18 スウィートウォーター
ドルフィン・ソングの快進撃は続いた。シングル「無鉄砲とラブアフェア」が百万枚、アルバム『フィルム・コメント』も五十万枚のセールスが見込まれるという。
私は驚いた。史実とは明らかに違っていた。私の知っている世界では、ドルフィン・ソングはそこまで売れていない。まるでバタフライ・エフェクトのように、私が過去に来たことで、微妙に歴史が変わりつつあるのだろうか。
私が知っている過去と違うことが他にもあった。ドルフィン・ソングは夏の終わりにシングルをリリースする。これは史実どおりだが、それに合わせてライブを行うという話はなかった。しかもその場所が何と、横浜スタジアムだというのだ。過熱するばかりのドルフィン人気に応えるためには、それぐらいのキャパでやらないと追いつかないというのか。
どういうことなのだ、これは。
もちろんドルフィン・ソングが売れている事実は嬉しいが、戸惑いのほうが大きかった。
自分ひとりのできることには限界がある。コントロールできない事柄が増えていけば、最大の目的であるドルフィン・ソング殺人事件の回避も、さらに困難なものへと変わるかもしれない。事件そのものが無くなればいいが、時期が早まるようなことがあってはならない。
いいことがひとつだけあった。渡辺探偵事務所の沢崎の報告によれば、黒木羊音と、恋と夢二は男女の関係ではないという。少なくとも、沢崎が調査した一カ月の間に、恋と羊音、もしくは夢二と羊音がふたりだけで会ったことはない。胸を撫で下ろしたのは言うまでもなかった(また、夢二の祖父である三沢庄藏と夢二の関係については調査中だが、ふたりの接点は薄いようだ……)。
しかし予断は許されない。これから深入りするのかもしれないし、羊音ではない他の女の可能性もある。スターの階段を上っていくということは、群がる女の数も桁違いに増えていくということだ。蜜に群がる蟻を一匹一匹踏み潰しても埓は明かない。
身悶えを堪えながら、私は自分の仕事をこなした。かつてない充実があった。すでに冠の連載を五本抱え、イレギュラーに飛び込んでくるインタビューやレビューの仕事を含めると、週に三回の締め切りがあった。忙しすぎてどうかなりそうだった。
俊太郎は相変わらずの穀潰しだが、私の性欲が溜まったときは、彼に発散してもらった。彼はそういうときだけ、文字どおり役に立った。
それでもコツコツやっていれば御褒美があるというが、どうやらその通りのようで、ある日自宅の電話が幸福のベルを鳴らした。
都内の某スタジオに、私は念入りな化粧と、パンクファッションで駆け付けた。ニューシングルの完パケの模様を取材できることになったのだ。スタジオに入ると、やるべきことはすべてやり終えたためか、居合わせたスタッフはみなリラックスしていた。
「おいっす。ひさしぶり」
恋は白いボタンシャツに緩くタイを結んで、下はカーキ色のミリタリーパンツ。
夢二は群青色と白のボーダーのシャツに、シックな黒のジャケット。アクアグリーンのパンツがとてもよく似合っていた。
到着するなり、新曲「スウィートウォーター」を聴かせてもらった。私を取り囲む恋と夢二、サウンドプロデューサーの田村真の表情は、期待と緊張が合わさっていた。
もちろん私は過去にこの曲を聴いている。ドルフィン・ソングの中でいちばん好きなシングルだった。「三分間のポップソング」という、ありふれた定型句が、いままた輝きを取り戻そうとしていた。ラブリーで、せつなくて、悲しくて、それゆえに愛おしい。音楽の魔力を、私はドルフィン・ソングから教わった。十代に初めて聴いたときの喜びと胸の痛みが一気に甦る。
気がついたときには、涙が流れていた。
「あ……ごめんなさい」
横からさっとハンカチが差し出される。夢二だった。
「ありがとう」
その言葉を口にしたのは私ではなく、夢二のほうだった。彼の声は、やわらかな温かみを持っていた。
「本当に、本当に、本当に、良かった。ヤバいと思いました」
「ヤバいって? いいの? 悪いの?」
急かすように訊いてくる。そうか、この時代はまだ「ヤバい」って使わないのか。
「もちろん、いいってこと。クールですよ」
「クールって?」
「クールはクールですよ。あれ、イントロはサンプラーを使ってのループですよね」
「正解。S950のサンプラーとシーケンサー」
「トリコさんには全部お見通しだな」
恋が唸る。夢二と顔を見合わせて頷く。
ドルフィン・ソングはミュージシャンとして駆け足で成長していた。情報処理や咀嚼する能力が高いのだろう。このまま生き続けていけば彼らはグランジやエレクトロを経験する。これまでの音楽性の接点はないが、例えばニルヴァーナと出会ったらどうなるのだろう? カート・コバーンの叫びとベタギリギリなメロディライン、デイヴ・グロールのドラミングを知ったら、そこからどう影響を受けて自分たちのモノにするか。想像するだけで胸が高鳴った。
田村Pの話によると、ロンドンレコーディングのときもそうだが、ふたりは集中力が凄いと言う。
「この曲も日本に戻る時間が近づいていたから、慌てて作ったんだよな。二十分ぐらいで。そしたらこんなん出ましたって感じで」
「やっぱ俺ら、天才だな!」
スタジオは笑いで包まれる。私も続く。
「そりゃそうですよ。才能に勝る努力なし」
大衆は苦悩の末に生まれた作品や成果を有難がるが、それは自分たちが凡人だからだ。どんな天才だろうと苦しんでほしい、つらい目にあってほしいという卑しい考えから、わずかな自己投影を求める。しかし、そんなものは全部間違いなのだ。私たちにできる天才への復讐は、崇め奉り、持て囃し、しかしさしたる理由もなく飽きて、見捨てることだけだ。
スタッフから好きなミュージシャンを訊かれたが、今度は慎重に、この時代にすでに存在するバンドの名をいくつか挙げた。音楽の話は立ち入りすぎないと決めていた。
私はドルフィン・ソングについて、本人たちより詳しい。これからふたりが何という曲を作るか、どんなジャケットになるかだけでなく、スタジオの場所と日数、楽器と機材、ゲストミュージシャン、そして元ネタまで知り尽くしている。歴史的事実だから平気だろうと思い、「次はこうしたら?」と進言することで、依怙地なふたりに反発されてボツになったら取り返しが付かない。すでに横浜スタジアムでのライブという、歴史と違うことが起こっている。私は彼らの音楽に対して、余計な口出しを控えたほうがいいと心に決めたのだ。
「そりゃあこいつは頭いいよ。大学、駒場だもん」
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