洗えば中身は大丈夫! 経堂の空に黄金色の缶詰が輝く

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

 4月2日の朝。目覚めた私は、再び不安な気持ちに包まれていた。あと3、4時間で、鈴木さんが運転する車が、石巻の海沿いの工場跡地で拾われた泥まみれの缶詰400缶を積んで到着する。泥といっても田んぼや畑などの泥ではなく、あの大津波の泥。震災時の津波が街のすべてを飲み込み濁流となる映像を嫌というほど見ていたので、大変な物がやって来ると感じていた。しかし同時に、どんな缶詰か見てみたいという好奇心もあった。

 大きな青いバケツ、ブルーシート、重曹、洗剤、軍手、タワシ、歯ブラシ、タオル、ゴミ袋などを大量に用意して、缶詰の到着を待つ。車は11時過ぎに着いた。その時の衝撃は忘れることができない。

「さばのゆ」から走り出てトランクを開けると、魚を入れる発泡スチロールの白い箱にギッシリと、ドス黒い円形の物体が詰まっていた。

 目が慣れてくると、紙巻きのラベルがはがれて金属部分に油混じりの泥がへばり付いているのだとわかった。そして、漂ってくる臭いが強烈だった。しかし、鈴木さんは、いつもと変わらない明るい笑顔だった。

「おはようございます! 持って来てしまいました! 水道が復旧していないので洗えなくて申し訳ないんですが、この状態で持って来るのが精いっぱいで」

 工場跡地の缶詰は、ボロボロになりながらも津波に流されなかった建物や壁に守られて残っていたという。写真を見せてもらうと、元は倉庫だった建物の至るところに、黒い山ができていた。山の表面のあちこちに丸い金属が光っていた。それは、泥にまみれた缶詰の山。届いた缶詰は、スコップで掘って、一つ一つ手作業で集めた物だった。

「弊社の倉庫は1500トンの収容能力がありまして、震災当日は、ざっくり100万個が保管されていたんです。かなり流されたと思いますが、わりと残っているので、まずはこれを何とかしたいなと」軍手をして缶詰を手に取ってみると、ところどころ凹んだり傷が付いていたりはするが、ガッチリしていて頑丈そのものだった。

「とにかく洗いますか?」と作業をはじめる。まずは、大きなバケツにたっぷりのお湯。そこに重曹をどっさり溶かし、10個ほど缶詰を放り込んだ。数分してから試しに1個を取り出し、洗剤を付けて亀の子タワシでこすると、乾いてカピカピにへばり付いていた泥が落ちやすくなっていた。金属の部分がどんどん露出して、金色の缶詰が現れる。プルタブの部分は、歯ブラシを使ってこすると細かい汚れや砂を落とせた。最初の缶を洗い終えたのは、鈴木さんだった。

「おーっ! なかなかキレイになりました!」宙にかざした缶詰は、春の青空をバックに力強く金色に輝いた。洗い終えた缶詰は、本当に美しかった。

 それを見ると私は、無性に中身を食べたくなった。缶詰の裏の印字を見ると、サバの水煮缶とわかった。フタを開けると、懐かしいサバの切り身が目の前に。割りばしで挟み、すくい上げ、口に放り込むと、極上の脂の旨味が鼻腔を突き抜けた。

「やっぱり、旨い!」思わず大声をあげると、「うーん、やっぱりうちの缶詰は最高ですな!」と、鈴木さんも舌鼓を打っている。涙があふれ、サバの味が少し塩味になる。鈴木さんの目にも光るものがあった。

 会社も工場もすべて失われてしまったが、この缶詰は、震災前の木の屋のみなさんの、たった一つ残った労働の証しだった。

「うちの社員が一生懸命作った缶詰なんで、せめて、きれいにしてあげたらと」

 私たちは、黙々と缶詰を洗っては、ブルーシートの上で乾燥させた。

 この缶詰が、奇跡の物語を紡いでいくとは、この時、想像もできなかった。

「石巻と同じ臭いがする!」石巻から「さばのゆ」に来た人が、思わずそう叫んだ。店先で泥ま
みれの缶詰を洗い、店内は、缶詰や支援物資の倉庫と化していく。

「出会いに感謝します」

テレビの取材が来た!

 正午を過ぎると、近所の「きはち」の一家、作家の中島さなえさん、夏山明美さん、落語好きの伊藤ちゃんなど「さばのゆ」の常連さん、その他、経堂の顔見知りの人たちが手伝いに来てくれた。みんな、飲み込みが早く、手際良く、洗った缶詰を順番にブルーシートに並べて、殺菌効果がある太陽光で乾かしていると、ラベルも何もない缶詰が、売り物に見えてくるのが不思議だった。

 洗っている最中に、「おーっ!」という声が起きた。缶詰の裏に「出会いに感謝します」という文字が現れたのだ。鈴木さんが説明する。

「弊社の缶詰は、もともと決して安くはない商品なんです。それにもかかわらずご購入いただいた方に、まず美味しさで感動して頂き、食べ終わって、缶詰を洗ってから裏を見たら、この文字が目に入るんです。『この缶詰と出会って頂きありがとう!』という思いを込めて、木村副社長が考案しました」

 乾いた缶詰は、店内に作った即席の缶詰売場に並べた。ラベルはなかったが、缶詰を洗っている様子がよほど奇異に見えたらしく、道行く人々の多くが、何をしているのかと尋ねてきた。

「被災した石巻の缶詰を洗って売っている」と答えると、かなりの人が興味を持って店内に入って来て缶詰を買ってくれた。ラベルがないので「売る」という言葉を使えなかった。「300円の義援金を頂くと1缶お渡しする」というスタイルにした。

 いち早く買いに来たのは、ラーメン「まことや」の店主、北井さんだった。

「石巻からサバ缶が届いたんですよね? これでサバ缶ラーメンが作れますよ!」北井さんは、20缶ほど「金華さば水煮」缶を買ってくれた。

 泥にまみれた缶詰が初めて到着した日にもかかわらず、いきなりボランティアの人たちが洗う手伝いをしてくれて、売場ができてしまった。順調なスタートを喜んでいると、意外な人から電話が入った。1年ほど前に、経堂をサバ缶の街として取材し、特集をオンエアしてくれたTBS夕方の報道番組「Nスタ」の岩澤ディレクターだった。

「今日、都内の震災復興関連の動きを取材してるんですが、ネットを検索したら須田さんが石巻の缶詰を洗ってるという情報が出てきたんです。これから経堂に向かいます。まだやってますか?」

 もちろん断る理由はないので、来てもらうことにした。30分後、カメラマンと共に現れた岩澤さんは、泥まみれの缶詰を目にするや、何かに打たれたように腕組みをして見つめ続けた。2人は静かに心を動かされているようだった。

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この連載について

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蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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aoyankiio #スマートニュース 約1ヶ月前 replyretweetfavorite