自分は、恐ろしい女と結婚してしまったのではないか。

【第12回】
有馬家と鐘山家の初のホームパーティは、ひやひやするやりとりも多々あったものの、互いの秘密もバレることなく、なごやかに終わった。
……が、家に帰る明人と美砂をつける女が。
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 黄金の段の上から──シルクの紐、灰色の紗、緑のビロード、陽光にブロンズ然と黒ずんだ水晶の円盤の間で──わたしは見る、ジギタリスが銀の透かし模様と眼と髪をあしらった絨毯のうえで花開くのを。

 瑪瑙の上に散らばる黄色の金貨、エメラルドの天井を支えるマホガニーの柱、白いサテンの花束、ルビーの細い枝鞭が、水の薔薇を取り囲む。

 青い巨大な眼と雪の形をした神のように、海と空とが大理石のテラスのほうへ、若くて勢いのいい薔薇の花群を引き寄せる。

ランボー『イリュミナシオン』より「花々」

(ヴェルレーヌは二十七歳のときに十七歳のランボーと、妻子を捨ててかけおちを計るが、ヴェルレーヌがランボーに銃を発砲して愛の逃避行は終わった)


 明人と豪は池袋にある自由学園明日館を訪れた。フランク・ロイド・ライトが残した学校建築を見学するためだ。駅から近いものの、少しわかりにくい場所にあるため、目印のいけふくろうで待ち合わせをした。会うなり明人は豪の家の感想と、妻の美砂が豪とまなみをどう話していたかなどを伝えた。豪もそれに応える。

「まなみはアキちゃんのことを、〝いい人っぽい〟って言ってた」

「いい人、いい人、どうでもいい人」

 言うや明人は小さく笑う。豪はこの人の笑顔はいつも可愛いなと思う。街中で手を握りたかったが堪えた。

 明日館に着いた。住宅街の中にそれはとけ込んでいた。緑の芝生の奥に中央棟があり、両脇に平屋造りの教室がシンメトリーに連なっている。

 大教室の扉から入る。入り口付近の天井は低い。食堂を抜け、半階下のホールに足を踏み入れた途端、天井が高い吹き抜けにより、ぐっと視界が開ける。爽快な開放感がある。明人によると、ライトは日本古来の建築技法を取り入れ、旧帝国ホテルも同じように設計したという。

 現在では喫茶室として使用されているホールの、幾何学模様の大きな窓から真南の光が飛び込んでくる。美しさと荘厳さに胸を打たれる。

 半階上の食堂に戻る。月を思わせる丸い照明、シンプルかつ格調高い机と椅子が揃う。暖炉まである。優雅と清楚が同居している。大正時代、現代と比較にならないほど女性の地位が低かったのに、この学園に通う十代の少女たちは、なんと贅沢な空間を与えられていたのだろう。しかもそれが現存し、有効的に利用されている。関東大震災からも、戦争の空襲からも逃れた。奇跡を感じずにはいられない。

 各教室を回る。ほら、ここと、明人が扉の上部を指す。明り取りの装飾がある。

「どこかで見たことないか。これも日本の建築様式のひとつ、欄間のオマージュだよ。教室によって窓の位置や、木の桟のデザインを変えて、遊び心をそこかしこにちりばめている。神は細部に宿る。ふたつとて同じ教室はない。ライトが〝世界でもっとも価値のある学校〟と、自画自賛したのも無理はない」

 明人は饒舌に語る。好きな人に、自分の敬愛する建築家の素晴らしさを伝えたいのだ。豪が微笑む。

「アキちゃんって本当に建築家なんだね」

「おーい」

 明日館を出る。道を一本隔てたところに似たような建物がある。

「あれは?」

 プレートを見る。「自由学園 明日館講堂」とある。

「ライトの弟子の遠藤新が設計した講堂だよ」

「へえー、見ようよ」

 ノブを捻り、木製のドアを潜る。左手に抜けると、豪から、わあと声が出た。黒のベンチがずらりと並ぶ。礼拝堂を思わせる造りだが十字架はない。壇上にはグランドピアノが見える。本館と調和した、静粛を感じさせる内部だった。こちらも古さなど感じさせない普遍的な美しさがあった。

「すごいなあ。感動しちゃうよ」

 豪は言葉を発した後に照れる。

「ごめん、素人まるだしの感想で」

 明人は微笑む。

「そんなことないよ。俺もそう思う。素晴らしい設計だ」

 豪は歩を進め、壇上に上がる。通路を行き来し、空気を吸い込む。

「いいね」

 入り口のほうに戻る。結婚式のパネルが置いてある。

「へー、結婚式ができるんだ」

 豪の言葉に対して、明人は何も言わない。三年前、明人と美砂はここで結婚式を挙げた。明人は黙っていたが、豪は知っていた。明人から明日館に誘われた際、ちょっと下調べに検索をしたところすぐに出てきた。こっちが水を向けない限り、明人は秘密にしているつもりなのか。こちらも知らないふりを続けるべきか、豪は少し迷った。

 明人も明人で、豪からそのことを言われたらどう答えるべきか考えていた。二百七十人も収容できて、三時間使っても二〇万円ぐらいしかかからないんだよと、何のフォローにもならない言い訳しか浮かばなかった。

 豪は明人を困らせたいわけではなかった。それより先ほど食堂のバルコニー部分に設置されたライトの年表を眺めながら、豪にはグッとくるエピソードがあった。

 ライトは一八六七年に生まれ、一九五九年に亡くなっている。九十一歳の長命だった。

 明人は年表を指さした。一九〇九年から帯の色が黄色から灰色に変わる。不遇の時代とある。それが一九三六年まで続く。

「夥しい数の傑作群を残したライトでさえ、報われない時期がこんなに長かったんだ」

 畏れ多いことはわかっている。しかも不遇と言われる時代に自由学園と帝国ホテルを設計しているのだから。それでも明人は自らと建築の巨人を重ねていた。

 ──俺は業界から干されているんだ。

 明人はいつしか言った。

「何か大きな失敗をしでかしたわけじゃない。いや、一度欠陥住宅めいたものを造ったかもしれない。でもたいした問題にならなかった。なのに仕事が徐々に減っていった」

 絞り出すような声色だった。誰にも話せない思いの吐露なのだろう。

「美砂と結婚して、俺が美砂に食わせてもらっている。子育てばかりして、すっかり引退したと思われているのかもしれない」

 豪は口を挟まない。明人はただ聞いてほしいだけなのだ。

 明人は美砂はもちろん、豪にも言えない思いがある。

 ──光の父親になれてよかった。しかし、あの子の世話をしている間に、牙を折られてしまったような気がする。だからといって、あの子と離れられるはずもない。

 家庭を犠牲にしなければ良い作品はできない──などと言うつもりはない。評論家きどりの、「今の時代を吸っている」と自称する連中が鬼の首を取ったように、「前時代の価値観にしがみついた老いぼれの思想だ」と糾弾してくるだろう。

 ライトの建築に圧倒されて、ふたりは自由学園をあとにした。明人の〝講義〟は続く。ライトの言葉を諳んじる。

「自由なる心こそ、この小さき校舎の意匠の基調であります。幸福なる子女の、簡素にしてしかも楽しき園。生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも見えます。木も花も本来一つ。そのように、校舎も生徒もまた一つに」

 生き生きした明人を見るのが嬉しかった。

 その後、昼間は閑散とした池袋駅の西口を歩き、自然な流れで、ほぼふたり同時にうらぶれたラブホに入った。ここなら自分たちを知る人はいないだろうという気持ちがふたりを大胆にさせた。

「男ふたり? ちょっとねえ」

 窓口でむかしのテレビドラマに出てきそうな婆やが眉を顰めた。

 サングラスをかけた豪が話す。

「そうですか。行政から指導が入りそうですね」

 婆やはしぶしぶ大きなホルダーが付いた鍵を渡した。

 部屋で明人は言う。

「手慣れたもんだね」

「まあね」

 ふたりは抱き合う。彼らは彼らの昼顔を互いにしか見せない。

 豪はポケットに自由学園のチケットの半券を取っておいた。写メもLINEも記録を残さないふたりの記念のつもりだった。

 まなみは自宅の電話を取ったが、相手は何も言わずに切った。これで三度目だ。

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この連載について

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東京パパ友ラブストーリー

樋口毅宏

有馬豪は、渋谷にあるファンドマネージメント会社のCEO。30歳のイケメンであり、イクメンだ。 娘の亜梨が通う保育園で、鐘山明人というおっさん建築家と知り合い、飲みに誘われる。 これが、それぞれの妻を巻き込んでの地獄の幕開...もっと読む

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