いだてん』第11回「百年の孤独」〜播磨屋の縫った日の丸を胸に

脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛と、伝説の朝ドラ「あまちゃん」の制作チームが再結集。大注目のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第11回「百年の孤独」。いよいよ1912年、ストックホルムオリンピック開会式。日本初のオリンピック選手となった四三と弥彦が見たものとは…。

〈「いだてん」第11回「百年の孤独」あらすじ〉
1960年東京オリンピックを控える田畑政治(阿部サダヲ)は開会式を研究すべく、ストックホルムオリンピックの記録映像に見入る。時は1912年7月のストックホルムオリンピック開会式。「NIPPON」のプラカードを持ち、四三(中村勘九郎)と弥彦(生田斗真)が日本初のオリンピック選手として入場。そして競技が始まる。大森兵蔵(竹野内 豊)に緊張を解された弥彦は100メートル短距離走で好タイムでゴールするも順位は惨敗し、200メートルも惨敗に終わる。プレッシャーと戦い続けた弥彦だったが、晴れやかに最後の400メートルの走りへと向かう!(番組公式HPより)


 魅力の多い回だった。語るべきことはいくつもある。

 スタジアムの入口から次第に満員の観客が見えてくる興奮。「敵はタイムのみ」ということばを大森兵蔵が言うとき、なぜかそれが兵蔵の生に宛てられたことばでもあるように響いて切なかったこと。百メートル走の小ささ。順位や段取りにしか興味がない田島は、まるで視聴率にしか興味がない人間のカリカチュアのようだ。森山未來の「え?」という表情の影。お守りのようにぎゅっと握りしめられた胸の日の丸(ああ、それは播磨屋の縫ってくれた日の丸だ)。プレッシャーとスランプ、またしてもP。押し花。四百メートル走で、弥彦が最後の最後に自分を追い抜いた敵を一瞬見るときの、表情のすばらしさ。そして何よりも裸、裸、また裸! ひやー! 四三と弥彦の裸が何度も繰り返されるうちに、見ているわたしは冷水浴ならぬ裸体浴をしている心地になる。体に冷水、目に裸体。その裸たちのなんと楽しげなこと! このストックホルム青春編は、間違いなくドラマを次のステージへと押し上げている。

 しかし、ここからは、あえて裸体も、スタジアムも、すゑでんの花もない、いたって地味な場面のことを考えてみたい。それはタイトル前の室内劇のことだ。

 わたしはストックホルムにたどり着いた治五郎を囲んで、プラカードに記す国の名を議論する場面の緊張と緩和の連続に唸らされた。その感想を、ごく短いことばで書くと「四三の語りはすごくエモーショナルだった」「四三の日本への思いが伝わってきた」といった内容になるだろう。しかし、その「エモーショナル」「思い」といった感想が、実は四三の語りの内容のみならず、そのときの人物配置の妙によって左右されているとしたらどうだろう。ここでは、冒頭場面の「よさ」の理由を考えるために、少し遠回りをして、語られた内容のごく一部を取り上げて、画面の中で何が起こっていたかを追っていこう。時間はわずか50秒足らずだが、そこで起こっていることをきちんと記すとなると、話は長くなる。

視線は逸れ、人は動く

 あなたが演出家で、今回の脚本の一部を受け取ったとしよう。場所はストックホルムのホテル、客室フロアのロビー。場にいるのは四三、弥彦、治五郎、大森夫妻、内田公使。四三は掲げていた「日本」の文字をおろして、静かに語り始める。語りはこうだ。

 「思えば、九州の山奥から東京に出て、その東京ば出て、大陸に渡り一ヶ月、こぎゃーん晴れ舞台に立つなど、考えもせんかったです。ばってん、くじけそうになったつも一度や二度じゃなか。そぎゃんとき、おるは、日本の…熊本の…東京高師の面々の顔ば想い出して乗り越えました。」

 あなたなら、どんな映像をつけるだろう。もちろんひたすら四三の顔を撮ってもよいが、それにはこの台詞は長すぎる。内容に沿ってみるのはどうか。「九州の山奥」や「東京」の光景をインサートしてもいい。後半部分には「熊本」の人々や「東京高師の面々」の笑顔をインサートするのもよいではないか…確かに、ことばのイメージに近いものを映像に出せば、視聴者の理解は得られやすい。得られやすいのだが、おもしろくない。おもしろくないし、それにここは、日本から遠く離れたストックホルムで一人孤軍奮闘してきた四三が、思いのたけを吐き出す場面だ。なまじ故郷や東京の映像など入れてしまったら、その孤独が甘く緩和されてしまう。では、長台詞を言いながら立ち尽くす四三とそれを聞く治五郎の顔を交互に写すのはどうか。悪くはない。悪くはないが、それだとこの台詞は、四三対治五郎という二人の時間として描かれ、他のメンバーは置き去りになってしまう。

 実際はどうだったか。一見すると一続きに見えるこの台詞は、以下のようないくつもの起伏を持つドラマとして演出されていた。

 「思えば、九州の山奥から東京に出て、その東京ば出て、大陸に渡り一ヶ月、こぎゃーん晴れ舞台に立つなど、考えもせんかったです。ばってん」ここまでのショットはシンプルに構成されている。まず、語っている四三の横顔がしばらく写し出される。そして「考えもせんかったです。ばってん」のところで、今度は聞き手である治五郎の顔が写される。このときの役所広司の、いったいこの話はどこへ行くのだろうかと伺うような表情が、「ばってん」という逆接と相まって視聴者に謎をかける。

日の丸の向こう側

 さて問題は、ここからだ。「くじけそうになったつも一度や二度じゃなか」のところで、四三はゆっくりと左右を、すなわち弥彦を見、大森夫妻の方を見る。この視線の移動によって、「くじけそうになった」ことが弥彦と大森夫妻に関わる何かであることが暗に示され、語りは四三と治五郎の二人から、その場にいる他の者へと開かれる。そしてここが重要な点なのだが、この四三の視線移動を機に、治五郎がソファへと移動するのである。

 さすがは間合いの達人嘉納治五郎、四三の視線の隙を巧みにつき、自分の居場所を四三との一対一の位置から、一同の中心であるソファへと移動させた。わたしたちも議論に煮詰まったり考えがまとまらないときに、気分を変えるべく立ったり座ったりすることがある。しかし、でたらめなタイミングでできるわけではない。たとえば議論の相手がこちらを見ているときに急に移動したりしたら、相手の視線から逃げ出すように見えてしまうだろう。それでは相手から「どこへ行くんですか?」「ちゃんと話を聞いて下さい!」などと難じられてしまう。気分が変わるどころか緊張がよけい高まってしまう。治五郎が、緊張したやりとりに変化を与えるべく、自らの立ち位置を四三の正面からソファへと移動するためには、相手が治五郎を「見ていない」瞬間を狙う必要がある。演出論として言い換えるなら、四三が台詞の中であえて治五郎から目をそらして弥彦を見、大森夫妻を見るのは、実は治五郎に移動の機会を与えるための演技でもあるのだ。

 そして治五郎の移動は、今度は四三の立ち位置の変化を促す。というのも、四三が語り続けるためには、まずはメインの聞き手である治五郎を視界に捉え直さねばならないからだ。「そぎゃん時」と言いながら四三は、自分の方には向かずソファに座り込もうとする治五郎を身体で追う。ところが治五郎は、まるでこちらを向く気配がない。どうやら四三の語りを、見るのではなく、耳できくつもりらしい。四三はそれを瞬時で判断してから身体を治五郎の方から今度は背後にあった日章旗の方へと向ける。まるで治五郎の身体がソファにどしんと落ち着く動きが、四三の身体をくるりと日章旗へと回転させたかのようだ。四三は、今や正面にある旗に向かって、こう言う。

「日本の…」。

 それはまさに日章旗が想起させる国の名そのものだ。

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今日の「あまちゃん」から

細馬 宏通
河出書房新社
2013-12-25

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

hirorin_house いつも鋭い視点で驚かされる! https://t.co/wZ2CaOcDXS 2ヶ月前 replyretweetfavorite

tksa4883 『 いだてん』第11回「百年の孤独」〜播磨屋の縫った日の丸を胸に|細馬宏通 @kaerusan |今週の「いだてん」噺 細馬さんの解説が回を追う毎にスゴい事になっていってる!今回も読後再見必至! https://t.co/pfIodhqoHs 2ヶ月前 replyretweetfavorite

kuwanoman822 凄い考察。 自分の時が楽しみだし、怖い…(笑) 真をつく批評は作り手を育てる、その典型。 『 いだてん』第11回「百年の孤独」〜播磨屋の縫った日の丸を胸に| 2ヶ月前 replyretweetfavorite