僕にとって、過去の物語との最後の繋がりだった文鳥も、寒い冬の日に死んだ。
結局十年生きた。
この種類の鳥でこれだけ生きるのは、長寿の部類に入るらしい。
かつては向精神薬を飲まされたり、水を替え忘れたりされることも少なくなかったが、それにも耐えてこれだけ生きたのは飼い主である僕としても驚きだった。
七歳を過ぎたあたりから老化が目立ち、ホームセンターで餌を買うたびに、もう二度と買うことはないかもしれないと覚悟したにも関わらず、何度も何度も裏切られ、永遠に生きるのではと思ったのだが、流石にそうは行かなかったか。
華々しくも息苦しい共同生活のなかに、救いとなるべくやって来たその文鳥は、その役割こそ果たせなかったが、全てが終わったあとも僕の部屋に残り、長い間生活を見守った。
体力が衰えても、最後まで人とみれば噛みつく凶暴な性格はそのままであったが、さすがに死の直前の数日間は大人しくなり、ヒーターのそばでじっとうずくまることが多かった。
餌も減らなくなると、切迫した状況が否応なしに察せられ、看取ってやりたくはあったが、その時僕は忙しく、それどころではなかった。
親しくしていた知人が病院で死の床についていた。僕は見舞いをしたり、その人物について考えることが多くなっていたので、今まさに死にかけている小さな鳥について何かを思ったりする時間はなく、また家も留守にしがちであった。
だから僕はその死の瞬間を見届けることが出来なかった。病院に行き、夜遅くになって帰って来ると、いつもやかましく喚いて僕を出迎える声が聞こえない。もしやと籠のなかを覗いてみると、端の方でひっくりかえって動かなくなっていた。
文鳥の足は縮こまった形のまま固まって、指先はうつろに中空を掴んでいる。目は薄いまぶたに覆われ、嘴は髪の毛一本ほどの隙間があいている。しかし体を覆う羽毛だけは、老化によってところどころまだらになっていたとはいえ、艶やかな表面を保っている。
僕は残念に思う反面、面倒にも感じた。今日は朝から夕方まで労働をし、そのあと離れた病院へ見舞いに行き、余命幾ばくもない知人と会話をし、肉体的にも精神的にもへとへとに疲れている。まだ夕食もとっていない。いや、食事の時間さえ惜しく、すぐに眠るつもりでこの部屋へまっすぐ帰って来たのだ。そして、明日も仕事がある。
このまま放置して、明日埋葬しようか? いや、今日早く帰ってしまった分、明日の仕事が増えている。埋葬場所を探すのも手間だ。いっそのこと、生ゴミに混ぜて捨ててしまおうか。
常識的には罪悪感を覚えるものなのだろうが、今の僕の精神はそれを許しそうだ。しかし、結局そうはしなかった。この文鳥は、他の誰かに飼われていた場合のように、手厚く埋葬されるべきだろう。そして僕も、例え自分以外誰も見ていない場面でも、他の誰かのように振る舞うべきなのだ。
僕は籠に手を突っ込むと、そっと亡骸の下に指を差し入れ、仰向けにした手のひらの方に転がした。それは想像以上に軽く、丸めた紙を乗せているような感覚だった。
そしてゆっくりと取り出して、ティッシュにくるみ、さらにスーパーで貰ったレジ袋に入れ、去年部屋の観葉植物を植えかえるために買ったハンドスコップと共にトートバッグにしまうと、埋葬場所を探すために外に出た。
空には少し欠けた月が浮かんでおり、女の悲鳴のような風の音がする。僕はマフラーを巻き直すと、凸凹のアスファルトの上を革靴で歩きはじめた。
この辺りは田舎町で、僕の住んでいるアパートの周辺こそ住宅が建ち並んでいるが、そこを出ればすぐに草むらや手入れのされていない雑木林ばかりになる。そのあたりには野生の小動物なども数多く棲息しており、死ねばそのまま土に還る。この文鳥の亡骸も、同じように還すのが、ゴミに出すよりも妥当に思われた。
この文鳥は生前、朝になれば窓の近くの電線にとまる雀たちの鳴き声に呼応して鳴いていた。雀と文鳥で会話が成立するのかどうかは知らないが、その盛んに鳴くさまは、囚われの身の苦悩を伝えているようだった。
文鳥というものは人に飼育されなければ生きていけない弱い鳥で、この鳥も、その一生を与えられた餌と水で過ごす他なかったが、死ぬことでようやく解放されるのだ。
しかし、法的にはどうなのだろう。いくら野生動物の死体が転がっている場所とはいえ、勝手に埋葬しては、やはり何かの条例に違反してしまうのだろうか。
正式にやるには保健所にでも相談したほうが良いのかもしれないが、ここから引き返そうという気にはならなかった。
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