方形の戦場|3ー1

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 昭和二十二年(一九四七)九月二日、待ちに待った日本からの証人が到着した。港まで出迎えに行った鮫島は、彼らが小突かれるようにして船倉から連れ出されてくるのを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 同じ輸送船には、河合やバレットが召喚した証人たちも乗っていた。そちらは河合やバレットが出迎え、肩を抱くようにして連れていった。証人たちは長く過酷な船旅でしようすいしているのか、足元はふらつき、顔に笑みはなかった。

 鮫島の許に四人の証人が連れてこられた。元南西方面艦隊司令部参謀長の小山賢司中将、元「妙義」艦長の藤堂恭一大佐、元「久慈」高角砲指揮官で事件当日の衛兵司令だった赤石光司大尉、さらに追加で召喚した元「久慈」副長の柳川孝太郎中佐である。

 なお、同じく追加で召喚した「久慈」の航海長は、進駐軍徴用列車で呉に向かう途中、姿をくらましたという。いくら己の保身のためとはいえ、あまりの行為に鮫島は憤りを感じた。しかしそれならそれで、手中にある証人たちを使って法廷闘争を勝ち抜くしかない。

 重要な鍵を握ると思われた元第十六戦隊先任参謀の加藤伸三郎少将は、コレヒドールの戦い後に行方不明となっているとの通知が届き、召喚は叶わなかった。すでに戦死公報に名前が発表されており、戦死したと考えるのが妥当だった。

 鮫島は今日のところは長旅をねぎらうだけにし、証人たちを宿舎で休ませることにした。


 翌日、四人を個々に呼び出した鮫島は、この裁判には人命が懸かっていること、自分と五十嵐は証人たちに噓をつかせてまで有利な発言を求めないこと、聞かれたことにはすべて正直に答えることなどを伝えた。

 その後、鮫島はヒアリングを行った。事実関係を確認し、齟齬を来している点があれば是正することで、法廷の進行をスムーズに行うためだ。

 ヒアリングには、助言者のアマン・ナデラ少尉も同席していた。鮫島が証人たちに誘導や口裏合わせを行うことを防ぐのが、ナデラの役割だ。

 だが鮫島も五十嵐も、正々堂々と公判を戦うことを期しているので、彼らに噓をついてもらうつもりなどなかった。

 十八時を過ぎ、ようやく四人のヒアリングが終わった。最後の一人とナデラのために呼んだ通訳が出ていき、部屋には鮫島とナデラだけになった。

「何度聞いても辛い話だな」

 鮫島がため息交じりに言う。

「私も辛かったです」

 ──同胞が二十人もむごたらしく殺されたナデラは、もっと辛いはずだ。

 この事件では六十九人が殺され、その中の二十人はインド人だった。それを思うと、ナデラが常に冷静さを保っているのは驚くべきことだった。

 ちなみに様々な情報がさくそうしたものの、ダートマス号の最終的な被害者数の内訳は、以下のようになったとイギリス軍戦犯部から通達があった。


 ダートマス号に乗っていた総員数 百十五名

 沈没時の行方不明者 三名(すべてインド人)

 捕虜 百十二名

 上陸を許された者 四十二名

 その後の行方不明者 一名

 処刑者 六十九名(うちインド人二十名)


 処刑者六十九名という重さは、鮫島の肩にも重くのしかかっていた。

 ──日本人が、なぜそんなことをしたのだ。

 いくつもの偶然が重なったとはいえ、同じ日本人がこれほど残虐なことをしたとは、とても考えられない。

 思い余った鮫島はナデラに謝罪した。

「すまなかった」

「なぜ、あなたが謝るのですか」

「同じ日本人として謝ったんだ」

「そうした同胞意識が、私には理解できません。この件は、あなたに責任はありません」

「それは分かっている。では、謝ったことを謝るよ」

 ナデラと一緒に過ごすことが多くなり、鮫島は日本人とインド人のメンタリティや価値観に大きな隔たりがあると知った。日本人は連帯責任という意識が常にあり、同胞のしたことにも謝罪する。しかし個人主義が浸透している欧米やインドでは、他人のしたことを謝るという感覚が理解できないのだ。

「証人たちのことをどう思う」

「Liar」

 ナデラが断じる。

「噓つき、か」

 彼らは噓をついているのではなく、「自分は、こうした方がよいと思ったのだが言えなかった」「おかしいと思ったのだが、自分の立場では何もできなかった」といった自己弁護に走っているのだが、ナデラにとって、それは噓でしかないのだ。

 ──日本人は変わった。

 日本人は敗戦によって大きな変容を遂げた。それは旧帝国軍人たちも同じで、かつては強い精神力と固い絆で結ばれていた彼らも、今は保身に走らざるを得なくなっている。とくに敗戦によって仕事を失った軍人の生き残りたちにとって、戦犯裁判はこの上なく迷惑なものだった。

 ──敗戦は日本人から誇りを奪い去り、利己主義を植え付けていったのか。

 軍人でなかった鮫島にも、それは恥ずかしいことに思える。だが、かつての軍人たちにとって、今日明日の糧を得ることこそ喫緊の課題なのだ。

「君には、四人とも保身に走っているように見えたのか」

「はい。彼らにとって戦争は忘れ去りたい過去のことであり、いち早く新たな人生に出発したいのです。つまり五十嵐さんも乾さんも過去の人なのです」

 ナデラが感情を剝き出しに言う。

「彼らから、五十嵐さんに有利な証言は得られるだろうか」

「それは公判になってみないと分かりません」

 最初の頃に比べれば随分と親しくなったものの、ナデラは助言者であり、法務将校であるという立場を守り、心の内を明かさない。

「逆に質問させてもらいますが、あなたは、なぜ赤石さんを召喚したのですか」

「処分命令を受けた時の状況を、判事たちに正確に伝えるためだ」

「しかし赤石さんは検事にも召喚されています。バレット少佐は残虐な処刑シーンを再現させることで、判事や傍聴人たちの感情を硬化させようとしています。そういう人をあなたが召喚した意味が、私には分からない」

「それは簡単なことだ。たとえ意に染まないことでも、日本の軍人にとって上官の命令は絶対であり、それが守れなければ、軍人として失格だと知らしめるのだ」

「それが五十嵐さんを救うことにつながるのですか」

「そうだ。五十嵐さんも命令を受ける立場だったことを、判事たちに思い知らせる」

「本当にそれだけでしょうか」

 ナデラがさいしんをあらわにする。

 鮫島は、法廷戦術の一つとして、赤石を問い詰めて乾に対する不満を噴出させようと思っていた。だが確かにそれが、五十嵐にプラスになるかどうかは分からない。

「助言者として言わせていただくと、見え透いた手を使っても逆効果です。ただ一途に真実を求める姿勢が大切です」

 ──Go straight to the truthか。

 だがこの道をまっすぐ行ったところで、その先は行き止まりなのだ。

「帰ってもよろしいですか」

 気づくと、ナデラが鞄を小脇に抱えて立っていた。

「ああ、帰っていいよ。遅くまですまなかった」

「構いません。これが仕事ですから」

 そう言うと、ナデラは部屋から出ていった。

 一人になった鮫島は、ビクトリア・ピークの見える窓際まで行くと、すでに夜景となった外を眺めた。

 ──俺がやっていることは間違っているのか。

 ビクトリア・ピークはすべてを見通しているかのように、闇の中にぼんやりと浮かんでいた。

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

 ナデラが忘れ物をしたのだと思った鮫島が、「鍵は開いている。入って構わない」と答えると、案の定、ナデラが入ってきた。だが、その背後の人物を見た時、鮫島は組んでいた腕を解いた。

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伊東潤
コルク
2019-03-05

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