問はありますか」

 裁判長の問い掛けに、河合が「ありません」と応じる。乾の立場からすれば当然だ。

 一方、鮫島は「あります」と言って立ち上がった。

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伊東潤
コルク
2019-03-05

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伊東潤

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