さて、3回続いてのセンス談義の最終回です。前回、センスとは「多くの情報や経験を積み上げながら、<培った経験から得た独自基準のものさし>で沢山の情報から一つを抽出して何かを選ぶ行為」だと定義付けしましたが、今回はその「ものさし」はどうやってできていくのか考えていきましょう。
行動の元になる原動力
日々の行動をどうやってとっていくのかと考えてみると、「生きる+α」に集約されるかもしれない。大昔は生きるための行動がほぼ全てで、水を飲むために川から水を汲んできて、食べるために狩りに出て、寒さを凌ぐために衣服を作った。一方で、生まれた瞬間から生きる環境が大凡整っている現在の人たちは、「+α」の部分が行動の起点となっている。
これはマズローの欲求5段階説にある通りだと思う。まずは生命の維持の欲求が満たされると、身の安全を守りたいという安全の欲求になり、他者との関わりを求める所属と愛の欲求がくる。それが満たされると誰かに認められたいという承認欲求がきて、それも満たされると高次元の自己実現欲求が訪れる。
より高次元の欲求が訪れれば、より高次元のリサーチに励み、より沢山の情報を求め経験を積み上げていくのかもしれないが、全員が高次元の欲求を求めていくのか?といえばそうでもない。安定的な生活を得ることで満足しそこに落ち着く人も多いだろう。さらなる高次元の欲求をする人としない人がいる理由については、今のわたしにはわからない。遺伝的なもの、環境的なものに関係しているのではないかと感じているくらいで、言葉で説明できずに申し訳ない。
誰でも始めは選べなかったはず
さて、ものさしである。湧き上がる欲求に対して私たちは毎日の行動を積み重ねる。お腹が空いたからご飯を食べよう。カップラーメンで空腹を満たすこともあるだろうし、料理本を新しく買ったからあれを作ってみようという日もあるだろう。それから外食にしようという日もあるだろう。折角、外食にするのならば、友人がおいしいと言っていたレストランに行ってみようか。時間がないから富士そばで空腹を満たして、出かけようか。
お腹が空いたという原始的な欲求に対しても選択肢は無限大で、それが1日3回も訪れて毎回選択を迫られるのだから、経験の積み上げ方も選択の仕方も人によって変わっていくだろう。
朝、服を選ぶ時も同じことが言える。今日は雨が降っているから雨に濡れてもいいようにゴアテックスのパーカーを着ていこう。毎日スーツだから特に何も考えない人もいるかもしれない。デートだからこの間買ったばかりのワンピースにしよう。今日は沢山歩くからスニーカーをメインで。温泉に入るから脱ぎ着のしやすい格好で。
日々の生活で必要不可欠なこういった選択をすることが面倒でたまらず、もっと他のことに時間を使いたいのだという人もいる。スティーブ・ジョブズが黒のタートルネックばかり着ていた話に影響を受けた人も多いと思う。毎日同じ服を着ている方が楽だから、服は全部同じものを何枚も買うという人もいる。ご飯だってそうだ。キングコングの西野さんは、富士そばで毎日食べるとインタビューで話していたのを聞いたことがある。この基準を得ていく過程こそが、「ものさし」のできていく過程なのだと思う。
ジョブスしかり西野さんしかり、多分生まれた頃から黒のタートルネックではなかったと思うし、富士そばではなかっただろう。生きていく過程で選択を繰り返し、ここは捨てるべき拾うべきという判断していったはずだ。
多くの人が毎日の中で大なり小なり、沢山の選択を迫られる。全てを悩み全てを考えていたらキリがないので自分なりの「ものさし」を作り、考える必要性がないように自己基準を定めていく。その行程は「捨てる」ということに他ならない。積み上げていったものの中から取捨選択する。基準を定めるには、どれを残すかを考えるよりもどれを捨てていくかが大事なのだ。
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