俺はプロ野球選手になるよ」一朗はあっさり宣言した。

【第2回】
一朗がスポーツ少年団に入ってきていから、真一は毎日千回、素振りをするようになった。
真一は一朗をライバルだと思っている。少なくとも彼のほうは。
天才とは何か。イチロー引退の報を受け、樋口毅宏が緊急書き下ろし!

*本作品はフィクションであり、実在のいかなる組織・個人、また媒体とも一切関わりのないことを付記致します。

 二回表

 突然のニューカマーの出現に、真一は火が付いた。それまでは日曜日だけ野球の練習をしていたが、平日も学校が終わると素振りを欠かさなかった。図書館で借りた王貞治の本には、「プロ野球選手になりたかったら、バットを毎日千回振りなさい」とあった。真一は実行することにした。友達の遊びの誘いも断って、走り込みを増やした。

 真一の脳裏に、憎たらしい少年の顔が浮かぶ。

「うん、俺はプロ野球選手になるよ」

 練習後のお昼ご飯の集まりで、一朗はあっさりと宣言した。

「すげえ~」

「だよなあ」

「絶対なれるよ!」

 周囲の子どもたちが騒ぐ。

 先週まで輪の中心にいたはずの真一は、弾かれたような気持ちになった。皮肉なことに、のり弁を覗かれないか、その心配をすることは無くなった。

「イッ君の弁当すげえ」

「うまそっ」

 子どもたちが大袈裟に騒ぎ立てる。弁当箱いっぱいに豚肉の生姜焼きと白米が詰めてあった。

「あれ、野菜は」

「全然ない」

 一朗は事も無げに言った。

「オレ、野菜嫌いだから。入れないように母ちゃんに言ってるの」

 子どもたちが驚く。

「いいなあ~」

「俺も母ちゃんにトマトいらないって言ってみようっと」

 いちばん驚き、羨ましかったのは真一だった。

 自分の弁当に肉が入るときは、母親が働くスーパーマーケットの総菜の残りだ。真一にも好き嫌いがあったが、それを母親に言って困らせることはなかった。なのに同い年の少年は、「野菜が嫌いだから弁当に入れないように」と伝え、親も許してくれている。

 なんて甘やかされているんだ。

 子どものひとりが訊ねる。

「ねえ、イッ君のグローブ、かっこいいよね」

 真一も気付いていた。水色の革がピカピカに光って見えた。小柄な一朗の顔を覆うようにそれは大きかった。

「牛島モデルの特注なんだ」

「え—っ」

「すげええ」

「見せて見せて」

「触っていい?」

 一朗は弁当を掻き込みながら答える。

「いいよ」

 子どもたちは食事の手を止めて、代わる代わる一朗のグローブを手に嵌めて、感触を楽しんだ。真一も嵌めてみたかった。しかし小さなプライドが許さなかった。

 子どものひとりが邪気のない声で訊く。

「イッ君ち、お金持ちなの?」

 一朗は笑いながら首を振る。

「違うよ。うちは小さい工場だし。でも父ちゃんにお願いしたら買ってくれたんだ」

「へえ~」

「いいなあ」

「うらやまし~」

 一朗は鼻にかけるでもなく、笑いながら聞き流した。

 それ以後も、話題の中心は一朗だった。

 わずか数時間で、一朗は嘲笑から羨望の対象へと変わっていた。

 かつて「シンちゃん、シンちゃん」と持ち上げた連中はあっさりと、自分に背を向けている。

 真一は食べ終えた後も、空の弁当箱を睨み続けた。

一朗を見たくなかった。


 —負けたくない。

 真一は家のそばの駐車場で素振りをする。千回を超えても続ける。バットを振ることで、一朗の顔を掻き消そうとした。


 二回裏

 一朗が豊山町スポーツ少年団に加入して半年が経過した。その秋、一朗は五年生の新人戦にピッチャーで四番を務め、西春日井郡の大会で優勝した。

 同じチームで、真一はファーストで六番だった。

「ボクも五年生のグループに入れて下さい」

 真一は監督に直訴した。一発がある強さを持つだけでなく、日頃の練習への熱心な姿勢から彼の要求は通った。真一もまた、体格、運動神経ともに、三年生の中では群を抜いていた。大会の打率は三割二分五厘だった。だが一朗の打率は九割だった。差は開くばかりに感じた。

 真一が一朗より自分の優れているところは体の大きさだと思っていたが、一朗も成長期にあって、すくすくと身長が伸びていった。肉ばかり食べているからだと真一は思った。

 真一は一朗をライバルだと思っていた。少なくとも彼のほうは。

 一朗は気さくに真一に声をかけてくる。自分は野球がヘタな友達を内心見下してきたが、一朗が他の子どもたちを下に見るような言動は見受けられなかった。そんなところでも負けたような気がした。

 けれども、いちばん負けているものは、父親の存在の有無だと思っていた。

 聞けば一朗の父親は、毎日彼の練習に付き合っているという。

一朗が学校から帰ってくると、仕事を切り上げて、伊勢山グラウンドでティーバッティングをする。のみならず、町内にある空港バッティングセンターまで行って、日夜十一時まで一朗は打席に立っているというのだ。お金がいくらかかるのだろう。

一朗の才能より、真一は父子の二人三脚ぶりに嫉妬した。

他の大人たちが大事な仕事で試合や練習に来られないときも、一朗の父親は必ずやってきた。

一度、一朗の父親が見えないところで、真一は他の子どもたちに、わざと聞こえるように言った。

「おまえの親父、仕事してるのか」

 そのときの一朗の顔を見て、真一は勝ったと思った。


 小学四年生になると、一朗と真一は六年生のチームに入った。一朗と真一のクリーンアップはよく打ち、第七回全国少年スポーツ少年団軟式野球交流大会で、愛知県大会を優勝した。

 そのご褒美に、監督とコーチは、チームを甲子園の高校野球大会に連れて行ってくれた。真一は初めて甲子園に行く興奮で前夜から寝付けなかった。朝五時に母親に起こしてもらい、志水小学校のグラウンドに集合して、レンタルしたマイクロバスに乗り込んだ。真一は寝惚け眼を擦る。車内は子どもたちのお菓子の取り合いで賑やかだった。一朗が他の子どもたちと騒ぎながらも、その手に何かを握っていたことに気付いた。上級生が彼に訊ねる。

「イッ君、それなあに」

「これ? スナップボール。父ちゃんにずっと握ってるように言われてんだ」

 真一は前の座席のほうに座る一朗の父親を見る。

「鉛が入ってるんだ。これで握力が鍛えられるから。こないだ修学旅行があったときも持って行った」

「すげえ」

「先生、OKだったの?」

 一朗が涼しい顔で言う。

「父ちゃんが学校に掛け合って、持ってっていいことになった」

「すげええ」

 真一から初めて甲子園に行く喜びと興奮が消えそうになった。一朗は移動中のバスでさえ時間を惜しまない。差は開くばかりに思えた。

 バスは八時前に甲子園に到着し、子どもたちは第一試合から観戦した。

「きょうも暑くなるからな、銀屋根の下で観よう」

 子どもたちは素直に従った。

 憧れの甲子園のグラウンドを見下ろして、真一は感動を覚えた。

 高校生たちがきびきびと動いている。ホームランやファインプレイだけでなく、エラーをしても、真一には選手たちが眩く映った。ひとつひとつのプレイに歓声が上がる。

 子どもたちのお目当ては、中京高等学校の野中徹博だった。

ピッチャーの野中は春にも中京を甲子園に導いていた。

 力のある速球で三振を取る勇姿は、同じ愛知県の先輩として誇らしく思えた。

 この頃甲子園には、横浜を初優勝させた愛甲猛、熊本工で強肩、強打で鳴らした伊東勤、アイドル的人気を誇った早稲田実業の荒木大輔、蔦監督率いる「山びこ打線」の池田のエース水野雄仁など、綺羅星のようなスターが次々と生まれていた。

真一は彼らのようになりたかった。

 —大きくなったら、必ずここに来る。

 心に誓った。

「おい、おまえどうした」

 大人たちが慌てている。振り返ると、一朗が熱中症からか、鼻血を流していた。

 子どもたちは腹を抱えて笑った。真一を除いて。

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小説・イチローになりたかった男

樋口毅宏

イチロー引退の報を受け、小説家・樋口毅宏が緊急書き下ろし! 体が大きく野球センスもあった内之田真一は、自分の輝ける将来を疑ったことはなかった。そのスポーツ少年団に、一朗がやってくるまでは。 天才とは何かを問う物語。

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azu_chabi まだ第2回なのに、もう イチローになりたくなってる #小説 #樋口毅宏 3ヶ月前 replyretweetfavorite