経堂と石巻。支援物資と泥の缶詰の往復ピストン輸送システム完成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

 はじめて缶詰を洗った4月2日の夜は、「さばのゆ」常連の西方さんが、建設会社勤務の親戚が運転する4トントラックで来てくれた。支援物資は店内に入りきらなかったため、前のお宅の駐車場に山のように積ませて頂いた。夜9時過ぎに到着したトラックに自転車やおしめなどの荷物をどんどん積み込み、10時過ぎに出発。途中休みながら翌午前中に石巻に入るコース。石巻の港に近いエリアは、まだ電気が復旧しないため、日が暮れると漆黒の闇。路面の陥没があるなど、暗い時間帯の運行は危険だからだ。

 しかし、トラックが発車したあと、積みきれない荷物が大量に残った。何とか別の車が手配できないかと考えていると、荷物の積み込みを手伝いに来てくれていた、ご近所のアメリカ車好きの石川さんが、「荷物、いったんオレの自宅に保管して、今週どこかで運びますよ!」と名乗り出てくれた。石川さんは、大型免許も持っているベテランのドライバーでもあり、なんとも心強く、さっそく自分のジープで物資を持ち帰ってくれた。

 自宅に戻った石川さんは、アメ車仲間に声をかけた。するとすぐに、関東各地から支援物資が集まり、3トントラックを用意することになった。

「3トントラックに支援物資を満載して行く」と、木の屋の鈴木さんに連絡すると、「陸の孤島になっている雄勝に向かえませんか?」ということだった。石川さんに伝えると「OKです!」頼もしいエンジン音と共に東北へ向かってくれた。

 翌日も、泥まみれの缶詰洗いだった。近所からボランティアの人が集まり、150個ほど洗えただろうか。前日よりもスムーズに洗えたピカピカの缶詰がどんどん売場に並んでいった。

 週明けの月曜日、4月4日は、平日ということもありボランティアは少なかった。鈴木さんが石巻に戻り、松友さんが「さばのゆ」担当になった。他は、店のスタッフである書道の先生・紅鸞さん、樋口直樹さん、デザイナーのマルさんたちと洗った。

 洗えば洗うほど、みんなコツがわかってきて、ピカピカの缶詰が並ぶ売場は、さらに充実してきた。しかし、心配だったのは売れ行きだった。SNSで積極的に発信していたのだが、まだ、2缶とか3缶を購入する小口のお客さんが多かった。「もっと、どんどん売れてくれるといいのに」と思っていたら、その日の夕方、ミラクルが起きる。

 2日前に取材に来たTBSの「Nスタ」にて、さばのゆで泥まみれの缶詰を洗って売る様子が流されたのだ。映像は、5、6分に編集されており、「世田谷」「経堂」「さばのゆ」という言葉もハッキリ聞き取れた。

 特集が終わると、いきなり電話が鳴った。受話器を取ると、「今テレビで見たんだけど、缶詰を買いに行きます!」という興奮気味の年配の男性の声が聞こえた。営業時間と値段などを伝えて受話器を置くと、また電話が鳴った。今度は「缶詰洗いのボランティアがしたい」という女性の声だった。その後、電話は、夜8時頃まで鳴り続け、同時に、洗った缶詰を買いたい人たちが続々と訪れて、売場の缶詰はかなり減っていた。

 やはり、テレビの力はすごいと思った。そして、明日は、さらにたくさんの人が来るような気がした。となると今度は、缶詰が足りなくなることが予想される。3日間、洗い続けた結果、泥が付いたままの缶詰は残り50個ほどまで減っていた。

「まだ石巻には、缶詰がたくさん埋まっているはずです」と、松友さん。

「これだけ売れるなら、どんどん運んで、どんどん洗いたい」なんとか、工場跡地から掘り出した缶詰を定期的に経堂に運ぶ手段はないかと考えを巡らせたが、すぐには、いい案が浮かばなかった。その時、荷物を3トントラックに積んで出発した石川さんから電話があった。

「今朝、雄勝に着いて、山の中にある、農家が数軒ほどの集落に支援物資を渡してきました。そこでお茶を飲ませてもらって、昼過ぎに石巻の湊中学に向かったら鈴木さんと会ったので、物資を降ろして空になった荷台に泥まみれの缶詰を積みました。たぶん、700缶くらいあると思います。明日の午後早めの時間に到着します」とのことだった。

「ありがとうございます! 助かります!」私は、石川さんの言葉を聞いて「その手があったか!」と思った。経堂から石巻に支援物資を届け、車の空きスペースに泥まみれの缶詰を積んで持ち帰る。ピストン輸送の仕組みの完成図が見えた。それですべてうまくいくと思った。

 その時すでに、週末に届いた缶詰約400缶が約12万円の現金に姿を変え、鈴木さんと松友さんの手に渡っていた。このあとも、コンスタントに缶詰を洗って売ることができれば、少しずつ希望が見えてくる気がした。

街をあげて飲食店が缶詰メニューの提供開始

 TBS「Nスタ」の反響は1週間続いた。電話は日々、朝から晩まで鳴り続け、電車に乗って缶詰を買いに来る人は、1日に20〜30人。私のブログやツイッターを見て、支援物資や義援金を届けてくれる人も多かった。あれだけの震災被害の映像を毎日テレビで見せられて、心の中で「自分も何かの役に立ちたい!」という気持ちをあたためていた人が、たくさんいたのだ。自分の車を運転して支援物資を届けたいと志願する人も週に2、3人、コンスタントに現れたため、ピストン輸送も充実してきた。

 4月4日の週から、ゴールデンウィークに入るまでの期間は、毎週700~1000缶ほどの缶詰が届いた。平日は、「さばのゆ」スタッフ中心の缶詰洗いだったが、週末になるとボランティアも含めて、十数人が手伝ってくれた。

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過酷な震災にも希望を忘れなかった人々と、手と心を差し出した人情商店街の感動の物語

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蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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