法の正義|2ー4

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 バタビアに帰還した翌日の午後、作戦報告研究会が開かれた。召集されたのは第十六戦隊司令部の参謀たち、各艦の艦長、副長、航海長、そして司令部付きの法務官や主計士官らである。

 議事進行役は先任参謀の加藤が担った。

 まず冒頭、加藤からインド洋作戦の中止と「久慈」と「高津」の第七戦隊復帰が発表されると騒然となった。誰もが、インド洋作戦が中長期的な作戦になると思っていたからだ。

 続いて五十嵐から戦果の報告があり、その時の状況を説明するよう乾に求めた。

 すると、得意げに立ち上がった乾は、とうとうと持論を展開し始めた。

 乾は索敵あっての拿捕なので、フロート付きの飛行艇はインド洋のような常に荒れた海では使いにくいこと、索敵のために巡洋艦を何隻も稼働させては燃料の無駄遣いになるため潜水艦を先行させて索敵させておくこと、敵艦隊の位置や敵航空基地の航空兵力を事前に把握することによって厳密に曳航可能範囲を策定すべきこと、また交通路に就役している敵船舶の速度や武装状況の情報が不足しているため、何らかの手を使って事前に把握しておくべきことなどを弁じ立てた。

 さらに特設巡洋艦が油断から撃沈されたことを例に挙げ、拿捕の難しさをこんこんと説いた。

 それらについて否定するつもりはないが、資源や財力に乏しいだけでなく、戦況の芳しくない日本軍にとって、すべてを完璧に行うことなど不可能なのだ。

 その前提で軍令部は作戦を立案し、現場に実行を命じてきている。その空気を読まず理想論を述べたり、要求ばかりしていては、作戦そのものが成り立たない。

「乾君、君の意見は分かった。そろそろ具体的な報告に入ってくれないか」

 五十嵐に先んじて、加藤がたしなめた。

「いや、まだです。続いて敵船への警告方法についてですが──」

「それは後で聞くから、まず実際の状況を話してくれ」

「分かりました」と言うや、ようやく乾は実際の状況報告に移った。ちらりと時計を見ると、一時間が経っている。戦争の勝敗には時間という要素も大きくかかわってくる。これだけの幹部の時間を合計すれば、膨大な無駄になる。

「以上が撃沈までの経緯です」

 三十分余にわたって状況の説明を終えた乾が、ようやく椅子に座った。

「それでは質疑応答に移る」

 まず挙手したのは、乾に同情的な「高津」艦長の河野である。

「『ダートマス号』を拿捕するのは難しかったのですか」

 乾が言下に答える。

「絶対に無理です」

 その言葉に五十嵐は不快感を抱いたが、沈黙を貫いた。

「どうしてだ」

 加藤が問うと、乾はとうとうとその理由を述べた。

「敵の船舶は、至近距離に日本の艦船が迫った際、キングストン弁を開いて自沈するような指示が出ていると思われます。連合国軍は自沈の見極めが早く、砲撃を加えずともキングストン弁を開きます」

 日本軍の船舶も、キングストン弁を開いて自沈することがある。だが、それをするのは最後の最後で、敵船からの警告だけで行うことはない。

「乾大佐」

 ようやく五十嵐が口を開いた。

「では『ダートマス号』も、砲撃の前にキングストン弁を開いたのかね」

「いや、それは違いますが──」

 乾が戸惑いをあらわにする。

「ということは、君の言っていることは、このケースにあてはまらないのではないのかね」

「今回の場合はそうでしたが、これまで聞いたところによると──」

「伝聞は慎むように。そういうケースがあるなら、具体的な日時と艦名を述べたまえ」

 乾がくぐもった声で言う。

「今は、その資料が手元にありません」

「分かった。そのことはもうよい」

 五十嵐はあえて追及するのをやめた。乾の面子メンツを、これ以上つぶすことを避けたのだ。

「よろしいですか」と、「妙義」艦長の藤堂が挙手する。

「砲撃のきっかけは何だったのでしょう」

「敵船がカッターを下ろし、乗客を避難させようとしているのが視認され、交戦する意思があると思ったからです」

 乾が勢いを取り戻したかのように、よどみなく答える。

「カッターを下ろしたから交戦の意思があると思い込むのは、性急ではないでしょうか」

「いいえ。商船がカッターを下ろすということは、交戦の意思を明確にすることです。それは『戦訓報』にも出ています」

 乾が該当箇所を指摘する。

 帝国陸海軍では、『戦訓報』という形で、実際の戦闘から得た教訓を冊子にまとめていた。

 乾が得意げに語る。

「おそらく敵の方針なのでしょうが、商船などの場合、カッターを下ろして乗員を移乗させてから戦闘を行い、図らずも自軍の船が沈められても、乗客を敵船に救わせようというわけです」

 先ほどは語るに落ちた形だったが、今回は「待ってました」という質問だったので、乾はここぞとばかりに答えた。

 それに対して、加藤がすかさず問う。

「カッターを下ろしている間は、敵も撃ってこないだろう。その間に近づき、拿捕隊と回航班を乗り込ませることはできなかったのか」

「絶対に撃ってこないとは言いきれません」

「しかし拿捕するとしたら、その機会しかないはずだ」

「たとえそうだとしても、こちらのボートに対して機銃掃射はできます」

 確かに、その可能性は否定できない。だが、すべての危険性を考慮していたら、しょせん拿捕などできないのだ。

 乾は最後まで、「敵船は停船指示に従わずRRRを打ち始めた上、交戦の意思が明らかだったため、やむなく撃沈した」という主張を変えなかった。

 乾は自信過剰なのか、自分のしたことを否定も反省もしない。常の場合、こうした報告研究会では、発表者が「こうした方がよかったかもしれない」と発言することで、議論が展開されていくのだが、乾は頑なで付け入る隙を見せない。

 乾が続ける。

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真実の航跡

伊東潤
コルク
2019-03-05

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伊東潤

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