どうしてこんな一方的な契約になったのか
結局、1週間ほどあとの土曜の午後、私はスティーブを自宅に訪ね、いろいろと調べた結果についてテラスで報告した。
「スティーブ」
いよいよ結論だ。
「我々は、あと10年近くもこの契約に縛られてしまいます。ほかのスタジオと話もできない。利益もたいして得られない。続編にいたっては、制作してもいいことがない」
「続編を作りたいとピクサーが思うことはあるのかい?」
「ありえると思います。ディズニーはオリジナルビデオで続編を作り、成功していますから。そこに乗ったほうがいい可能性はあるでしょう」
「じゃあ、制作をスピードアップしてさっさと契約を完了してしまう、というのは?」
「エドに相談してみたんですが、制作のスピードアップは難しいという話でした。考えてはみるけど、たぶん無理だろう、と」
「そうか。でも、『トイ・ストーリー』ともう2作がいずれもヒットしてくれれば、多少は儲かるわけだし、その後は好きなことができるわけだ」
それはまちがいのない事実だが、私が聞きたかったのはそういう話じゃない。
たしかに3作完成させれば自由になれるが、それは何年も先のことだ。私が聞きたかったのは、こんな一方的な契約を結んだのはなぜなのか、がんじがらめだとどうしてあらかじめ教えてくれなかったのか、こんな状態なのにどうしてのほほんとしていられるのか、だ。
でも尋ねなかった。過去をふり返る気がスティーブにないと感じられたからだ。言い訳をしない。正当化しない。ただ、私の報告にじっと耳を傾け、それを受け入れる。そんな感じだったのだ。
スティーブはピクサーを諦めていたのかもしれない
だからスティーブを問いただすのではなく、自分なりの結論を考えてみることにした。
なにがどうなったのか、たぶんこうだったのだろうという経緯を推測したのだ。私が事態を理解するためにやったことで、結果をスティーブに確認してもらってはいない。
1991年ごろ、スティーブはピクサーをあきらめかけていたんじゃないかと思う。
彼は、もともと、アニメーションの会社を作りたかったわけではない。ピクサーを買った1986年に彼が夢見ていたのは、ずばぬけたコンピューターグラフィックスで世界をあっと言わせるテクノロジー会社を作ることだった。物語の構築は、技術を示す方法として後から追加したものだ。
だが、その夢の元となっていたピクサーイメージコンピューターは失敗に終わり、1991年の時点で当該部門は完全になくなっていた。
その時点で、スティーブはピクサーをあきらめるつもりになっていたんだろう。やっかい払いしたいというくらいかもしれない。負担は大きく、夢はついえたのだから。
だが、簡単には手を引けない状況だった。アップル追放から5年、なにも成功していない。成功したと言える形までピクサーを持っていくのが無理でも、また失敗したと騒がれるのはなんとか避けたい。
そう思っていたころ、ディズニーの話が持ち上がった。スティーブにとっては、赤字の垂れ流しを止める手だてになりうる話だ。
そんな状態だったから脇が甘くなり、ディズニー会長のジェフリー・カッツェンバーグにいいようにされてしまったのだろう。スティーブは内容もよくわからないままにサインしたのかもしれないし、ただただ契約をまとめたくてそこまで譲歩したのかもしれない。
配られた手札を嘆くよりも、次の一手を考える
経緯がどうであっても、現状は変わらない。
レンダーマンソフトウェアに長期的な展望はない。コマーシャルアニメーションもお先真っ暗だ。短編アニメーションもだめ。アニメーション映画も。
我々の未来も運命も世界有数の資金力と影響力をほこる会社に握られている。さらに、ピクサーとそのオーナー、スティーブの関係は最悪と来ている。これが我々の手札である。
私は、配られた手札を嘆いても始まらないと若いころに学んでいる。仕事や人生についていろいろと教えてくれたメンターがいたのだ。
チェスの名人が盤面を見るように事業を観察する人で、その彼から「駒がいまどう配置されているのか、それを変える術はない。大事なのは、次の一手をどう指すか、だ」と教えられ、そう考えるように意識してきた。
自分にどうこうできないことで感情的になるより、ずっといいやり方だ。
厳しい仕事もあったりするが、たいがい、命まで取られるような話ではない。何年か前に一方的な契約をピクサーが結んだのはなぜだろうとか、もしこうだったらそういう契約にはならなかったのかもと考えたところでいまさらどうにもならない。それより、いま、やらなければならないことに集中したほうがいい。
ピクサーが発展できる方法を探すのだ。
スティーブといっしょに前に進むしかない
夕食後、ヒラリーと話していてはっきりしたのだが、闇に閉ざされたような最初の2カ月で、ひとつだけ、トンネルの向こうに明かりが見えた気がすることがあった。