〈「いだてん」第12回「太陽がいっぱい」あらすじ〉
まもなく四三(中村勘九郎)がマラソンに出場するころ、日本・熊本では、スヤ(綾瀬はるか)が金栗家と共に応援の宴(うたげ)を開催する。一方当の四三は、大森兵蔵(竹野内豊)を抱えてスタジアムに入り、準備万端とは言えないままマラソンのスタートを切る。序盤は順調に順位をあげていく四三。だが、記録的な暑さと石畳の道が彼の体に異変を来し、幼いころの自分の幻影を見る。そして、森の中へ……。(番組公式HPより)
チン、と涼やかに金属の鳴る音がして、手が動き始める。
手は、まだこの世の感触を確かめかねているようにうす暗がりの中を恐る恐る伝っていく。そしてまだどこにもたどりつかぬうちに、「Good Morning」と声がする。挨拶? しかしそれは挨拶というよりは、文字通りそこが「よい朝」という場所であることを告げているかのように聞こえる。ここは「よい朝」なのか?
待って
ストックホルム・オリンピックのマラソン当日、いよいよ第一回からわたしたちが待ち続けてきた、四三のスタートのときがやってきた。短い回想に続いて、スヤが鯛を四三の実家に持ってくる。遠い四三に精をつけてほしいと、実次におよそ非現実的な申し出をする。いったいスヤは何の儀式を始めるつもりなのか。あ、もうタイトルだ。ちょっと、ちょっと待って欲しい。これまでの『いだてん』では、導入にたっぷり時間をかけて、もう視聴者がタイトルのことなど忘れかけた頃にいきなり冷水のようにテーマ音楽を浴びせるのが通例だったではないか。大事なマラソン本番の回だと言うのに、こんなにあっけなく、まだこれといった盛り上がりもないうちから、タイトルが始まってよいのか。
そして始まってしまったドラマは、さらに非現実的な展開を見せる。四三は病身でふらふらの大森兵蔵とともに、スタジアムに向かう。ところが、二人はストックホルムの市内で道に迷い、兵蔵は木陰に座り込んでしまう。四三の脳裏に、幼い頃に熊本の街まで父信彦と旅したときの記憶がよみがえる。あのときの父親も、胃弱のおかげで座りこんでしまった。幼い四三は、持っていた重曹水で父親に力をつけては、長い道のりをなんとか乗り切ったのだった。兵蔵を見ていると、その父の姿が想い出される。あのときの父はいかにも無力だった。その父と旅したことが、のちに何の役に立ったかはわからない。しかし、そのとき自分が父親にしたことをいま自分はすべきなのだと、幼い自分がいまの自分に告げている気がする。気がつくと、四三は兵蔵をおぶっている。おぶってスタジアムまで歩いて行く。いや、ちょっと、ちょっと待って欲しい。いくら病身の監督を放っておけないからとはいえ、これから大事なマラソン本番を控えている男が、人一人を背負い、体力を消耗しながらスタジアムまで歩くなどということがあり得るのか。
そしてようやく四三が控室にたどりつくと、他の選手はすっかり準備を整えている。まだ着替えもしないうちに、係員が誘導を始めて、金栗は一人控室に置いて行かれる。ちょっと待って。こんなにあわただしい、こんなに何もかも中途のまま、試合に行かねばならないのか、金栗四三も、そして見ているわたしたちも。おや、この、シャツを着るショットはどこかで観たことがなかったか? そしてスタジアムの階段を上るショットも。
そして四三は突然、スタジアムにいる。まぶしい光、拍手、まるで暗がりから突然大パノラマの真ん中に放り出されたように、歓声を浴びている。いつの間に、どうやって競技場のど真ん中にたどりついたのか。まるで説明がなされぬまま、スタート地点にたどりつくと、足袋を直している間に、ぱんと鈍い音がする。選手たちが走り出す。いまのはもしかして、スタートだったのか? 待って。これはこの十二回中最大のクライマックスの、待ちに待ったマラソンのスタートの瞬間ではないのか。もっと落ち着いて、これまでやってきたことを反芻する時間があって、心が無になって、しんとして、ランナーたちの誰もが等しく身がまえ、緊張を分かち合い、その緊張が最も高まったところで、ピストルの音が鳴るのではないのか。こんな風に何の準備も与えられぬまま、それが開始の音であることさえ知らされぬまま、始まってしまうのか。これは本当に始まりなのか?
ノーノー!ノー!
そして始まってしまったレースは、ずっと違和感だ。音楽が鳴り、四三が最下位から他の選手をごぼう抜きにしていくところも、なんだか危なっかしい。孝蔵の『富久』によって得られるはずの推進力も、どこか調子が狂っている。夏の暑さを冷ますどころか、なぜ火事の暑さで煽っているのか。見慣れた花の土手をかけるように下りていく、そのスピードも、なんだか物見に急ぐようなあわただしさで、およそマラソンらしくない。
目眩がする。気がつくと、幼い四三がいる。まるでスヤの声援が子供の使者を遣わしたかのように。幼い四三は、四三に声をかける。幼い四三が自分で編み出した呼吸法、いつもやっている呼吸法を告げる。すっすっ、はっはっ。そんなことはわかりきっている。大人にはわかりきっている。わかりきっていることが目の前に現れるようでは、この現実は危うい。四三はいつの間にかラザロを探している。控室でみなが先に出ていってしまうとき、声をかけてくれたラザロ。スタートのとき、足袋を直そうとうつむいている四三を気にするように足踏みをしていたラザロ。ラザロこそ、このぬめるような非現実の幻の中にあって、唯一、現実と四三をつなぎとめる錨だ。折り返してきたラザロが小さくこちらに挨拶を送ってくる。大丈夫、これは現実だ。いやしかし、四三の姿がいつのまにか幼い四三となって、ランナーたちにまじって折り返し点の教会へと駆けていく。これは現実か?
志ん生は走りを煽る。折り返し地点を過ぎて「おもしろいようにスピードが出る」「むらむらと野心が沸き起こった」と。しかしこの語りは、夢かうつつか。四三にはもはや「Vatten」を飲む余裕すらない。そして、音楽が止む。ついに四三はラザロを捉える。現実の錨であるラザロを間近に捉え、「失敬!」と叫ぶや、一気に抜き去る。ついに抜いた。あのラザロを抜いた。なのに、この手応えのなさはどうしたわけだ。これは、ドラマのクライマックスではないのか? この静けさはどうしたわけだ。音楽はどこへ行った。木の間からストックホルムの夏の日差しが差す。
ラザロを抜いた四三に第二の目眩が訪れる。さっきの目眩よりきつい。四三の声に力がない。ないどころではない。「苦しかと?」という声に「うん」と答える四三の声は、もう幼子のようだ。幼子のように、幼い自分に答えている。幼子のように、幼い自分についていく。三叉路に出会ったら、右に行く。「ノー!」。大人の声がする。「ノー…」ラザロだ、ラザロは、カーペンターはなんと言っている。行くなというのか、それとも来るなというのか。「ノーノー!ノー!」。気が遠くなっていく。もっと遠い誰かの声も、したような気がする。
***
チン、と涼やかに金属の鳴る音がして、手が動き始める。
手は、まだこの世の感触を確かめかねているように暗がりの中を恐る恐る伝っていく。「Good Morning」と声がする。安仁子の声だ。カーテンが開く音がして、光がさしこむ。朝か。それとも白夜か。およそ人の声とは思えない、海獣のようなうめき声があがる。誰の声か。フロックコート姿の者たちが入ってくる。田島が非難する。兵蔵が、弥彦が、四三を待っていたのだと言う。しかし、四三にはまだ、何が起こったのかわかっていない。試合のときはあんなに輝いていたシャツと短パン姿が、ベッドの上で正装のメンバーたちに囲まれると、丸裸のように寄る辺ない。寄る辺ない状態であることすら、四三にはわかってはいない。
国旗は部屋の中でうなだれている。負けたということなのか。ダニエルは「日射病」だと言う。しかし、その「日射病」によって四三に何が起こったのか、鈍感な田島はもちろんのこと、兵蔵も弥彦も治五郎も、そしてわたしたちもまだわかってはいない。手は、まだ物語をまさぐっている。
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