いつからか「つぼみ」「舞い散る」「はかない」でおなじみ“桜ソング”が毎年無難にリリースされ、それらをBGMに少年少女は今しかできない青春と初恋に踊る。おれはいつからかそんな萌芽や花吹雪をツイッター検索「卒業式 好き 言えた」などで見つけちゃあ身をよじらせて過ごすルーティーンを営んできた。鬱屈した男子校生活ルサンチマンの反動で、人様の色恋だいすきスクリーモおじさんとして毎年ひとり楽しく生きてたんです。
でも、それはどうやら平成とともに終了するかもしれない。楽天から届いたフォーマルなベビー服が、やんわりとおれに教えてくれる。2019年4月1日。桜咲く東京で、うちの赤さんが入園式を迎える。
式の当日はみごとな快晴で幕開け。両親よりも一足先に起きるのが趣味の赤子は7時前に起き、いやらしく「エヘェ」と笑ってから妻の乳をむさぼり始める。そんな彼のモーニングルーティーンを半目で見届けたのち、いつもより手間のかかる衣類に身を包む我々。手慣れ始めた動きで作りおきの離乳食フレンチトーストを食べさせ、キレイめのベビー服を着せた。いざゆかん入園式、その足取りは軽い。
「式まで時間があるし」と、七分咲きながら見事な桜の並ぶ公園へとベビーカーを遠回りさせる。まだ人もまばらな公園に林立する桜は、花が白トビするくらい朝日に輝いていてうれしい。初めて産婦人科に向かった日もこの公園を通った。その日と同じくらいヌケ感のある空だ。
子供が生まれてから毎日の体感速度が桁違いに上がっているが、この日は生まれて初めて名古屋クラブクアトロでライブを観た10代の記憶のように解像度が高く、じっくり精密に時間が流れた。妊娠を確かめに自転車を漕いだあの日も同じくらい粒の細かい記憶として残っているから「なるほど今日もそんな価値を持った1日なんだな」と実感する。初めてのことを味わう日だからか、式典に対する感慨深さなのか。いずれにしても、入園式の主役は子供であって私ではないのに、不思議なくらいたかぶっている。我々は時間いっぱいまでシャッターを切りまくった。
ふんすかと鼻息を鳴らし、見学や入園前健診などで数回お邪魔していた保育園に到着。室温や湿度などいたるところに気が利いている空間で、スタッフもみんな笑顔で接してくれる。社会人を10年以上やっているからこそ実感できる、あたたかい環境を用意してくれたことへのありがたみ。すでに顔見知りになった同じ組の大人たちと「こんにちは〜」と挨拶を交わし、席についた。
はつらつと進行していく式は、園長先生のありがたいお話に続いて年長組・年中組のパイセン一同によるギグへ。ピアノの合図でお辞儀をし、園のオリジナル曲をジェスチャー付きで歌う彼ら彼女らは、今おれが抱いてる子の数年後の姿かもしれないんだな……ハア成長とはかくなるものか。腕に抱かれた当事者は「アウー」言ったりじたばたしたりで、先輩方を観てるのかあやしい感じだ。大きくなろうな。
花やプリントなどを手渡され、翌日からの説明を受ける。我が子を保育園が預かり、私たちが保育園に預ける上でやるべきことの説明。それを聞きながら「そうか、お子はこれから保育園という舞台に躍り出るんだな」と時間差で気づいた。同時にようやく、朝から続いていたイレギュラーな気持ちの正体に気づいた。
子供が保育園という舞台にステップアップすることは、親である自分たちから物理的に切り離されること。それが、じんわりと、さびしいんだな。