アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう

高須クリニックの高須院長が、アウシュビッツは「捏造」とツイートしたのに対し、アウシュビッツ記念館が「史実である」と反論しました。アメリカ在住の作家・渡辺由佳里さんは、自身がアウシュビッツを訪れたときのことを紹介しつつ、陰謀説を信じたくなったら、まずは検証されている証拠をその目で見てほしいと語ります。

捏造説をソーシャルメディアで見かけたときに考えてほしいこと

高須クリニックの高須克弥院長の「南京もアウシュビッツも捏造だと思う。」という
2015年のツイートに対して、今年3月15日にアウシュビッツ記念館が日本語のツイートで「史実です」と反論した。

1937年に日本軍が南京を占領して多くの中国人を暴行、殺傷した「南京大虐殺」も、第二次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人を大量殺害したホロコーストとその現場のひとつだった「アウシュビッツ収容所」も、多くの証拠が残っている「史実」である。

日本では南京大虐殺についてしっかり教えてくれないので、私がそれを知ったのは、1984年にイギリスでホームステイをしていた家庭のリビングルームでのことだった。イギリス人家族と一緒にBBCのドキュメンタリーを見ていたのだが、それが「南京大虐殺」だったのだ。写真や映像でのむごたらしいレイプや殺害の記録はいまだに忘れられない。日本人としていたたまれない気持ちだったが、それ以上に、それまで史実を知らなかったことを恥じた。1996年刊行の小説『ブリジェット・ジョーンズの日記』に、「日本人は残酷」という一節があるのだが、もしかしたら、作者はこのドキュメンタリーを見ていたのかもしれないと思った。

自分の国の人が過去におぞましいことをしたという事実を受け入れるのは難しいかもしれないし、それを認めたくないからわざと無知であることを選ぶのも人間の性かもしれない。

だが、アメリカ人がもし「広島や長崎の原爆は捏造」と言ったら、日本人としてどう感じるだろう?

「原爆についてアメリカ人にちゃんと知ってほしい」、「原爆資料館に来て、どれほど残酷なことだったのか見てほしい」と思うはずだ。

だから、アウシュビッツ収容所でのユダヤ人虐殺や原爆投下、南京大虐殺など、すでに史実として繰り返し検証されていることへの「捏造説」を見かけてそれを信じたくなったときには、「なぜ自分は捏造説のほうを信じたくなるのだろう?」と自問してほしい。すると、「真実から目をそらしたい」という自分の中にある理由を見つけられるはずだ。それは「自分の祖先がそういう人間だとは信じたくない」という理由かもしれないし、「史実として認められているものを否定できるほど自分は頭が良くて偉大だ」というナルシスティックな理由かもしれない。

次には、できれば原爆資料館のように史実に向き合うことができる場所を訪れてほしい。

私は2012年にポーランドのアウシュビッツ記念館を訪問したのだが、そのときに書いたエッセイを引用したい(読みやすいように元のエッセイを編集した。オリジナルを読みたい方はこちらをどうぞ)。


アウシュビッツへの道

2012年4月、ワルシャワでの仕事を終えた私たち夫婦は、アウシュビッツ強制収容所を訪問するために午後8時発の列車でクラクフへ向かった。

ワルシャワを発ってしばらくのうちはビルの灯りが見えたが、じきに窓の外は墨を流したような闇に包まれた。あまり郊外は広くないようだった。私は、外の景色を眺めるのをあきらめ、持参したアウシュビッツ強制収容所のサバイバーであるElie Wiesel(エリ・ヴィーゼル)の『Night(邦訳版タイトル『夜』)』を読み始めた。

これまでにも書籍、ドキュメンタリー、映画で学んで来た歴史だが、本の描写には読者を第二次世界大戦中のアウシュビッツに引きずり込む生々しさがある。

共産主義時代の名残がある列車は轟音をたてて時おり激しく揺れるが、闇の中を進んでいるためか前に向かうスピードは感じない。たった三時間の旅なのに、時間が止まっているような感覚すら覚えた。

約70年前、周辺の国々でとらえられたユダヤ人は、もっと長い道のりを、家畜用の窓のない車両に身動きできないほどぎゅうぎゅうに押し込められ、アウシュビッツに向かったのだ。腕も足も動かせない状態で、水も与えられず、どこに連れてゆかれるのか分からない苦痛は、時間を永遠のように引き延ばしたことだろう。

当然、命を落とした人もいた。けれども、この辛い旅に耐えて生き残った人々にとって、この「時間」にどんな意味があったのだろうか? ヴィーゼルの母と妹は、到着してすぐにガス室送りになったのだから。


私を震え上がらせたアウシュビッツの光景

旅がようやく終わったときに彼らを待ち受けていた運命を想像し、鉄道の旅ではあまり経験しない乗り物酔いをしてしまった。

翌朝は、「時々曇り」で降水確率0パーセントという天気予報を裏切り、雲の上に太陽が存在することさえ信じられないような暗い曇り空だった。

「アウシュビッツ」は、アウシュビッツ-Ⅰ(基幹収容所)、アウシュビッツ-Ⅱ ビルケナウ(絶滅収容所)、アウシュビッツ-Ⅲ モノヴィッツ(強制労働キャンプ)の広大な複合施設だ。

アウシュビッツⅠに到着したときには冷たい風が加わり、春だというのに冬用のダウンコートを着ても身震いするほどの寒さだった。

だが、何よりも私を凍えさせたのは、展示されている大量の「髪の毛」だった(犠牲者への尊厳を守るために髪の撮影は禁じられている)。

強制収容所に到着するやいなや、ナチスドイツの兵士たちはユダヤ人たちが運んで来たスーツケース(下記の写真は、陳列されている実物。持ち主の名前が読める)をすべて取り上げ、衣服と靴を奪って、髪を剃ったのだった。


収容された犠牲者の名前がついたおびただしい数のスーツケース

ナチスドイツは、奪った衣服や靴を再利用しただけでなく、剃り落とした髪の毛、処刑した者の身体の脂肪、死体を焼いた灰も、それぞれ繊維、石鹸、肥料として再利用したという。

展示されているおびただしい髪の山にはブロンド、栗毛、白髪が混じりあい、三つ編みがそのまま残っているものもあった。

これらの髪の持ち主は、バイオリニストになりたかった少年や、学者になりたかった少女、結婚したい恋人がいた若い女性、もうじき産まれてくる子どもを楽しみにしていた妊婦のものだったはずだ。だが、それらは刈り取った羊の毛のようにまとめられ、個々の人間のものだったという尊厳が奪われていた。

命とともに奪われた夢や愛の象徴である髪を、布やマットレスといった日用品にするグロテクスな発想は、戦争という異常事態に順応した人間にとっては日常になっていたのだ。戦争の前にはたぶん隣人に笑顔で挨拶をし、気軽に手助けをしていた普通の人たちが、こうして平然とグロテスクな残酷さを発揮するようになったのだ。その人間の闇の深さが、私を震え上がらせた。

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「アメリカンドリーム」という言葉、最近聞かなくなったと感じる人も多いのではないでしょうか。本連載では、アメリカ在住で幅広い分野で活動されている渡辺由佳里さんが、そんなアメリカンドリームが現在どんなかたちで実現しているのか、を始めとした...もっと読む

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byyriica 【読んだ】 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

byyriica 【引用】“けれども、私たちの胸をいっぱいに満たしていたのは、食べ物でもなく、罪悪感でもなく、世界への責任感でもなく、「愛する者と、今この時間を共有できる」ことへの深い感謝だった。” https://t.co/vfOoLmLdKO 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

its_bluemoon 良い記事です。 3ヶ月前 replyretweetfavorite

Liferich_Japan https://t.co/1fjGmxQU0v 3ヶ月前 replyretweetfavorite