​『運び屋』 私に残された時間はないのかもしれないし、あるのかもしれない

クリント・イーストウッドが監督・主演を務める映画『運び屋』。老いてから麻薬の運び屋となった男の晩年から、残された時間を自覚することの重要性について、伊藤さんが考えます。

2008年の監督・主演作『グラン・トリノ』で、俳優としては引退すると宣言したクリント・イーストウッドだったが、2012年『人生の特等席』で俳優として復活。2018年公開(アメリカ)の『運び屋』では、ふたたび監督・主演のイーストウッドが戻ってきた。1930年生まれ(88歳)にしていまだ壮健、創作意欲にも衰えがなく、映画作家として充実した状態であることがうかがえる。共演者のブラッドリー・クーパーによれば、普段のイーストウッドは「カンガルーみたいに椅子から飛び出す」エネルギッシュな身体を保っているため、劇中では、老人ならではのおぼつかない足取りや曲がった背中を「演じなければならない」のだという*1。怖るべき88歳。しかし考えてみれば、同じく1930年生まれの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールとフレデリック・ワイズマンも現役で作品を撮り続けており、この同い歳3人の新作『運び屋』『イメージの本』(ゴダール)『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(ワイズマン)が2019年に揃って日本公開されることはよろこばしい。意欲さえあれば継続は可能であると、彼らの世代が身をもって示しているように感じられる。

本作は、2014年にニューヨークタイムズに掲載された記事「シナロア・カルテルの90歳の運び屋」にヒントを得ている。記事は、アメリカへコカインを密輸していたメキシコ犯罪組織の摘発について書かれたもので、薬物を車で運ぶ危険な役割を担っていたのが87歳の老人だと報じていた。映画『運び屋』はこの事件記事を元に、映画的な脚色をくわえた作品である。主人公は朝鮮戦争の退役軍人で、デイリリー(1日だけ咲くユリ)という花の栽培で生計を立てていた老人アール。商品の販売経路がインターネットに移っていく中、変化に取り残されたアールは事業に失敗。自宅も農園も差し押さえとなった。生活に行き詰まった彼は、やむなく麻薬の運び屋を始めることとなる。前科がなく、正規に発行された身分証明を持ち、つねに安全運転するこの老人は運び屋にうってつけの人材だ。彼はやがて驚くほど大量の薬物を運ぶ仕事を難なくこなす「伝説の運び屋」として、組織内で重宝されていった。

劇中、観客は主人公アールの無神経さ、独特のマイペースぶりにイライラとさせられるだろう。麻薬を運ぶ際にも寄り道が多く、困った人を見かければ車を止めて助けていた。密輸の途中で宿泊すると、娼婦を呼んで楽しそうにひと晩をすごすような、いいかげんで軽薄な部分もある。ほんらい社交的な彼は、どこへ行っても輪の中心になるような性格だった。軽口ばかり叩き、やけに愛想のいい彼は、花の栽培でも成功を収め、かつては栽培の名人としてもてはやされていた。一方、家族に対しては冷淡で、娘の結婚式にすら出席せずに仲間と酒を飲んでいた様子が描写される。そのためアールは家族にすっかり愛想を尽かされ、親族が集まる場に顔を出しただけで、妻や娘は激しい拒否反応を示す。孫娘の結婚パーティーへ訪れたアールが、家族に激しく罵倒されてその場を立ち去る場面は忘れがたい。それでもいままで彼は、仕事の成果でみずからを証明する機会があったが、職を失い、家や農園を抵当に入れられてようやく、自分がいかに間違った人間であったかに気づく。自分の人生は残り少なく、家族から許しを請う時間も残っていないという現実に直面し、戦慄するのである。

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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kc_katsuyuki 『運び屋』 私に残された時間はないのかもしれないし、あるのかもしれない|伊藤聡 @campintheair | 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

circle_Potion 『運び屋』 私に残された時間はないのかもしれないし、あるのかもしれない 「住む家と仕事がなくなった後で、許してほしいとすがりついてくる老人」 こんなシーンはなかった。あそこは見るものの解釈に任せている。 https://t.co/YxzdDlPbgV 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

campintheair 『運び屋』。88歳で映画作ってるってこっちまで元気でますね。そう考えると宮崎駿なんてまだ若いよ、1941年生まれでしょ。イーストウッドは1930年で撮りまくってるんだよ、まだまだやれるね https://t.co/iTPNs9dxAb 約1ヶ月前 replyretweetfavorite

mizukisf 『運び屋』 私に残された時間はないのかもしれないし、あるのかもしれない|伊藤聡 @campintheair | 約1ヶ月前 replyretweetfavorite