廃業を覚悟した社長が男泣きした夜、支援物資トラックは石巻へ

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、人と人をつなぎ、全国に広がり、洗われ、販売され、工場再建のきっかけとなります。 震災で希望を忘れなかった人と、手と心を差し出した人情商店街の人々がつながった感動の物語です。(バナーの写真:佐藤孝仁)

「支援物資の輸送開始ですが、27日の日曜はいかがでしょうか? 24日に東北道が全面再開することになりましたので」

 鈴木さんから電話があり、最初のアクションを起こすのは3月27日と決まった。

 3月26日には震災による死者が1万人を超えたと発表され、そのうち石巻は、死者約2100人、行方不明者約2700人。石巻市内には160を超える避難所があり、2万7000を超える人々が、日常生活に必須なあらゆる物が不足する劣悪な環境下での避難生活を強いられていた。

 下水道が壊れた地域では大小便の処理の問題があり、疫病発生の可能性もある。現地では、自衛隊、消防署、石巻赤十字病院を中心とした災害医療のチームが決死の活動を続けていた。経堂の我々ができることは微力に過ぎないことはわかっていたが、現地のニーズを聞き、できることはやりとげたかった。

 27日は、木の屋と経堂の街ぐるみで行うサバ缶アートイベント「さば缶・縁景展」の最終日でもあった。参加アーティストをはじめたくさんの人たちが、津波で流された木の屋のことを心配していた。中心になって動いているイラストレーターのソノベナミコさんと相談して、最終日はチャリティイベントを計画した。「さばのゆ」で、参加作家が作品を提供し、売り上げ全額チャリティのアートフリマを行い、ライブは投げ銭を全額義援金にするというものだった。

 しかし、震災前の予定では、木の屋の木村長努社長が作品の最優秀賞=木の屋賞を表彰するという内容になっていたのだが、会社が津波でなくなるという想定外中の想定外のことが起きてしまったために「社長は来ないんじゃないか?」という心配が出ていた。さらに被災地の状況を見て、「木の屋さんは廃業するしかない」と言う人もいた。

 石巻に生まれ、父親が創業した会社を受け継いだ社長の心境はいかばかりか。前日に鈴木さんに電話をして確認した時は、「経堂に来てほしいとは思ってるんですけどね……」とのことだった。

 震災から2週間が過ぎ、木の屋の缶詰メニューを出す店の缶詰の在庫が、かなり品薄になってきていた。津波が石巻に襲いかかる映像を見た時の「もう永遠にあの味が食べられなくなるのではないか?」という心配が、現実味を帯びていた。震災前から友情を培ってきた木の屋だったが、会社がなくなると関係は薄くなるしかない。だから、木村社長はもう来ないのではないか。何となくそんな気がしていたのだ。

 ところが社長は、ひょっこり、昼間のフリマに現れたのだった。そこへたまたま、経堂に行きつけの居酒屋がある西郷輝彦さんが冬物の服を持って現れた。2人を紹介したら、ガッチリ固く握手をし、2ショットの写真撮影をした。

「サバ缶は、若い頃よく食べていた、我が青春の味だよ!」そう言って、西郷輝彦さんは、東北の
寒さを思い、自分の冬物の服を何着も持って駆けつけた。木村社長と交わした握手は固かった。

 木村社長が立命館大学時代に活動したボート部は、インカレ優勝者も輩出するほどだった。スポーツマンで、精悍な顔立ちに引き締まった身体。その印象はスマートで、想像を絶する被害に遭いながらも感情をあらわにせず、どんどん集まる支援物資やフリマの様子を淡々と観察しているように見えた。そしてしばらくすると、ふっと姿が見えなくなった。

 社長がいなくなったのを知ると、私は、今夜のイベントを最後に、木の屋さんとの縁が消えてなくなっていくような感覚にとらわれていた。だから、夜の部の開始前に鈴木さんから電話があり、「これから社長も一緒に行きますんで!」と聞いた時は、少し驚いた。「社長にあいさつをしていただいても大丈夫ですか?」と聞くと、「OKです! 伝えておきます!」と元気な声が返ってきた。

 夕方、セレモニーがはじまった。初めにソノベナミコさんが、あいさつ。

「まさに縁がつながって、温かい気持ちになれる時間を過ごせたことが本当に良かったと思います。これからもつながっていければうれしいです!」

 そのタイミングで、鈴木さんと木村社長が入ってきた。2人がそのままソノベさんの隣に来たので、司会者のイラストレーター、リタ・ジェイさんが「木の屋石巻水産の木村社長、よろしくお願いします!」とアナウンスした。

 少しの間を置いて木村社長が話しはじめた。日が暮れた時間の店内は、陽光が差し込む昼間の明るい店内とは一転して、間接照明が酒場のムードを醸す夜の雰囲気。社長は、精悍な海の男のようだった。

「今日はみなさん、あたたかいご支援を頂きまして……」

 第一声はソフトな口調だった。が、次の言葉が出てこない。見ると、静かに肩を震わせながら、泣いていた。十数秒間の沈黙が続き、みんな、固唾を飲んで見守った。社長は、両手を拝むように合わせて、絞り出すように言った。

「いやあ、ほんとに、ありがたい……」

 男泣きの涙。沈黙が訪れる。再び、両手を拝むように合わせ、続けた。

「私の自宅も1階まで水が入りまして、2階に5日ほどいましてね。幸い、仙台の友だちに迎えに来てもらい……」

 当日のことがフラッシュバックするのか、また目を閉じて、言葉が途切れる。

「……みなさんにこんなイベントをして頂いて、今日は、支援物資を頂きましたので、間違いなく石巻まで、義援金も市のほうに間違いなく届けさせて、有意義に使わせて頂こうと思いますんで、ありがとうございました!」

 会場じゅうに拍手が鳴り響いた。見ると、みんな目に涙を溜めて手を叩いている。私も、とめどなく涙があふれた。そして、社長の言葉を聞き、涙を見て、あらためて今回の震災の被害の深刻さと、津波が奪い去ったものの大きさを思った。続いて、鈴木さんがあいさつした。

「避難所には、水も食料もなく、3日間で食べたのがビスケット3枚だったんです」避難所の厳しい生活を実際に経験した人の言葉は重みがある。みんな、黙って鈴木さんの一言一句を嚙みしめていた。が、続けた言葉が雰囲気をガラリと変えた。

「でも、人間の生命力はすごいもので、6日経って体重計に乗ったら、1キロも変わってませんでした!」鈴木さんの鉄板ネタだった。大柄でポッチャリした癒し系キャラの鈴木さんの「やせませんでした!」という告白に、店内が大きな笑いに包まれた。さらに鈴木さんは続ける。

「前向きにがんばろうと、避難している時からずっと思っていまして、缶詰もまた絶対に作って、みなさんに届けていきたいなと。今度、石巻に災害の時の缶詰が泥だらけであるんですけど、持って来て、みなさんに食べてもらいたいなと思っています。ひょっとしたら洗うのを手伝って頂くかもしれません」

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この連載について

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蘇るサバ缶〜震災と希望と人情商店街〜

須田泰成

東日本大震災による大津波は、宮城県石巻市にあった木の屋石巻水産の工場を壊滅させました。掘り出された缶詰は、東京・世田谷の経堂に運ばれ、商店街の人々の協力で磨き上げられ、1缶300円で販売されました。「希望の缶詰」と呼ばれたその缶詰は、...もっと読む

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