きっかけは「雑司ヶ谷」
こんにちは。樋口毅宏です。普段は小説家を名乗っています。デビューしてから四年ほどで、今のところ計七冊
そんな樋口が今回初めて、新書に取り組んでみました。そもそもこの本を執筆するきっかけとなったのは、新潮社の
その少し前に、『文藝春秋』二〇一二年三月号で「テレビの伝説」という特集が組まれたとき、そこでタモリについての小文を寄稿していました。まずはその文章を読んでみて下さい。
『三十周年「笑っていいとも」タモリの虚無』
のっけから何ですが、二〇〇九年に上梓した僕の処女作『さらば雑司ヶ谷』(新潮社)から引用します。ハードボイルドもどきの本編から話が逸れて、物語の舞台となる雑司ヶ谷の商店街の店主たちが、「人類最高の音楽家は誰か?」と議論する場面です(勘のいい方にはおわかりのように、クエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』へのオマージュです)。甘味屋の香代が、オザケンこと小沢健二が人類最高のミュージシャンと主張するために、タモリの発言を持ってきます。
「むかし、いいともにオザケンが出たとき、タモリがこう言ったの。『俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、〝左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも″って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん』って。あのタモリが言ったんだよ。四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わない人間が! まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。そんな絶望大王に、『自分にはあそこまで人生を肯定できない』って言わしめたアーティストが他にいる? マイルスに憧れてトランペッターを目指すも、先輩から『おまえのラッパは笑っている』と言われて断念して、オフコースが大嫌いで、サザンやミスチルや、時には海外の大物アーティストが目の前で歌い終えても、お仕事お仕事って顔をしているあの男が、そこまで絶賛したアーティストが他にいて? いるんなら教えてちょうだい。さあさあさあ」
ウメ吉が舌打ちをする。タモリが言うんならしょうがねえかといった表情だ。
このエピソードが異常にウケたようでして、書評では決まってこの箇所を取り上げて頂きました。小沢健二だけでなく、タモリもしっかりと再評価させたいという意図があって書いたのですが、僕と同じように「タモリって凄い!」と感じていた読者が多かったのだと思います。
一九七一年生まれの僕にとって、タモリはイグアナの物マネをしていた頃から知っていますし、「いいとも!」や「タモリ倶楽部」を初期から見てきた、長年のウォッチャーだという自負があります、タモリは三十年間、テレビの第一線を駆け抜けてきたスーパースターにも
たけしには爆笑問題、浅草キッド、ダウンタウン松本といったチルドレンや、明らかに影響を受けているフォロワーがいますが、タモリにはいない。たけしはたけしというジャンルを開拓しましたが、タモリには並び立つ人もいない。
たけしやダウンタウン松本が時に懐から刃物をチラつかせて、誰からも恐れられる「自らをコントロールできる狂人」だとしたら、タモリは一見その強さや凄さが伝わりにくい、まるで武道の達人のようです。
これはあながち比喩ではありません。「いいとも!」が始まってまだ一年ぐらいのことでしょうか。番組開始から続いている「テレフォンショッキング」のコーナーに、突如男が乱入して、タモリの横に座りました。凶器も所持していたはずです。しかしタモリは慌てず騒がず、「何、言いたいことがある?」と返し、やりとりをしている間に男はスタッフに取り押さえられました。観覧していた客は目の前の光景が信じられず、しばらくざわついていましたが、タモリはケラケラと笑っていました。忘れがたい光景です。
二〇〇八年には自分を世に送り出してくれた赤塚不二夫への名弔辞で、株を上げたタモリですが、彼にとって人を泣かすことなんて造作もない。物書きの端くれとして言わせてもらいますが、お涙頂戴ほどこの世で簡単な、そして低俗なやり口はない。「貧乏・動物・子供・不治の病」を出し入れすればいいのだから。ただ僕もタモリも(一緒にしてごめんなさい)自分の美意識が許さないだけ。人を笑わせることのほうがどれだけ難しいか。
しかしタモリは「笑い」という難題を、表面上は
人を笑わせるには物凄いパワーが必要とされます。しかし終戦の年生まれのタモリも老いに対して当然自覚があり、近年はその省エネ化が顕著です。「いいとも!」開始直後はオープニングの歌、前半トーク、テレフォンコーナーの友達の輪のかけ声、その後のコーナーもすべてMCを担当していたのが、今は「タモリ倶楽部」でも仕切りをゲストにまかせています。じゃあタモリが面白くなくなったかというと全然違う。むしろ、タモリがタモリからどんどん楽になっていく。自由になっていく印象を受ける。こんな人は他のジャンルにもどこにもいません。
実はタモリととてもよく似た人がいます。久米宏です。歳もタモリがひとつ下なだけ。共通項を挙げていきましょう。
①早稲田大学
②サユリスト
③帯の生放送番組の司会をしている(していた)。しかも長寿番組
④結婚をしているが子供はいない
⑤乾いた笑い声、などなど
僕は久米宏のことも大好きなのですが、現在のふたりを分けたのは何でしょうか。それは、「究極の諦念」です。久米宏は局アナ出身だから愛想笑いをします。しかしタモリは・・・・・・。久米宏は、「ニュースステーション」に出演していた頃、毎年八月は三週間のバケーションを取るなど十分な休暇を取っていたけれども、「昨日と見分けのつかない、終わりのない日常」に疲弊して降板した。対してタモリは、九五年まで夏休みを取っていたけど、それ以降はなし。休んだのは船舶免許取得と、ゴルフボールが直撃したときと、白内障の手術を含めた人間ドックの三回だけ。どうかしています。
お昼の生放送に出演するというのは、長年連れ添ってくれた夫人と海外旅行ができないどころか、平日に休んだり三連休という、コンビニのバイトでさえできることを放棄してしまっている。一生使いきれない金があるにもかかわらず、そこらの学生やプータローより自由が利かない。タモリはそんな自分を冷ややかに見ているはず。「俺、他人から見たら人生の成功者に見えるかもしれないけど、実のところどうなんだろう?」って。
だけどタモリはきょうも「いいとも!」にでている。昨日どころか、十年前と同じ表情で。他者だけでなく自分のことまで笑いながら。
先述の『さらば雑司ヶ谷』のタモリ論には続きがあります。
拙著を読んでくれた浅草キッドの水道橋博士が、タモリと共演した際に、肝心のページを見せたのです。タモリはこう言ったそうです。
「ふーん・・・・・・。これ書いてある通りで俺が思っている通りなんだけど、放送されてないと思うんだけど・・・・・・なんでこの人、ここまで知ってたんだろう?」
いいえ、違います。当時、番組をリアルタイムで見たことを、ちゃんと記憶している奴がいるのです。常人離れしたあなたの狂気や神髄に触れたくて、日夜研究しているウォッチャーがいることを、お忘れなきよう。
追記 テレビ朝日の長寿番組「徹子の部屋」は、毎年最後の放送の回はタモリがゲストなのですが、先日出演した際に、中村明一というバークリー音楽大学出の尺八奏者が上梓した本を紹介していた。そこから整数次倍音——タモリの言葉を借りれば「クラシックの歌手とかグレゴリオ聖歌といった音楽的なもの」であり、「カリスマ性」と「荘厳さ」を感じさせ、歌手でいうと美空ひばり、浜崎あゆみ、話し声だとタモリと黒柳徹子——を引用して、次のように語っていました。
「(自分の)声は整数次倍音だから、どこか突き放して、遠いところから俯瞰で見ているポジションにいる」
やっぱり、ご自分でもわかっているんですね。
以上です。
久し振りに目を通してみたのですが、悪くないですね。この後思い出したのですが、タモリって居合の名人なんですよね。若い頃に段位を修得していて、いつぞや「タモリ倶楽部」で真剣を用いてその腕前を披露していたことを思い出しました。
それと「タモリ=絶望大王」説は、我ながら
「難しいことを難しいまま言うやつ、あれ、馬鹿だよね」——タモリ
冒頭にそんなエピグラムが掲げられる異色のお笑い評論。続きが気になった方は、ぜひこの機会にお手に取って御覧ください。
また著者・樋口毅宏さんのインタビューも同時掲載! 併せてお楽しみください。
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タモリ論 (新潮新書) 樋口 毅宏 新潮社 |