彗星の孤独

Zinesterの夜

坂本龍一さん、大貫妙子さんらから賛辞を送られる音楽家であり、ノンフィクション等の著書も多数持つ文筆家でもある寺尾紗穂さんのエッセイ集『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)から珠玉のエッセイを特別公開。第4回はエッセイ「Zinesterの夜」。一緒に幻を生み出せる相棒、LIARS、田んぼの音、もう会うこともない男たち、そしてひとつの言葉がどれほどの力をくれるか。

寺尾紗穂『彗星の孤独』より「Zinesterの夜」

 Zinesterの夜のことはなんとなく書き残さなければならないと思っていた。桜台「pool」で開かれたzine愛好家たちが集う音楽イベントに松井一平と参加したのだ。しかし私は桜台もzineも知らなかった。それで、当日会場に向かうのに、西武新宿線の遠い乗り場まで歩いてから、切符売り場の路線図を見上げて唖然としたし(桜台が西武池袋線沿線だったから)、着いてからも主催の野中モモさんにzineの説明をしてもらってようやく了解したのだった。なるほど、会場にはたくさんのフリーペーパーのようなものが置かれており、その中に私と一平さんの『おきば』も置かれているのだった。ハングルのものも目立つ。大学院の時少しかじったので発音だけはできるハングルを見つめて、小さく発声してみる。『中尾勘二インタビュー』という冊子もあって、しばらく立ち読みする。ライブ会場は地下2階、すでに中盤を過ぎているが、とりあえずライブの空間に入ってみる。SJQという西から来たバンドの最中であった。室内の四方をお客さんが立って囲み、真ん中で演奏している。面白いことをやっていたが、室内は熱く、だんだん演奏が佳境に入ると薬物の酔いみたいになって、倒れそうになった。治り切らない風邪で今夜も発熱していた体は持ちこたえることができず、会場を出る。近くに「珈琲家族」という喫茶店があって、そこに入ろうとしたが、いや待てよと所持金の少なさを思い出して、200円で一杯飲める「ドトール」がないかなとうろうろする。こんなことを書くと、最近新譜で『珈琲』を出したくせに、けしからんと言われるのであろうか。私は、はっきり言って、コーヒーへのこだわりというものはほとんどない。好みとしては、酸味のあるものはいやで、マンデリンのような苦いものの方が好きという傾向があるが、ブレンドを出されれば黙ってそれを飲むし、アメリカンみたいに薄いのだって、ポーカーフェイスで飲み干せるだろう。新譜『珈琲』を出したかったのは、うちのレコード会社の社長で、コーヒー大好きなのも彼である。彼は中国茶も大好きで、訪ねていくと会議室で自ら湯の温度を計って入れてくれたりするのである。おそらく飲み物全般好きなのであろう。私は飲み物に対して食べ物ほどの情熱を持てない。食事の時も水分がなくてもまったく構わない。飲み物がないと食事ができない、という人はよくいるが、お前はよく咀嚼して唾液を出しているのか、と問い詰めたくなる。そのような訳で、私は、200円のドトールコーヒーを探してさまよっていた。すると松井一平に出くわして、彼もマックで奥さんのアキさんと珈琲飲んでいるところだという。そこにお邪魔することにして、アキさんとしばし話をする。

「最近はかまいたちはどうですか」

「少しあるけどあんなひどいのはもうない」

 あんなひどいのとは、つくばのライブに彼らと行った日に、アキさんのほぼ全身に生じたかまいたちのことだ。小さいころからよくなっていた、というかまいたちの話を興味深くつくばまでの車中で聞いたのだった。一平さんが、朝起きてどうしたの、ほほの傷、ブルース・リーみたいだね、と言うと、テレビのニュースから、今日はブルース・リーの命日です、との声が流れてきたのだという。私は不思議なことが大好きなので、この2人の話を聞いているといつまでも飽きないのだ。

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「丁寧に書くことは、丁寧に生きること。」(いとうせいこう)唯一無二の音楽家・文筆家による待望のエッセイ集。新聞、雑誌、ウェブで続々書評掲載!

彗星の孤独

寺尾 紗穂
スタンド・ブックス
2018-10-17

この連載について

初回を読む
彗星の孤独

寺尾紗穂

坂本龍一、大貫妙子らから賛辞を送られる音楽家であり、ノンフィクションの著書を多数持つ文筆家でもある寺尾紗穂さんの『彗星の孤独』より厳選のエッセイを公開。遠くて遠い父、娘たちのぬくもり、過ぎ去る風景――ひとりの人間として、母として、女と...もっと読む

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