方形の戦場|3ー13

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 桟橋に横付けされた船から乗客たちが下りてくる。その中にいるはずのそうぎようの人物を探したが、鮫島は見つけられなかった。

 ──まさか乗っていなかったのか。

 この船に乗っていなければ、万事休すとなる。

 鮫島がどうすべきか途方に暮れていると、背後から「あの」という声がした。

「あっ、あなたは──」

「白木です」

 男は、薄汚れた背広にくたびれたネクタイを着けていた。頭は坊主刈りにしていたが、日本人の多くがそうなので、それだけで僧侶の特徴にはならない。

「お坊さんのお姿とばかり思っていました」

「僧侶の姿は、クリスチャンに悪い印象を抱かせるのではないかと思いました」

「そこまでお考えいただき、ありがとうございます。ここまでの船旅はいかがでしたか」

「快適とは言えませんよ」

 白木が白い歯を見せて笑う。その顔には、軍令部に勤めていたということをじんも感じさせない屈託のなさがある。

「それは申し訳ありませんでした。しかし、よくぞご決断いただきました」

「当然のことです」

 鮫島が口ごもりつつ問う。

「日本で圧力が掛かりませんでしたか」

「私が香港に行くことを知る戦友──、いや、元軍令部の人間はいませんから、とくにそうしたものはありませんでした」

「やはり、かんこうれいは敷かれていたのですか」

「はい。私にも連絡はありました」

「どういう形で──」

「それはホテルで話します」

 ──そうか。白木氏はホテルに宿泊すると思っているのだな。

 戸惑いつつも、鮫島は告げた。

「証人に用意されているのは、ホテルではありません」

 それだけですべてを察した白木は、入国手続きを行うべく入管のある建物に入っていった。

 これにより白木は、イギリス軍戦犯部起訴係の管理下に置かれることになる。

 白木は自主的な証人だが、証人の大半は強制的に連れてこられる。つまり半ば囚人のような扱いをしないと逃亡される恐れがあると、イギリス側は思っているのだ。

 手続きを済ませて出てきた白木は早速、起訴係に所属する兵士たちによって、法廷に隣接する宿舎に連れていかれた。

 白木が解放されたのは、起訴係による人定確認などが行われた後になってからだった。

 人定確認終了との一報を受けた鮫島は起訴係に申し入れ、白木の話を聞く時間を取ってもらった。

 すでに日は暮れ、周囲は静かになってきていた。

 イギリス人のエスコートが現れ、「部屋を用意したので来い」と告げてきた。鮫島はそのエスコートの後に付いて、白木の待つ部屋に入った。

 白木は出身地である高知県内の中学を卒業後、兵学校に入り、艦船勤務を経た後、海軍水雷学校に入学した。そこで水雷のプロとしてキャリアを築こうとしたが、郷里の先輩の来島哲郎に呼ばれて軍令部第一部第一課に所属し、終戦の前年に海軍大学校に入ったという。

「それで、先ほどの話の続きですが」

「箝口令ですね」

 鮫島がうなずく。

「あれは米軍が進駐してくる前のことでした。終戦といってもどうしていいか分からず、私ら学生は、教師たちと共に大学校にとどまっていました。そこに軍令部総長の使者と称する少将が現れ、軍令部出身将校だけを集めました。そこで少将は、連合国軍が進駐してきても軍令部から出たすべての命令には、『知らぬ、存ぜぬ』を通すよう命じてきました。その理由は天皇陛下を守るということでしたが、実際は自分たちの保身のためだと思いました」

 軍令部が保身に走ったという噂は、やはり本当だったのだ。

「それからどうしました」

「とくに進駐軍からの呼び出しもなかったので、私は汽車や船を乗り継いで故郷へ戻りました。そこで農作業をしながら考えたのです。私は前線に出ることもなく命を長らえましたが、多くの方が戦場で命を失いました。働けないほどの重傷を負った方もいます。そうした中、私は軍令部総長の補佐として命令書を確認し、同胞や敵国の兵を死に追いやってきたのです。その罪の重さは言葉では言い表せません。日々、それに思い悩み、衝動的に出家とくしました」

 白木が悄然と頭を垂れる。

「それであなたは、インド洋作戦の命令書作成にも携わっていたのですね」

「はい。私は第一部の作戦記録掛で来島軍令部総長に近い立場でしたから、上がってくる命令書を吟味した上で、来島総長に届けていました。通常は作戦を担当する第一部第一課から作成の要請が届くのですが、あの時だけは、特務班という部署から起案書が上がってきました」

「そうした前例はあるのですか」

「私が携わったものではありませんでした。特務班というのは軍令部内では通信諜報と暗号解読を主にやっている部署でしたが、次第に政治目的が絡んだ作戦とか、同盟国からの要請を受けて何らかの作戦を立案するとか、そういったところまでかかわるようになっていきました」

 ──同盟国からの要請か。つまりUボートの技術情報をドイツから提供してもらい、共同作戦を展開する見返りとして、ドイツが要請する「敵の人的資源の殲滅」を作戦に盛り込んだというわけか。

 それは、五十嵐らが言っていたドイツとの取引に関することと一致していた。

「それで、大佐が説明のためにやってきたんです」


「佐々木大佐とは──」

「特務班の一人で、インド洋作戦を起案した人物です。残念ながら佐々木大佐はその後、厦門アモイ駐在武官となり、大陸で消息を絶ちました」

「つまり、すでに戦死していると──」

「厦門はかなり混乱していたと聞きますから、おそらく中国人の手で殺されたのでしょう」

 戦犯裁判の常で、ようやく見つけた糸の端をろうとしても、必ず死亡や行方不明で途切れてしまう。鮫島は今更ながら戦犯裁判の難しさを痛感した。

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真実の航跡

伊東潤
コルク
2019-03-05

コルク

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真実の航跡

伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

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