怖い…… 、けど、
努力をやめる!
努力をやめるのは、怖い。
がんばるのをやめるのは、怖い。
今まで努力して、がんばってやってきた人は、そう思うかもしれません。
努力をやめたら、見捨てられる。ダメになる。
がんばるのをやめたら、見捨てられる。すべてを失う。
だから、怖い。
でも、そろそろ気づいてほしいんです。
「努力をやめたら、がんばるのをやめたら、見捨てられる」は、ただの勘違い。
そうじゃなくて本当は、
「努力をやめたら、がんばるのをやめたら、見捨てられる。きっと、自分はそのような人間なんだ」と自分で「思い込んでいる」だけだということに。
「努力をやめても、がんばるのをやめても、自分は許される」
と思えれば、知れば、努力も、がんばることも、あっさり、やめることができるでしょう。でも、そんなこと、なかなか思えないですよね。
では、「知る」にはどうすればいいかというと、「努力やがんばり」を「やめてみる」しかないのです。
そうすると「許されるという体験」が手に入るのです。
頭で「知る」こととは違うのです。
努力とがんばりを本当にやめるには、方法がふたつあります。
ひとつは、「努力をやめても、がんばるのをやめても、自分は許される!」と一生懸命、思って、念じて、そして「信じて」エイヤッとやめてみること。
もうひとつは、「努力をやめて、がんばるのをやめて、それで許されるとは思えないけれども……でも」と、おそるおそる、やめてみること。
どちらでも、結果は同じです。
エイヤッとでも、おそるおそるでも、腹をくくってやめてしまえば、どのみち、起こることは変わらないんです。
「努力をやめる」「我慢をやめる」とは、「本当はイヤなのにやってること」をやめることです。
「本当はやりたくない」のに、迷惑かけるから、怒られるから、デキないやつだと思われるからと、「怖くて」やめられないことをやめる、ということ。
「でも、それは迷惑かけない範囲で、ですよね?」と言われたりしますが、そうではなくて「大迷惑をかける」「サボる」「なまける」「丸投げする」。「イヤだ」 「やりたくない」ということ、です。
本当に迷惑をかけて、いやがられるのです。
すると何が起こるかというと、「なんだ、大丈夫だった!」ということ。
「絶対にダメだ」「許されない」と思ってたことが、じつは大丈夫だった、「許されるんだ !? 」という体験が待っているのです。「知る」のです。
そういう体験をすると、また別のことでも、努力やがんばることを、やめてみたくなるでしょう。
それも「やっぱり大丈夫だった!」となれば、「じゃあ次は?」「これもやめてみたら?」「あれもやめてみたら?」……。
「なんだなんだ、ぜんぶ大丈夫だった!」
こんなふうに「大丈夫」が重なっていって、ますます努力せず、がんばらず、ができるようになっていく。(あ、もちろん怒られることもタマにありますよ)
どんどん力が抜けていって、力が抜けたぶん、夢は勝手に叶うようになっていくんです。
最初、怖いと思ってしまうのなら、それは仕方がありません。
怖いと思っているのに、怖い思いをしなくて済む方法なんて、ない。
だから、怖い……、けど、怖いまんまでやめる!んです。
すると180度、人生が変わります。
やめてみれば、わかります。
やめてみないとわからないのです。
いくら言葉を尽くしても、
経験してみないとわからないことが、いっぱいなのです。
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