この淫乱マゾビッチが

【第33回】ライターの仕事も、ドルフィン・ソングとの関係も順調だったトリコだったが、プライベートだけ問題があった。俊太郎が徐々に荒れはじめ、かつての悪夢が甦ってくる。十六歳だったトリコが襲われるのだ……。トリコは過去を変えるべく、中国人に殺しを依頼するが……。

20 ビッグ・バッド・ビンゴ

 ライターの仕事も、ドルフィン・ソングとの関係も順調だった。音楽関係だけでなく、映画やマンガ方面の仕事も舞い込んできた。有名人と知り合い、酒の席も増えていった。

 肝心の目的を忘れて、日々は楽しく過ぎていった。問題はプライベートだけだった。

 俊太郎が私の通帳から金を下ろして、一週間ほど家に帰ってこなかった。いないほうが私としても仕事に集中できるので、そのへんは構わない。問題は泥酔して帰宅した後のことだ。

 俊太郎はボロボロに千切れたTシャツ、ゲロまみれのジーンズで帰ってくるなり、原稿をビリビリに破り、インタビューを録音したカセットテープを踏みつけて粉々にした。いくら叫んで止めようとも、嵐の中の傘のように無駄なことだった。

「おまえはいいよな。芸術家が苦労して作り上げたモノを好き勝手に書いただけで金がもらえて。楽な商売をしてるよな」

その眼はアルコールに深く沈んでいた。よほど警察を呼ぼうかと思ったが、この酒乱が次に口走った言葉は、私を震撼させた。

「こないだよ、ブクロに行ったんだよ、ブクロに。そしたらよ、誰に会ったと思う? オラあ驚いたね」

 ゴゴゴゴゴ。久し振りに、私だけに聞こえる耳鳴りが響いた。過去最大級に嫌な予感がする。

「おまえに会ったんだ、トリコ。十六歳のトリコに」

 ビッグ・バッド・ビンゴ!  俊太郎を甘く見ていた。やはりこの男はただのろくでなしではない。雑踏の中から四十五歳の私を見つけたのだ。十六歳の私を探し当てることも、この男にとっては、さほど難しいことではなかったかもしれない。それでも私は平静を装った。

「ここに書いてある通りさ」

 俊太郎の手には『ムー』のバックナンバーがあった。表紙にはデカデカと、「やはり実在した! 世界のタイムスリップ100例」と記されていた。

「これを読んでわかった。遠いむかしでなく、近未来や過去に移動した人間は互いに引き寄せられて、かなりの確率で若い頃の自分と出会うんだそうだ。迷信に近い偶然の法則じゃないんだ!」

 そう熱弁をふるう奴の目はマジだった。

「俊太郎、悪酔いしてるね」

 奴はお日様のように微笑んだ。こういうときだけ、素直に笑うことができた。

「俺をナメるなよ。俺の直感が外れたことなんてないんだ。おまえはウソをつくときほど真剣な顔になる。それが見抜けない俺とでも思っているのか?」

 狼狽を隠せない私を、俊太郎はせせら笑う。

「おまえって何なの? 初めて会ったときから変な女だなと思っていたけど、さっぱりわけがわからん。アレか? アレなのか? クローン人間ってヤツ? それとも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』か? こっちも驚いたなんてもんじゃねえよ。物欲しそうなガキが背伸びしちゃってさ。声をかけたらのこのこついてきてよ。そしたらトリコ、おまえと同姓同名なの」

「前島トリコはペンネームだよ。本名は違う」

 財布から別名の偽造免許証を突き出したが、俊太郎は歯牙にもかけなかった。免許証をじろじろと見つめた後、床に放り棄てて、自らの講釈を垂れ続けた。

「なんかよくわからないけど、ピンと来たんだ。あーこれはアレだぞって。テレビ局なんかが飛びつくようなネタだって。だからトリコ、うっせえよ。いいからよーく聞けよ。 これは稼げるぞ? わかるか? 朝から晩まで原稿用紙に向かって一枚いくらでチマチマやるんじゃなくてさ。おまえがタイムスリップして来ましたって世の中に出てみろよ。一生金持ちだぜ? 札束を積んだトラックがこの家に横付けされるぜ? 十六歳のおまえとテレビに出ろ。DNA鑑定って言うのか、アレもやれ。それで同一人物だってわかったら—」

「やめて!」

「トリコぉ、金を稼げることを第一に考えろ。考える時間はやる。十六歳のおまえにはまだ話していない。でもあの子よ……可愛い声をしてるよな」

 そのときの俊太郎の下卑た笑みは、暴君ネロのそれも軽く凌いだだろう。

「絶対に手を出さないで!」

 腹の底から声が出ていた。

「あの娘に一ミリでもちょっかいかけたら殺す。これは脅しじゃない。絶対に、絶対に、殺す」

 私のクレイジー・ディファレントな目に怖気づいたのか、俊太郎はいったん黙った。

「おまえに俺を止める資格なんかない。俺とヤッていたときのおまえ、あの夢二ってヤツのことを思い浮かべていただろ? 俺が気がつかなかったとでも思っているのか。この淫乱マゾビッチが」

 それから私の財布を尻ポケットに押し込み、再び夜の街に出て行った。

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