数年前、ネットで「趣味マウンティング」という言葉を見かけた。趣味において、自分のほうが知識や経験があると自慢したり、他者を見下したりする行為だ。
山小屋でもそういう人をよく見る。「俺に言わせれば、△△も登ってない奴は素人だね」などと言う人。
「俺に言わせれば」と前置きしておきながら誰にでも言えることしか言ってないし、他人を素人呼ばわりしてるけどご本人もプロではない。
私は、そういう人とは距離を置くようにしている。せっかくの山での時間、なるべく機嫌よく過ごしたいからだ。
「△△も登ったことない奴は山好きを名乗る資格ないね」という人
登山は個人的な体験だ。優劣もないし、他人がどんな登山をしていても関係ないと思う。
だけど、いるのだ。他人と比べたり、マウンティングや格付けをしてくる人が。
「百名山、いくつ登ったことあるの? 俺はだいたい制したよ」
「△△も□□も登ったことない奴は山好きを名乗る資格ないね」
山小屋にいると、たまたま同席した登山客にそんな言葉をかけている人をよく見かける。そういう場面を目にするたび、内心で「マウンテンでマウンティングですか……」と、しらけた。
多いのは、中年の男性が自分より若い登山者に向かって言うパターン。もちろんすべての中年男性がそういう態度ではないけど、けっこうな頻度でそういう人がいる。
特に、山ガールはマウンティングの標的にされやすい。自慢話を聞かされて「すごーい、そうなんですねー」と棒読み&無表情で相槌を打っている山ガールを何人も見てきた。
私もよく自慢話を聞かされた。仕事中はまだいい。自慢話であれ、お客様の話を聞くのは業務の範疇だから。
けれど、プライベートの登山中に知らない人から「百名山だいたい制した話」を聞かされると、「なんで私がそれに相槌を打たなければいけないのだろう?」と思う。
時給が発生するわけでもないのに、私の時間を他人の自慢話に費やす意味とは……?
そんなことを言うと「登山者同士の交流は素晴らしいことじゃないか」とか言われそうだけど、その交流に価値があると思うかどうかは個人の主観だ。少なくとも私は、誰かも知らない人の自慢話に価値を見出せない。
純粋に「山の話」であれば聞きたいけど、「山を制した俺の話」は興味が持てないのだ。聞いていても、つい眠くなってしまう。
そういえば、登山家として名前を知られている人と話したことがあるけど、その人は「山の話」はするものの「山を制した俺の話」はしていなかった。山に対しても、「制する」ではなく「登らせてもらう」といった姿勢だった。
有名無名に関わらず、山に対して謙虚な人の話は、自慢やエゴの匂いがしない。
そういう人の話なら聞いていてまったく眠くならないし、いくらでも聞きたいと思う。
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